第280話 第四試合

 リンがアナウンスに応えて闘技場に入ると、スタジアムの傷が減っていた。どうやら、第三試合後に整備し直されたらしい。

 土以外何もない広い会場には、今リンと相手の選手しかいない。審判はいるものの、その存在は飛び回るカメラの向こう側だ。

 今回の相手は、華奢な女だった。しかしよく見れば、均等に美しくついた筋肉を持つ強者であるのがわかる。

 両手にはメリケンサックをつけ、女は鋭い眼光でリンを睨み付けた。その光沢からして、メリケンサックは鉄製だろう。

 何となく、試合を勝ち進む毎に武器の殺傷能力が上がる気がする。気のせいだろうと、リンは無理矢理その考えを頭の隅に追いやった。

 会場の歓声は、好調のまま推移している。よく喉が枯れないものだ、と感心しそうになる。

 試合開始が機械的に告げられ、リンは不意打ちを狙って飛び込んできた女を紙一重で躱した。

 ───ドゴッ

「……うわ」

 女が拳を叩きつけた地面に、ヒビが入る。小さな地割れのようだ。

 思わず声が出たリンに、女は「ふふん」と言いたげな顔を向ける。どうやら、第三試合の相手よりも骨が折れそうだ。

 リンは模造剣をいつものように構え、女が再び突撃してくるのを迎え撃つ。一瞬、拳に対して剣で戦うことに迷いがあったが、女の躊躇のなさにならうことにした。

 ───カンッ

 女の拳に刃が入ることはなく、いつの間に持ち出したのかわからない手のひらサイズの盾に刃があたる。

 押しても相手が押し負けることはなく、リンはすっと剣を引いた。すると女は、盾がメリケンサックと一体となっていることを示した。手を開いていると手の甲を守るようについているそれは、拳を握った際に前線へと現れる。

 ただ正面から攻撃しても、通らないのだ。

 リンは一度女から距離を取り、剣を鞘に仕舞った。女は「おや?」という顔をして、今度は跳躍と共にかかと落としを繰り出した。動きやすいようぴったりと足に沿ったズボンの裾が、風を受ける。

「はっ」

 リンはかかと落としをする女の足首を受け止め、勢いを利用して驚く間も与えずに投げ飛ばす。

「かはっ」

 客席に最も近い壁に叩きつけられ、女が肺の中の酸素を吐き出した。壁が揺れ、客席で寄りかかっていた男性がバランスを崩す。

 リンは攻撃の手を緩めず、壁に手足があたらないギリギリの距離を保ったままで蹴りを繰り出した。

 右、左、左、右、上段。それら全てをすんでのところで躱し、女は転がるようにして死地を離れた。

 体勢を立て直し、メリケンサックをつけた女の拳が飛ぶ。それはわずかにリンの頬を擦り、リンは一瞬顔をしかめた。

 女のポニーテールが舞う。西日を背に、炎をまとった拳が突き出された。

(こいつ、魔種か!)

 魔力の使用は禁止されていない。使っても咎めなどない。それ以上に、会場が沸き立つ。

 日の光に照らされて輝く赤い火は、渦を巻いてリンを包み込んだ。

「「リン!」」

 闘技場内の関係者用控え室の一つを陣取っていたジェイスと克臣が、同時に叫ぶ。二人の前にあるモニターには、炎渦えんかに包まれるリンの姿があった。

 二人から少し離れた椅子に腰かけるはるかは、リンの挙動をじっと見つめていた。




「ネクロ」

「叔父上」

 自室でくつろいでいたネクロのもとに、一人の男が姿を見せた。少し足下が危ういのか、杖を持ってゆっくりと歩いて来る。

 好々爺とした穏やかな表情と、それに全く似合わない禍々しい雰囲気。ネクロの父カグロ・ウォンテッドの実弟、ゴーウィン・ウォンテッドである。

 ゴーウィンはひょいっと甥の目の先にあるものを見て、合点がいった表情をした。テレビ画面の中では、リアルタイムで戦う武官たちの姿があった。

「ああ、武術トーナメントか」

「ええ。……私もこれから参戦するんですよ」

 くすくすと嗤うネクロは、右手のひらを差し出した。その上には、小さな紫色の花が花弁を広げる。

 ぴちょん。滴ったのは、毒を多分に含んだ液体だ。それは蜜のように甘美に、心を同じくする者たちを惹きつける。床に染みができた。

 ゆったりと背を預けていた椅子から身を起こし、ネクロは立ち上がった。真っ直ぐに歩むその足には迷いがない。

「行くのか、ネクロ」

「ええ。そろそろ出なければ、あいつの試合が終わってしまいますから」

 画面上では、リンと名乗った青年がネクロが放った刺客の一人と交戦中だ。女と侮れば、その身に持つ鋭利な刃物に八つ裂きにされかねない。炎の魔力を持つことも、あの女の価値を高める。

「叔父上」

 部屋の戸の前に立ち、ネクロは振り返らずに声をかけた。「何だ」という代わりに、ゴーウィンはカッと杖の音を鳴らす。杖の中には何か仕込まれてでもいるのか、重い音がした。

 目を細め、何処かを見つめるネクロの口が、再び開く。

「……残念ながら、あなたが期待をしていた日陰の王子は使い物になりますまい」

「だろうな」

 くくっと喉で笑い、ゴーウィンは公の場では決して見せることのない笑みで唇をゆがめた。

「もとより、あの日陰者が我らに味方するとは思っていない。……いや。再会する以前は、あの頃のように私を慕って素直について来てくれるものと思っていたが、どうやら計算違いだったようだ」

「ソディリスラは、それほどまでに魅力ある場所なのでしょうか?」

 ネクロの問いに、ゴーウィンは「さあな」と答える他はない。

「王国も政府もなく、ただ自治あるのみ。それでも、多くの人々が住み、この国にはない不思議な力が溢れている場所だとしか、私には言えない」

 扉という、不可思議な存在は消えたという。なくなったとはいえ、そんなものはノイリシア王国には昔から一度も存在しない。

 ゴーウィンの回答に、ネクロは肩をすくめた。

「……どちらにしろ、私はあの生意気なガキ共を片付け、必ずや父上の望みを叶えてみせましょう」

「期待しているぞ、ネクロ。私も、兄も……な」

「お任せを」

 ギイッ。戸が開き、閉じる。部屋には賑やかな実況を伝えるテレビと、無言で椅子に腰かけるゴーウィンのみが残った。

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