第281話 炎渦を突破せよ
炎渦の中、リンはここから脱出する術を模索していた。
剣で斬ろうが蹴りを入れようが、実体として固体ではない炎を突破することは出来ない。切っても、再びつながってしまう。
(少しずつ、酸素も薄くなるな)
浅い息を繰り返しながら、リンは炎の合間から見える相手の様子を観察した。彼女も敵を捕まえてしまえばもうやることはないのか、少し砕けた姿勢でこちらを見ている。その目は少し余裕を見せて、微笑みさえ浮かべていた。
あまり、時間は残されていない。
「……よし」
きっと、心配させる。きっと、見たら泣かれるかもしれない。それでも、帰らないよりは良いだろう。
リンは無言で自分の前方にシールドを張り、地を蹴った。
流石にシールドのみでは炎の勢いを止めることは出来ず、炎が容赦なく肌を焼く。火傷の痛みを堪え、リンは暴力的に危機を脱した。
「う、嘘でしょ?!」
女が、この試合で初めて狼狽えた声を上げた。まさか、炎を越えて来る者は今までいなかったのだろうか。
「これくらい、誰でも考え付くだろ。やるかやらないかは別として」
焼けてただれた傷は痛いが、魔種である自分の治癒力に任せよう。リンはそう決めて、表面上はあっけらかんとして見せた。
「信じらんない。わたしの炎渦を破るなんて……!」
余程ショックだったのか、女はぷるぷると拳を震わせた。しかし深呼吸をして気持ちを落ち着けると、改めてリンと向き直る。ビシッと人差し指を突き出して、女は宣言した。
「なら、もっと強力なので倒してあげる!」
「お手柔らかに」
あくまで冷静なリンに、女は苛立ちを隠さずその手に再び炎を灯す。それを幾つも空中に浮かべると、女は乱れ撃ってきた。
リンは背中の翼を開き、炎の弾丸を軽い動作で躱していく。
女はあたらないことに更に苛立ち、ぱたりと攻撃を止めた。諦めたのではないことはその目を見れば明らかだが、リンは彼女の次の手に備えて空中で静止する。
すると、女は両手を掲げた。その手の間に、大量の魔力が集まっていく。魔力は炎の形を取り、一つに固まって、太陽のコロナの様に脈打つ。
「これで……どうだぁ!」
女の掛け声と共にリンに向かって投げつけられたのは、超特大の火球だ。そのスピードたるや、野球の豪速球並みである。
「───っ」
リンは、剣を鞘から抜くと同時に火球を横一文字に斬り割った。わずかにリンの魔力を帯びた刃は、光の尾を引いていく。
───ドッ
核を破壊され、巨大な火球が爆発した。
その火の粉が、リンと女に向かって降り注ぐ。女は元々自分の力であったものの残骸であるから何の問題もない。
しかしリンは、手の甲にそれが触れるとジュッと音がした。
患部をなめて痛みをまぎらわせ、リンは自身最大の攻撃を跳ね返されたであろう相手を見据えた。
「わかっただろう。これ以上は、無意味だ」
女の喉元に切っ先を突き付け、リンが言い放つ。女は悔しげに目を彷徨わせた後、蚊の鳴くような小さな声で「私の敗けだ」と呟いた。
第二ブロック第四試合。リンと同じように、第三試合から出場していたネクロの試合だ。
しかし、その試合は圧倒的だった。
ネクロはあの毒の違法魔力を全く使う素振りすら見せず、ただ一本の剣だけで相手の男を戦闘不能に追い込んだのだ。
客席は、圧勝したネクロへ称賛を贈っている。伊達に、武官長補佐官を名乗ってはいないということか。
実は第三試合においても、ネクロは瞬間的に勝利を決めていた。
しかし、それを
「……確かにあいつの腕は確かだが、あれは八百長みたいなもんだ」
闘技場の裏側で、モニターを見ていた
「仲間なら、大将を勝たせて当然だな。しかも、あからさまなやらせでないところが上手い」
「克臣、敵に塩を贈るような真似をしないでくれよ?」
「言うのはここでだけだ」
ジェイスの忠告に言い返し、克臣はモニターを凝視する弟分に視線をくれた。
「……」
じっと微動だにせずネクロを見つめるリンの頬や手足には、幾つもの火傷がある。服もところどころ焼けて、肌が見えている。
今日はもう戦わないから。それを理由として、リンは着替えなかった。着替えるものも、買ってこなければないわけだが。
克臣は苦笑いを浮かべながら、立ち上がってリンの肩をたたく。
「リン、その格好のまま帰ってみろ。晶穂が卒倒しないか?」
「卒倒されることはないと思いますけど……。え、そんなにまずいですか?」
「とりあえず、女の子の前に出たらいけない格好かな」
ジェイスも克臣に同意し、せめてシャツだけでも着替えるよう諭す。
「そんな血痕と焦げ跡だらけの服は、捨てた方が無難だろう。ほら、これあげるから」
「ジェイス、お前いつの間に」
「ああ、あそこの売店で売ってたんだよ。あそこ、日本のコンビニみたいな品揃えだったよ。イリス殿下、ここをトーナメントの後も有効利用するつもりだね」
ひょいっと真新しいシャツをリンに手渡すジェイスに、克臣が目を見張った。リンも驚きつつも素直にその厚意を受け、その場で傷だらけのシャツを脱ぎ捨てた。
「流石、魔種だな。もう傷が塞がり始めてら」
まじまじとリンの上半身を見て、克臣が感嘆の声を上げる。リンは細身ながらも必要な筋肉はついているが、凝視されると流石に恥ずかしい。
「克臣さん……」
「あ、着ていいぞ。それ着たら、外宮に帰ろうぜ」
丁度、闘技場内にアナウンスが流れる。それによれば、さっきの試合で今日の日程は全て終了したという。
「選手の皆様は、明日に向けて体をゆっくりと休めてください」
ピンポーン。間の抜けたチャイムが鳴り、場内アナウンスが終了した。
どやどやと各控え室から人々が出て来る。どの人も怪我をしていて、それでさえも勲章のように誇っているようだった。しかし負けた者は悔しいのか、時折涙がにじんでいる。
黒のシャツを着たリンに、ジェイスが促す。
「そろそろ晶穂やエルハたちが帰る頃だ。わたしたちも、明日のために休まなければね。リンは特に、明日の初戦勝たないと、午後からの決勝には進めないんだから」
「ええ。……決して負けません。必ず、野望を潰えさせてみせます」
既に頬の切り傷はない。リンは不敵な笑みを浮かべると、仲間たちと共に闘技場を後にした。
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