第274話 あの日の誓い

 人々の怒号のような歓声が聞こえてくる。

 エルハは競技場内を警戒してまわっていた。腕章には「警戒中」という文字がある。服装はといえば、何処にでもいそうな警備員のそれだ。まさか観客も、こんなところに王族がいるなんて思わないだろう。

「エルハ」

「サラ。晶穂のところに言ったんじゃなかったの?」

 闘技場の廊下で、そこにはもう誰もいない。ぽつんと、石造りの廊下の壁に背中を預けたサラがこちらを見ていた。

「へへ。晶穂はリン団長のところに行っちゃったから、あたしはエルハに会いに来たんだよ」

「だからって、こんなところに」

 片方の眉を歪ませるエルハに、サラが跳ねるように近付いていく。くるんとその場で回り、抱きつくようにしてエルハの腕を取る。

 そして、サラはエルハの顔を真剣な顔で覗き込んだ。

「……こんなところじゃないと、聞けないことがあったから」

「どうかしたの?」

「『どうかしたの?』じゃないよ!」

 バンッ。サラはエルハを逆壁ドンした。目を見張るエルハに、サラはうつむいて呟いた。この国に来てから感じ始めた違和感について。

「エルハ、最初は嫌がってたよね。故郷に帰ること。でもノエラのことがあって、こっちに来て、お兄さんやお姉さんに再会して、お父さんが危篤だって知って……。その頃から、エルハは変わったよね」

「そう、かな」

「そう。始めの内は、夜になるとソディリスラの方向を何となく見てた。だけど、最近はそんなことないよね。……たぶん、ヘクセルさんと王様に会いに行った後から」

 あの日から、確実にエルハは変わったのだとサラは言う。

「変わったことは、悪いことじゃないよ。本当の家族のために奮闘しようとしているんだから、寧ろあたしは喜んでるんだ。ヘクセルさんからエルハの幼い頃の話も聞けたし、エルハの故郷にも来られたし。でも―――」

 顔を上げたサラの瞳が揺れた。言葉を失うエルハの胸に非力な拳を叩きつける。

「エルハ、隠し事してる!」

「……何を、言ってるんだい」

「ほら、今だって妙な間があった!」

 びしり、と人差し指を突き付け、サラは茜色の髪を揺らす。青空よりも濃い青の瞳が、真っ直ぐに恋人を射抜く。

「何で、あたしに話してくれないの? 別に、エルハの決意を否定するつもりなんてない。ただ、決めた後でもいいから話してほしかったよ。……覚えてるかな。王様の部屋に行った日、あの夜のこと。エルハ、口数少なかったよね」

「……」

 エルハは反論することも言い訳することもなく、ただじっと檜皮色の瞳をサラに固定している。

「あたしはね、話してほしかった。それが良いことでも悪いことでも、泣き言でもいいの。……あの日言ったよね。『何でも話そう。ずっと一緒にいるために』って」

 それは、二人が付き合うことになった日、交わされた誓いであり約束。だからこそ余計にエルハもサラも何でも互いに相談したし、悩みも怒りも話し合ってきた。

 サラはその誓いのことを言っているのだ。そう気付いた時、エルハは「はあーっ」と盛大なため息をついた。

 手を顔に当てて息を吐くエルハに、サラは「どうしたの……?」と怪訝な顔をする。

「ごめん、サラ。もっと早くきみに伝えるべきだったよね」

 誰もいない、ただ移動することだけを目的とした空間に、たった二人の息遣いが響く。ぺたんと寝たサラの耳を撫で、エルハは今一度息を吸い込んだ。

「―――サラ」

「うん」

「僕は、病床にある父を見て、初めて気付いたのかもしれない。……失ってからじゃ、後悔しても全てが遅いのだと」

 失うこと、には様々な意味がある。ものを失くす、恋人と別れる。幾つかある中で、エルハの言わんとすることは、死別だ。

 既に母を喪っているエルハにとって、父は唯一の親となる。幼い頃からそれ程愛情を受けた記憶もないが、どうやら自分も人の子であったらしい。

 思わず「ふふっ」と笑みをこぼしたエルハに、サラが「どうしたの」と尋ねる。彼女の問いに首を横に振ることで応え、エルハは天井を見上げた。

 天井は岩肌が露出し、荒々しい印象を持つ。ここが戦うための場所だと再確認出来る演出だ。

「故郷への思いなんてものは捨てたと思っていたけど、案外残っているものなんだなって気が付いたんだ」

「エルハは、本当はノイリシア王国が大好きなんだと思う。だからあたしも、もっとエルハの国のことを知りたいな」

 逆壁ドンを解き、サラは体をエルハに預ける。耳に届く心臓の音が、まるで自分のものと共鳴しているかのように感じられた。

 きっと、国王を助けることが出来れば、サラたちはここを離れて帰ることになる。その後も船を使えば行き来は可能だが、頻繁には難しい。だからそれまでに、とサラは密かに事件解決後のスケジュールを練っていた。

「……少し、それにも関連するかもなんだけど」

「?」

 サラのしっぽが揺れた。エルハは意を決し、これまで見たこともないような真剣な顔で、恋人を見つめた。

「……僕は、ここに残ろうと思うんだ」




 闘技場の中央には、マイクスタンドが置かれた足場がある。

 喧騒に包まれ、観客席は満員だ。早く始まれとばかりに、ブーイングにも似た声が方々から聞こえてくる。

 不意に、ファンファーレが鳴り響いた。

 それまでの五月蠅さが嘘のように静まり返る。その中を、イリスが真っ直ぐ中央へ向かって歩いて行く。彼の後ろには、融たち三人とアゼル武官長の姿があった。

 観客が固唾を飲んで見守る中、イリスはスタンドに設置されたマイクのスイッチを入れた。

「……皆さん、こんにちは。イリス・ノイリシアです」

 落ち着き払ったイリスの声は、徐々に興奮していた人々に届く。イリスは淡々と、今回の武術トーナメントを開くことになった経緯を簡単に話した。

 そして、一通りの注意事項とルール説明を終える。

 アゼルと交代し、彼の言葉に耳を傾ける。アゼルは参加者への激励の言葉を述べた。

「―――日頃の訓練、鍛錬の成果を存分に発揮し、我が国の発展に寄与する人物となってくれることを期待する」

 ―――オオオッ

 アゼルの言葉が終わるやいなや、開場が沸き立つ。何せ、アゼルは整った相貌をしており筋肉質の体を持っている。更に武官長という役職もあって人気が高いのだ。

「では、王太子殿下」

「ありがとう」

 再び興奮の渦が巻く。これを止める方法など、イリスは知らない。

 あるとすれば、圧倒的な試合展開くらいのものだろう。

 イリスは深呼吸をして、マイクに向かって叫ぶ。

「これより、武術トーナメントを開始する!」

 ―――オオオオオッ

 凄まじい熱気をはらんだ人々の歓声を、リンは選手控えの間にて聞いていた。

 ここは、試合を間近に控えた者が集められる場所。スタジアムの声がもろに聞こえるのだ。

 こちらのゲートには、ネクロの姿はない。恐らく、反対側のゲートに控えているのだろう。

「……いよいよか」

 リンの呟きと時を同じくして、一回戦が幕を開けた。

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