決勝戦

第285話 リミット

 正直、夢見がよかったとは言えない。

 晶穂の誤解を解くことは出来たものの、本当の戦いはこれからだ。王国の命運を分けるかもしれない一試合を負かされている重圧なのか、リンは夜中に何度か目が覚めた。黒い何かに圧し潰されそうになる夢を見て、はっと目覚めるのだ。

 ふとカーテンの隙間から見える夜空に晶穂との時間を思い出してしまうのは、もうどうしようもない。それが更に眠れないことへの拍車をかけているなどと、リン自身は思いもしなかった。

 それでもどうにか睡眠は確保し、リンはまだ空が白んでいる時間帯に邸を出た。

 別にもう闘技場に行こうということではない。ウォーミングアップも兼ねて広大な庭を走ろうと考えたのだ。

 走りやすい格好に着替え、屈伸などの準備体操をしていたリンの前に一人の男が現れた。

「リン」

「エルハさん? こんな朝早くにどうしたんですか」

 エルハは一瞬迷うような仕草を見せたが、喉を鳴らして何かを決意した。真っ直ぐな瞳で、リンを見つめる。

「全てが終わる前に、リンに話しておきたいことがあるんだ」




 太陽が真上に照り、気温が上昇する。それと共に、観客の熱気も最高潮に達しようとしていた。

 今日は、武術トーナメント決勝戦が行われる。日頃の鍛錬の成果を発揮するためという建前があるものの、実際の目的はネクロ派の一掃だ。

 主格であるネクロ・ウォンテッドは難なく決勝戦の舞台に上がっている。リンも怪我をすることはあったが、それも魔種の治癒力で完治済みだ。

「逃げずに来たか、銀の華のリン」

「俺は、逃げも隠れもしない。ネクロ、お前の野望はここでついえさせる」

 二人の距離は、優に五十メートルは離れている。しかし、互いの声は歓声の中でもよく響いた。

 ネクロには、何の変哲もなく見える。きっと観客やMCのアナウンサーにはわからないだろう。リンは研ぎ澄ました神経を張り巡らせながら、思った。

 試合は、開始のホイッスルが鳴る前から始まっている。

 気配だけだが、ネクロの周りにはわずかに魔力の痕跡が感じられる。恐らく、魔力の一部を使って何かを仕掛けているのだろう。

(俺には、そんな小細工は出来ない。だけど、必ず勝つ)

 リンはペンダントから杖を召喚し、何処から何が現れても良いように身構えた。その様子を見て、ネクロは呆れた顔をした。

「お前、剣士かと思ったら違うんだな。どっちつかずの中途半端か」

「どちらも使えるってことだよ。けど言いたいのなら、そう言ってもらって構わない」

「そうか」

 ネクロが嘆息する。それと同時に試合開始が告げられた。

 ―――ボコッ

 地中からどす黒さを増した紫色の球体が現れる。それらは幾つも浮かび、ネクロを囲んだ。

 客席からはどよめきが聞こえる。まさか、武官の戦いでこんなものが出て来るとは、誰も予測しなかったのだろう。

「いいのか? 公衆の面前で違法魔力を出して」

 リンの問いに、ネクロは片側の口端だけを引き上げた。

「いいんだよ。この国は、世界は、私のものとなるのだからな!」

 ネクロの声を受け、球体がリンに襲い掛かる。不定形でぐにょぐにょと形の変わり続けるそれを躱すのは容易ではなく、リンの足首にその一部があたった。

「くっ」

 じわっと広がるのは、毒による不快感。魔種の治癒力が、体の中でその毒と戦っているのがわかる。刺すような痛みを感じて思わず片膝をついたリンに、ネクロが見下す笑みを向けた。

「痛いだろう? それは、極限まで毒素を強めてある。体全体に回ってしまえば、後に待つのは死のみ。……さあ、お前の体は何処まで耐えられるかな?」

「倒れるもんかよッ」

 リンは再び襲って来た球体を足をかばうことなく躱し、光の魔力で一つを焼き切った。

 ピシャッという音をさせてシャボン玉のように弾け、球体の中身が飛び出す。それは幾つもの紫色の水たまりを作り、やがて地面に吸い込まれて消えていった。

「……」

 はっはっと短い呼吸を繰り返し、リンは意識を保つ。どうやら一般人よりは治癒力がある分だけ真面に動けているようだが、それも何時までもつかわからない。

 じわりと痛みを発する右足首を見れば、毒に侵され紫色になっていた。

(やばい、か? いや……そんなことは言っていられない)

 ちらりと目に入った客席には、こちらを真剣な表情で見つめる克臣の姿があった。その近くには融とジスターニもいたか。ジェイスは晶穂についているのだろう。

 最早、あの球体を真面に浴びなかっただけ良しとしなければなるまい。

 融とジスターニの顔には、明らかな焦燥が見えた。しかし克臣は、それほどの焦りを見せていないように見える。

「―――はっ」

 リンは鼻の下を手でこすり、客席から目を逸らした。脂汗が一滴流れるが、無視をする。

(信じてくれている。俺は、それに応えるだけだ)

 もう見る必要はない。克臣は、この場にいないジェイスと晶穂も、エルハとサラも、きっと待っている。

 リンは杖に魔力を流し込み、光のカッターを幾つも発射した。

「おいっ、大丈夫なのかよ。あいつは!」

 客席では、ジスターニが克臣の肩を両手で揺らしていた。隣では融も眉間にしわを寄せて試合に見入っている。

「何が?」

「何がって……あいつは、お前の弟分なんじゃないのか?」

 克臣の冷静な反応に、ジスターニの方が呆れてしまう。周りを見ても、リンの敗北を予想する観客の方が多いようだ。ひそひそと客同士が話している内容が聞こえてくるが、そのどれもが補佐官であるネクロの勝利を予想していた。

 それでも、克臣の視線はリンから離れない。

「……あいつは、負けない。勝つさ」

 克臣の絶対的信頼は、どんなに絶望的な状況でも揺るがない。奪う者よりも守りたいものを持つ者の方が強いと、彼自身が信じているからである。

「ジェイスや晶穂がここにいたら、きっと同じことを言うと思うぜ?」

(そうだろ? ジェイス)

 克臣はこの場にいない幼馴染に向けて、語り掛けた。

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