第284話 星空を仰いで、きみとふたり

 順々に、皆席を立って行く。

 イリスは皆が出にくいだろうと最初に退席し、ヘクセルもリンにちょっかいをかけようとしたが、クラリスに呼ばれて姿を消した。

 とおるは晶穂の顔色が優れないことを心配したが、晶穂に「大丈夫ですよ」と言われてジスターニやはるかと共に食堂を出た。

 ジェイスと克臣はリンの様子から何となく察し、弟分の頭を撫でるようにたたいていなくなる。二人はリンがいなくなった後の晶穂の様子を知っているから、尚更だ。

 最後に欠伸をしてしだれかかったサラの肩を抱いたエルハが、二人に手を振って部屋を出た。

 彼らを見送った後、リンは一人残っていた晶穂に呼び掛けた。彼女は座ったままぼおっと何処かを見ていて、リンはトンッとその細い肩に手を置いた。

「晶穂」

「……っ、どうしたの?」

 びくっと肩を震わせ振り返った晶穂の前に出て、リンは彼女の手を取った。晶穂の顔は、何処と無く覇気がない。それを見ていられなかった。

「お前と二人だけで話がしたいんだ。頼む、時をくれ」

「えっ」

 困惑を浮かべる晶穂に構わず、リンは彼女の手を引いてずんずんと歩き出した。

「……」

「……ね、何処まで行くの?」

 沈黙に耐えきれず、晶穂は前を行くリンに尋ねた。幸い手をつないだままのため、はぐれることはない。しかしリンの表情が逼迫していて緊張感をはらみ、晶穂は不安にさいなまれていた。

「……もう少し先の、庭の隅だ」

 どうやら、外宮の敷地内を出ることはないらしい。それでも感情の見えない声で淡々と告げられ、晶穂はきゅっと唇を引き結んだ。

 木々が夜風に遊ばれる。思いの外強い風に長い髪がそよぎ、晶穂は思わず目を瞑った。

「大丈夫か?」

 リンが晶穂の顔にかかった髪を退けた。一瞬指が肌に触れ、晶穂の心臓が跳ねる。

「う、うん。風強いね」

「この強風で、何でも吹き飛ばせればいいのにな……」

「何か言った?」

「何でもない」

 ぼそりと呟かれたリンの独り言は、風が何処かへと持ち去ってしまった。

 月の光くらいしか明かりのない夜闇の中ではわかりにくいが、リンの表情には影がある。晶穂はその理由を問い質したいと思いながらも、再び歩き始めたリンに手を引かれて進むことしか出来なかった。

 しばらく歩いて行くと、いつしか草地から木々が生い茂るエリアへと足を踏み入れた。この庭はどれだけ広いのかと呆れそうな程だ。

 目の前に人が数人は腰掛けられそうな大きな切り株があり、リンが晶穂をそこへ導く。素直に晶穂が腰を下ろすと、リンは彼女の隣に座った。

「……」

「……」

 どちらも、相手に対して何と声をかけたらいいのかがわからない。しばしの沈黙の後、晶穂はふと夜空を見上げた。

「わぁ……」

 感嘆の声を上げる晶穂につられ、リンも天をあおる。するとそこには数え切れない程たくさんの星々が閃き、輝きを競い合っていた。

「まさか、こんなに綺麗だとはな」

「リンは知っててここに来たんじゃないの?」

 晶穂が驚いて尋ねると、リンは首を横に振った。

「俺が前に来たのは、昼間のうちだ。ジェイスさんと克臣さんとの鍛練中、偶然大きな切り株を見つけた。しっかりとしてるし、幾分邸から離れてもいる。ぼおっと考え事をする時なんか、重宝するんじゃないかって思ってたんだが」

 まさか、晶穂をつれてくることになるとは思っていなかった。

 苦笑気味にそう白状され、晶穂は笑うしかなかった。

 そうなってしまえば、二人とも笑ってしまう。少しの間笑い合い、リンはようやく本題に入る決心をつけた。

「……さっき、晶穂が元気なかったように見えた。その原因が俺にあるんじゃないかと思って、ここに連れて来たんだ」

「あっ……それは、何でも」

「『何でもない』って、また言うのか? 俺には何でもないようには見えないんだ」

 ずいっと顔を近付けられ、晶穂は赤面する。目を逸らそうと顔をそむけても、リンの両手に阻まれてしまった。

「わっ、わたしは……」

「うん。待つから」

 言い淀む晶穂に、ただ頷くリン。彼は、いくらでも待つつもりでいた。それこそ何時間でも、晶穂の憂いが晴れるのなら、夜更かしくらい何でもないのだから。

「……」

 逡巡を繰り返し、晶穂はようやくリンの顔を真面に見た。その瞳が、何かに怯えて揺れている。

「わたし、盗られるって思ったら怖かった」

「『盗られる』? 何を誰に」

「……リンを、ヘクセル姫に」

「……」

 ぎゅっと両手を膝で握り締める晶穂に、リンは眉を寄せた。そして「はぁ」と大きなため息をつく。

「……やっぱりか。晶穂、俺がそんなに浮ついた男だと思っていたのか?」

「えっ!? あ、そんなことは、ない、けど……」

「俺は」

 狼狽える晶穂の小さな手を握り、リンは晶穂を真っ直ぐ見返した。晶穂は恥ずかしくて俯きたかったが、リンの目の力がそれを許さない。

「―――俺は、晶穂が好きなんだ。別の誰でもない。代わりなんていない。……晶穂は違うのか?」

「ち、違わない! わたしが好きなのは、リンだけで……す」

 耳まで真っ赤にして徐々に声が小さくなる晶穂に、リンは優しい笑みを浮かべて言った。

「最後に恥ずかしがるなよ。俺の方が恥ずいだろうが」

「だ、だって! 本当に不安だったから。……それに、ヘクセル姫は同性としても素敵だと思う人だし、リンは異性としてもかっこいいと思うし……」

 しどろもどろになる晶穂は、リンが呟いた言葉にはっと顔を上げた。

「俺は、晶穂がとおるさんに奪われないかと内心怖いんだよ」

「えっ?」

「克臣さんから聞いたんだ。融さん、晶穂を心配して抱きしめてたって。……俺がそれを聞いた時の気持ち、わかるか?」

 克臣は、なかなか食堂に来ない晶穂を心配してそわそわしていたリンに、融のことを教えてくれたのだ。他のメンバーもいたために自嘲したが、内心は穏やかではなかった。

 悔しくて、自分が許せなかった。

「俺はヘクセル姫を撒くのに必死で、晶穂のことを見ていなかった。お前の手を引いて一緒に行けばよかったって、後悔しても遅いかもしれないと思ってしまった」

「そんな……」

 ぶんぶんと首を横に振り、晶穂はリンの手を握り返した。自分より大きくて、触れていたくなるほど温かな手だ。震える声で必死に訴える。

「わたしは、目の前に今いる人が好きで、今一緒にいられるのが幸せなんだよ。だけど、一緒に色んなことを頑張りたいし、わたしが出来ることなんてたかが知れてるけど、役にも立ちたい。―――わたしはわたしらしく、リンの隣に立っていられる人になりたい」

「……それは、俺も同じだ」

 リンは赤くなった晶穂の目元を拭い、こつんと額をくっつけた。

「俺は、ただ何も出来ないと嘆くことなく出来ることを頑張ろうとする晶穂が好きだし、誰にでも手を差し伸べられる優しさも誰にでも備わっているものじゃない。俺は……そんな晶穂の隣に立つに相応しい男になりたいんだ」

「リン……」

 潤む晶穂の瞳は、否応なくリンを惹き付ける。しかしリンはその思考を頭の隅に押しやって、くしゃくしゃと晶穂の頭を少し乱暴に撫でた。柔らかくしなやかな灰色の髪が、リンの指にまとわりついて、離れた。

「な、何するの?」

「……かわいいなと思っただけだ」

「うっ……。リンも顔真っ赤だもん」

「うっさい」

 指摘通りに真っ赤な顔をしながら、リンは切り株から立ち上がった。晶穂に手を差し伸べる。

「寝るぞ。明日が本当の戦いだからな」

「うん。……大丈夫だよ、リン」

「ああ」

 さわさわと、優しく包み込むような木々を渡る風が吹く。リンと晶穂は互いの指を絡ませ合い、共に満天の星空を見上げた。

 晶穂の顔にようやく本来の笑みが戻り、リンも穏やかに微笑むことが出来るようになった。


 明日はいよいよ、リンとネクロの決戦である。

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