第276話 新たな刺客

 おかしい。それは当然の疑問だ。

 何故なら、スプリンクラーでも作動しない限り、室内で雨が降るなど考えられない。

 しかし、もう一つ可能性があることを融たちは知っていた。水の魔力を持つ者には、それが可能なのだ。

 降りしきる雨の中、こちらへ歩いてきた男を見て、融は顔を歪めた。

「……お前の仕業か、イズナ」

「まさか、一発で見破られるとはな」

 藍色の髪から雨水が滴る。鬱陶しい前髪をかき揚げ、イズナは凄みのある笑みを見せた。

「お前はゴーウィン様の護衛だろう? どうして、こんなところにいる。はるかはどうした」

 ジスターニの問いに、イズナは「ああ、あいつか」と面倒くさげに応えた。

「あいつとは、たもとを別ったんだよ。同じくゴーウィン様に世話になった者にもかかわらず、裏切るような真似をするから」

「……今、何と言った?」

「何、とは?」

 反対に問われ、融は目を見開いて再び尋ねた。その声は、嘘だろう、と叫んでいる。

「どうしてここに、ゴーウィンさんの名が出てくる? あの方は王の側近であり、侍従頭じじゅうがしらでもある方だろう」

「そうだ。だが、一部では違うとも言えるんだ」

「……は?」

 頭が理解を拒否している。融は脳内の混乱を端に寄せ、今すべきことを改めて思い出す。

 ジスターニはまだ、顔に迷いが貼り付いている。それをひっぺがさない限り、この戦いに勝機は薄い。

「ノア」

 主の声に応えた白梟は心得たとばかりにジスターニの頭にとまると、そこを軽くつついた。

「痛っ! おい、融。何させやがる!」

「ジスターニさんを正気に戻したくて」

「だからって、お前なぁ……」

 血も出ていないでしょう?

 悪びれずに言う融に、ジスターニは眉をひそめた。しかしそれも長くは続かない。

「ま、お前がやりたいことはわかったよ」

「そりゃどうも」

 既に、服は濡れそぼっている。融は重くなったフードを取り、素顔をさらした。直接髪や顔に水が滴るが、そんなことはどうでもいい。

 融とジスターニは、同僚男と対峙した。

「おれの目的は、ただ一つ」

 イズナのすっと挙げた人差し指が、真っ直ぐに王の部屋を示す。

「王の抹殺だ」

 そう言うが早いか、イズナは広げた両手のひらから蠢く水龍を召喚する。それは莫大な量の水飛沫を上げ、融たちに襲いかかった。

「くっ」

 融はバク転を使って後退し、更に念の力で激流をやり過ごす。ジスターニはと見れば、得意の鉄棒を用いて正面から受け止めていた。バカ力である。

「甘いなッ」

 イズナの声の通り、水龍は幾つもの水柱に分かれて四方八方からジスターニを襲う。本来の水には殺傷能力などないはずだが、何故かその水流がかすった場所の肌が切れた。

「やるなぁ!」

 ジスターニは怪我をものともせず、風を切る音がするほどのスピードで棒を操ってイズナの腕を狙う。彼の魔力は全て腕から発せられている。つまり、腕を潰せば攻撃のやりようはなくなるのだ。

 融もジスターニの意図を理解し、念の力でイズナの拘束を試みる。手のひらをイズナに向け、輪にした念の塊を放つ。幾つも重ねた輪は、縄のようにイズナの自由を奪った。

「―――くそっ」

 イズナの前髪が揺れる。その一房だけ透明感のある水色だが、全体は黒髪だ。

「貴族然としてるって噂名高いイズナが、そんなに顔を歪めて良いのか?」

 ジスターニが煽るが、イズナは全く動じない。むしろ壮絶な笑みを見せ、力業で融による拘束を解こうとする。

「今、俺は裏側の者なのでね」

 ―――パキンッ

 輪に傷が入り、それが拡大する。音をたてて壊れ、イズナは自由を取り戻した。

「うあっ」

 力を弾かれ、その衝撃で融の体がびくりと震える。ガクンッと体勢を崩しそうになるも、何とか踏ん張って持ち堪えた。

 しかし力の限界が近いのはお互い様だったのか、イズナはチッと舌打ちすると、ジスターニの攻撃を躱して廊下の窓を開けた。鍵がかかっていなかったらしく、窓は素直に外の空気を取り入れる。

「……今は、不利だ。今だけは諦めてやるよ」

 窓枠に跳び、イズナが悔しげに言い捨てた。

「待て、イズナッ」

「衛兵!」

 融のイズナを呼ぶ声とジスターニの警備に対する警告が重なる。王宮の外では、ジスターニの呼び声を受けた衛兵たちが慌ただしく動き出した。しかし、イズナが捕まることはないだろう。

 水浸しになった廊下で、融はぐっと拳を握り締めた。


 イズナが王宮を離脱した頃、闘技場では第一ブロック第二試合が行われようとしていた。克臣とジェイスはリンの様子に特に変化がないことを確かめた後、周辺の警戒を続けていた。

「何か起きねぇかなあ」

「縁起でもないこと言うなよ……」

 克臣の呟きに呆れながら、ジェイスは係員や参加者が通り過ぎる通路を何の気なしに見つめていた。

 その時、見覚えのある顔がこちらを気にしているのを見つけた。向こうもこちらに気付いたらしく、目を見張っている。

「きみ、はるかだろう。ゴーウィンさんの側近の」

「そう、だ。エルハルト様の件以来だな。ジェイスさん、克臣さん」

 ブロンドに近い茶髪の狼人は、焦燥感を漂わせた顔でぺこりと頭を下げた。

「……あなたたちの強さを見込み、頼みがあって来た」

「頼み? 何だよそりゃ」

 言ってみろ。克臣が促し、ジェイスも頷く。

「話しにくければ、場所を変えようか。リンは今外せないが、わたしたちでよければ話を聞こう」

 そう言ったジェイスに、遥は首を横に振った。そして、意を決したのか小さな声で呟いた。

「……止めて欲しい」

「止める? 何を……」

「イズナを。そして……ゴーウィン様を」

 通路の空きスペースにあった椅子に腰を下ろした遥の依頼に、二人は目を丸くした。

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