第278話 第三試合

 こちらの耳が壊れそうなほどの歓声が、リンを包み込む。

 リンは、ゲートから闘技場へと足を踏み入れる直前の場所にいた。

 見えるのは、既に何度も死闘が繰り返されて荒れた地面と、傷ついた壁。幾つかの血痕が、戦いの激しさを物語る。

 まだ自分の名は呼ばれない。リンはふっと息を吸い込み、吐き出した。彼の頭には、先程ジェイスと克臣たちと合流する前のことが映像として流れていた。

 あの時何か激しい気配を首の後ろで感じ、リンは控え室の椅子から立ち上がった。しかし戸は閉じられ、リンの他に気付いた者はいない。

 どうやら防音設備完備らしく、外の物音は全く聞こえてこないのだ。聞こえるのは、試合を前にした選手たちの息づかいのみ。

「すみません、ちょっと外へ出たいのですが」

 控え室の見張り役の男に、リンは丁寧に頼んだ。この部屋にはトイレも電話もない。勿論、売店も。何かしら用事がある者は、彼に用事を言う必要があった。

「悪いが、時間まで出すわけにはいかない」

「……お前は?」

 リンは引っ掛かりを覚えて問い返すが、男がその問いに答えることはなかった。もう一度尋ねたが、男は素知らぬふりをして、耳を貸さない。

 仕方なく、リンは勝手にドアノブに手をかけた。

「っ!」

 すると、男が力任せにリンの手首を握ってきた。いや、この場合はドアを開けさせないようノブから手を外させようとしているのだ。

「……離せ」

 他の参加者の邪魔にならないよう、リンは極力声を抑えた。しかし、力は更に強まるだけだ。

 どうやら、リンを外に出したくない理由があるらしい。けれども、それはリンには関係のないことだ。それよりも、外で巡回しているであろう仲間たちの無事を知りたい。

「離してくれ。俺は、あなたと好んで争いたくはない」

「……駄目だ。お前はオレたちの敵だからな」

「───そうか」

 ───ダンッ

 何事かと、部屋の男女がこちらを見る。幾つもの驚きを湛えた目を背に感じるが、リンは気にしない。

 目の前の男が自分と敵対する者だと知った瞬間、リンは自分の手をドアノブから離し、一瞬男の力が弱まったのを見計らって手首を掴み返した。

「あっ?」

 男が驚くのとほぼ同時に、リンは背負い投げを決める。同室の選手たちは、見張りの男が床に伸びている様子だけを見た。

 ザワッと様々な声が飛ぶ。しかしリンはそれらを無視してドアに近付き、蹴り破った。

 その後の出来事は、既に終わったことである。克臣とジェイス、そして遥の無事を確認したのだ。

「リン選手、中へ」

「……はい」

 係員らしき男性が、リンを呼んだ。素直に頷き、一歩を踏み出す。

 白い光が視界を奪った。

「──さあ。東から出て来たのは、イリス殿下お墨付きの青年だ! ソディリスラからやって来た、イケメン道場破り!」

(いや、どんな紹介だよ)

 内心突っ込みつつも場内アナウンスに応じ、リンは軽く片手を挙げた。その時、女性の黄色い声が幾つも聞こえたのは無視しておこう。

 ふと前方を見れば、対戦相手が入場してきたところだった。

 彼は、第一試合と第二試合を勝ち抜いた強者である。その体にはほとんど傷らしいものはなく、たくましい体躯をこれでもかと見せつける。

「西は、二試合をほぼ無傷で勝ち抜いた絶対強者! さあ、相手をどう料理するのか?!」

 煽り文句の上手いアナウンサーだと、リンは内心苦笑する。イリスたちがこのイベントを盛り上げようと選んだのだろう。

 リンは表面上無表情に近い冷静さを保ち、敵となった男と目を合わせる。

 闘技場の中央まで出る。互いに目を離さず、睨み合う。

 流石に武官省内の選考を勝ち上がり、ここでも二試合無傷の称号は伊達ではないようだ。

「……やるか」

 リンは、武器として渡された模造剣を構える。この剣はある程度の切れ味を持つものの、骨を折ったり切断したりといった威力を持たない。日頃の鍛練の成果を見せるために行われるこのトーナメントでは、十分な凶器と言えた。

 相手も模造品の斧を担いでいる。その筋肉質な体に似合う、大型の武器だった。

 ───ドォン

 銅鑼の音が鳴り、試合開始を告げる。

 リンは音と同時に跳躍し、相手の頭目掛けて剣を振り下ろす。

 しかし相手もそれくらいの攻撃は読んでいたのか、後方に跳んで躱す。更に追うリンに、斧を振り回して対抗した。

 ビュンッという風を切る音が何度も繰り返される。滅茶苦茶にすら思えるその斧さばきに、リンは男にどう近付くべきかと考えた。

 その隙を、考えに沈むリンを男は見逃さない。

「おおっ!」

 どら声と共に振り落とされた斧の刃は、それまでのさばきの勢いを乗せてスピードを上げていた。

 誰もが、模造品とはいえ斧に吹き飛ばされるリンの姿を想像した。

「……こちらだって、それくらい読めるさ」

「??!」

 斧が振り下ろされた場所に、リンの姿はない。男が慌てて振り向けば、丁度男の脇に剣の柄を叩き込むリンの近すぎる姿があった。

「───っ」

 鈍器による痛みに男がよろける。するとリンは一度距離を取り、今度は真っ直ぐ男の首を狙って剣を突き出した。

「……ぁ?」

「命までは奪えない。だがこれで、お前のけだ」

 リンの剣の切っ先は、男の喉笛までわずか数ミリのところで静止していた。

 へたり、と大きな体の男が座り込む。リンは剣を引き、踵を返した。

「おおおおおっ!!!」

 会場が歓声に包まれる。どうやら、スタジアム内の大きなスクリーンに映像がリアルタイムで映っていたらしい。

 リンは犬を鞘に収め、そのままゲートに戻ろうとした。

「……待て」

「? 何ですか」

 騒々しい中でも、その男の声は嫌に冷たく響いた。

 リンは振り返り、先程までへたり込んでいた男を見上げた。立てば、彼はリンより二十センチほど高い。

 男はリンの視線を受け止め、ゆっくりと口を開く。周囲の声が、一瞬消えたようにリンは感じた。

「オレは、先陣だ。この後も、お前を殺そうと何人も立ちはだかる。お前は、このトーナメントの決勝までは進めない」

 呪いのような、低い声色。しかしリンは、冷静な表情を崩すことなく、冷笑した。

「……やってみろ。は、絶対に助けてみせる」

「……」

 男の返答があったかどうかは、もうわからない。

 再び喧騒を増した会場に背を向け、リンは今度こそゲートの向こうへと戻った。

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