第273話 闘いの始まり

 朝、青空が頭上に広がっている。その中に、パンッという音が響いた。

 白い花火が開き、武術トーナメントの開催を知らせたのだ。

 王宮内は数日前から大忙しだ。イリスを中心に、当日の選手受付や待合室、更に屋台の申込受付や割り振り、客席の準備や会場の掃除などを手分けして行なっていく。

 トーナメント会場は、昔からこの国で闘技場として使われてきた施設を使う。このスタジアムは魔法防御システムと強化魔力を保持した建材で造られており、少々暴れても倒壊する危険性は少ない。

「いよいよだな、リン」

「克臣さん、みんなも」

 選手の控え室に入ったリンのもとへ、仲間たちが顔を見せに来た。

 控え室は選手それぞれに与えられているが、その広さは五畳くらいのものだ。その中に椅子と机、荷物を置くラックが備えられている。

「リンの出番は、三回戦からだったね」

 そう言ったのはジェイスだ。

 今回王太子の推薦枠としてトーナメントに出るリンは、一回戦と二回戦を飛ばして三回戦から登場する。これは既に、国内に知らされていることだ。

「そういえば、リンのことを何処かで見たらしい女の子たちがきゃーきゃー騒いでたよ」

「……やめてくださいよ、エルハさん」

 げんなりとしたリンに「ごめんごめん」と言いつつ笑いを堪えきれそうになかったエルハだが、サラに小突かれて何とか踏みとどまる。

 そこへ、イリスとヘクセルがクラリスを伴ってやって来た。融とジスターニは、会場内の警戒にあたっているという。

「リンくん、みんな。……今日は、宜しく頼みます」

「頭を上げてください。俺は、自分が出来ることしかしませんから」

「ありがとう」

 ふわりと微笑んだイリスは、懐から一枚の紙を取り出す。広げたそれに書かれていたのは、大会のトーナメント表だった。

 出場者はリンを除いて総勢ニ十名。その中には、ネクロの名も記されている。

 更にイリスによって、ネクロ派の出場者の名が挙げられる。その十数名。トーナメントに参加する者の半数以上だ。

 その数に驚くリンに、イリスは困った顔をした。

「事前に武官省内で予選を行なったんだけど、その際に何故かネクロ派が国王派を勝率で大きく上回ったんだ。能力が同じくらいになるように戦わせたにもかかわらず、ね」

「何か裏がある、そう考えるのが自然だね」

 顎に指をあてて眉をひそめるジェイスに、克臣が「考えても仕方ねぇ」と開き直って見せる。

「こっちは正々堂々戦おうとしてんだ。リンを邪魔しようって奴は、俺たちが倒しておくから。……リン、負けんなよ」

「ええ、必ず。止めてみせます」

「期待しているよ。……今朝、父上にトーナメントのことを報告してきた。顔色は悪かったが、安定した呼吸をしていたよ。大丈夫だ」

 ということは、期限は確実に近付いているということだろう。リンは身を引き締め、一秒でも早くエルハたちの父親を助ける術を聞き出さなければと決意した。

「リン一人が背負うことはないよ。わたしたちも場外から、情報を集めていくから」

「はい。お願いします」

 ジェイスの言葉に頷くと、エルハがリンをじっと見詰めた。その隣には、真剣な顔をしたサラがいる。

「エルハさん?」

「リン。……頼むね」

「はい」

 その短い言葉の中に、複雑に絡み合った感情が籠められている。リンはそれらを出来る限り受け止めて、明瞭な声で返事をした。

「じゃあ、後で」

「応援してるぞ」

 そんな言葉を残し、仲間たちが去っていく。リンは彼らを見送り、ふと、ある人の不在に首を傾げた。

「……まあ、そういうこともあるよな」

 ノエラの世話を引き受けているのかもしれない。そう考えて、リンは戸に背を向けた。決して天井の高くない控え室では、剣を振ることもままならない。

 だから精神統一を、と深く息を吸って吐いた。立ったまま目を閉じて、邪念を祓う。わずかな寂しさを、目的への集中で覆い隠す。

 雑念をどうにか消し去ろうと、心を無にしようとしていたリンの耳が、その時ノック音を捉えた。

「……リン?」

「……っ、晶穂か?」

 精神統一という行為を忘れ、リンは目を開ける。すると視界に、遠慮がちに戸を開けて顔を覗かせる晶穂の姿があった。

「……よぉ」

「う、うん……」

 昨日の今日だ。お互いに、渡り廊下でのことを思い出してしどろもどろになる。それでも一歩入って戸を閉めてしまえば、そこにいるのはリンと晶穂だけだ。

 何でもないことのように装うことはもう出来ないが、リンは極力普通に話しかけた。

「どうした? みんな、さっき様子を見に来てくれたけど」

「あ、あの。二人きりじゃないと出来ないから……わたしだけ後にしたんだ」

「……?」

 意味がわからず首を捻ったリンに、晶穂は駆け寄った。そして、驚くリンに抱きついた。

「お、おいっ!」

「大丈夫。リンは絶対負けない。……必ず、助けられるよ」

「……」

 きゅっと細い腕に抱き締められ、リンは大人しく晶穂の小さな背中に腕をまわした。

 すると、晶穂の体が淡い夕焼け色に発光し始める。その光はリンをも呑み込み、二人を温かく包み込んだ。

「……神子の力、か」

 何処か背中を押してくれるような力を感じて、リンは顔を自分の胸に埋める晶穂に尋ねた。少し離れて首肯した晶穂は、恥ずかしそうに微笑んでみせた。抱き合っていた手は、今は互いの指絡ませている。

「そう、かな。少しでもいい、リンを守ってくれるように。そう願ったんだ。……これから、王様のところにも行ってくる」

 自分の力を使うことで、少しでも苦痛を和らげたい。これは、晶穂自らが言い出したことだ。だから、リンは止めない。

「くれぐれも気を付けてくれ。王様の命を狙う奴が、その近くにいないとも限らない」

「それはリンもだよ。……待ってる。一緒に帰ろう」

「ああ」

 二人は相手の手を握り締め、名残惜しげにゆっくりと離した。

 その時、外で男たちの歓声が上がる。リンは晶穂を残し、闘技場へと向かった。リンの背を見送り、晶穂は願った。

「あなたが勝って、この国を救えますように。……わたしも、出来ることをするよ」

 ノイリシア王国主催の武術トーナメント、開幕である。

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