第275話 大会の始まり、その裏で
「おおっ、やってるな」
観客席から闘技場を覗き込み、克臣は楽しげにジェイスを呼んだ。
「来いよ、ジェイス」
「全く。わたしたちがここにいる理由を忘れたのかい?」
上階へ向かう階段に片足をかけていたジェイスは、苦笑混じりに克臣の隣にやって来た。闘技場と客席を分ける手すりに腕を預け、下方で剣を突き合わせる青年たちに目をやる。
「わかっちゃいるけどよ、こういう空気感って楽しいじゃねぇか」
「同意だけどね」
今行われているのは、第二ブロック一回戦だ。第一ブロック一回戦は先程終了した。
キンキンッという刃が交わる音が鳴る。しかしそれよりも甲高いのは、観客の声援だった。
「そこだ、いけー!」
「なにやってんだ! やれやれ!」
そんな声が、そこかしこから聞こえてくる。皆そこまでイベントに飢えているのかと、ジェイスは呆れすら覚えた。
「まあ、この状況はわたしたちに有利だろう」
これが、国家転覆が成されるか否かの瀬戸際だということは、知らない人間が多い方がいい。
「そろそろ行こう、克臣」
「ああ」
私服警官のような役回りを担う二人は、リンがいるであろう控え室に足を向けた。
その時、片方の選手が剣を取り落とした。相手の選手の剣技に押し負けたのだ。
第二ブロック一回戦が終わった。
同じ頃、晶穂は王宮にいた。融とジスターニが後ろに控えている。時折、ノアがバタバタと羽ばたく。
ここは、国王の寝室だ。毒という違法魔力で作られた病により、王は瀕死の状態にある。
晶穂は王の骨張った手を握り、一心に神子の力を注ぎ込んでいた。少しでも毒に打ち勝つ力となるように、少しの間でも子どもたちと語らえるように。
時々ネクロによって傷つけられた箇所が痛むが、それに耐えて手当てを続ける。
(わたしに出来るのは、これくらいだから)
いつの間にか、晶穂と王の周りには青白い輪郭を持つ透明な花が咲き乱れている。淡緑の茎と葉を伸ばし、蔦のようにベッドに絡まる。
ジスターニは「ほぉ」と感嘆した。次いで、隣の融の腕を小突く。融はフードを被ってはいるが、顔が
「これは美しいな。まるで、室内に花園ができたようじゃないか」
「……ああ」
「何だよ、融。反応がうっすいな」
「五月蝿いですね。晶穂が治療してくれているんですよ。それを邪魔する者を排除するのが、おれたちの役目なんですから」
そう言って、融はフードをより目深に被ってしまう。彼のその行為を不思議に思いつつも、ジスターニはそれを深掘りしようとはしなかった。
「それもそうだな」
融の言葉に納得する。元来、ジスターニは真っ正直で真っ直ぐな男なのだ。深くものを考えない、ともいうが。
「……」
(綺麗なのは、花だけじゃない)
無言下、融は心の中でひとりごちる。暗く沈んだ視界の間から、美しい花々に囲まれて脇目もふらずに力を使い続ける少女の姿が見える。少女と言うには年かさだが、彼女の純粋さはそう言うに値しよう。
実は見惚れていたなどど、隣の同僚に気付かれるわけにはいかない。そう、融は固く決めていた。
ふと、今朝のことを思い出す。突然、出掛ける直前のリンに呼び出されたのだ。
「融に頼みがある」
「改まって、何かあったのか?」
外宮の庭にある物置小屋の傍。二人の姿は、外宮の建物からは見えない死角にあった。
何やら言い淀むリンに、融は首を傾げる。最初は色々あったものの、今や協力関係だ。何も遠慮することはないのだが。
そんなことを考えていた時、融に向かってリンが頭を下げた。まさか頭を下げられるなど思ってもみず、融は焦った。
「お、おいっ」
「今日、俺は晶穂の傍には居られない。だから王宮に残るあいつを、守ってくれないか?」
「……っ」
融は思わず、息を詰める。
晶穂が王宮に残り、融とジスターニが警護につく。それは既に決められていたことだ。にもかかわらず、リンは改めてここで願っている。その真意を図りかねた。
「どういう意味だ? おれたちが彼女の警護につくのは、決まっていることだろう」
「確かにそうだが、融にはちゃんと頼まないといけない気がした。……おかしいよな」
頭を上げて困ったように微笑むリンに、融は自分の心を見透かされた気がした。あえてその動揺には蓋をして、融は「任せろ」とわずかに口端を上げた。
「おれも、ジスターニさんもいる。誰にも、晶穂も王も傷つけさせない。だから、リンはネクロを倒すことに集中すればいい」
「だな。ありがとう」
「……おう」
ほんの少しだけ歪んだ笑みは、きっとリンには見えていない。そう思ってはいるのだが、あの時の融はいつも目深に被っているフードを脱いでいた。水色の髪をさらし、紫の瞳でリンを映した。
その意味は、味方である彼に偽りを見せるべきではないと思ったから。だから、もしかしたら気付いたかもしれない。だから、リンは改めて融に願ったのかもしれない。
(この際、どちらでもいい)
今考えるべきことは、別にある。
時計が時を刻む音が鳴る。一定の間隔で、針を動かす。その単調な音楽に飽きた頃のことだ。
―――ドンッ
「「!!」」
王の部屋の外で、何かが爆発するような音が鳴り響いた。
ぴくり、と晶穂は反応を示す。しかし集中を途切れさせることはなく、また力の行使を続ける。
ジスターニと融は目を一瞬交わし、同時に動いた。
融が戸の脇に控え、ジスターニが真正面から戸を開ける。するとその先は、焦げ臭い煙に巻かれていた。
すぐさま戸を閉じ、周囲を警戒する。何者かの敵意を感じ取り、ジスターニはその場を跳んだ。激流がジスターニのいた場所に集中する。滝のように降り注ぎ、その辺りは水浸しだ。
「何者だ!」
ジスターニの誰何に、答える声はない。融は水流が止んだのを確かめた後、ノアと共に廊下へと出た。
「ジスターニさん」
「わかってるさ、融」
敵意が、殺意が消えたわけではない。すぐ傍にある。
ジスターニと融は、背合わせになって警戒態勢を取る。すると、しとしとと雨が降り始めた。
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