武術トーナメント
第271話 準備期間
ネクロとの邂逅から一週間が経った。
この間リンたちはソディリスラに戻ることなく、武術トーナメントに備えていた。情報集めの他、ノイリシア王国伝統の武術や剣術を学ぶことも有意義だった。
銀の華の本拠地・リドアスとは毎晩連絡を取っている。ユキたち四人を中心として、しっかりとやっているようだ。
リンがユキたちに現状を報告すると、彼らはそれぞれの顔で驚いた後に異口同音に言った。
「銀の華はぼくらに任せて。無事に帰って来て」
「ありがとう」
待っていてくれる人がいる。帰るべき場所がある。それは、人の心を温かくする。
「──ほら、こっちに斬り込んで来い!」
「はいっ」
ところは、外宮の訓練施設だ。
こちら側の代表として指名されたリンが、ジェイスと克臣を相手に鍛練の真っ最中である。
───キンッ。キンッ
鋭い金属音が響く。それは何度も斬り結ばれ、離れたかと思えばまた交わった。
リンの隙を見つけ、克臣が背後から叩き斬ってくる。それを間一髪で躱し、リンは後方に着地した。
「おらおら! 後ろががら空きだぜ!」
「……いつの間にチンピラになったんです、かっ!」
そう叫びながら、リンは克臣の足を払う。
「くっ」
克臣は危うく転びかけたが、手をついてバク転の要領で体勢を立て直した。その対角線上にいたジェイスが、克臣を見て苦笑する。
「そんなに無理をして体勢を整えて、場外乱闘の時はどうするつもりだ?」
「そんなの、力一杯やるに決まってんだろ」
「だと思ったよ」
二人が言う『場外乱闘』とは、本トーナメントとは別の、文字通りのものである。
イリスは、ネクロ側が素直に武術トーナメントを勝ち進んでくるとは考えていなかった。あの日の席で、彼はこう言ったのだ。
「正直、こんなに簡単に乗って来るとは思っていませんでした。だからと言って、ただ真っ正直に戦うことだけに目を向けていては、足をすくわれる。リンくんを選んだ以上、彼を守り決勝まで進ませることが最も大切なことだと思う」
「リンを守る、か。それには同意だけど、イリス殿下は何をそんなに憂慮しているんだい?」
「ジェイスさん。わたしは場外乱闘があると考えているんです」
「場外乱闘、か」
ジェイスの瞳が面白そうに光る。頷いたイリスは、それをよくある話だと言う。
「邪魔者は少なければ少ないほど都合がいい。それは、どの界隈でも同じことでしょう。だから、消せる者は全て消し去った方が後が簡単です」
「イリス、その考え方はどちらかというと悪役じゃないか?」
克臣が苦笑気味に言うと、イリスは困った顔で微笑んだ。
「そう、かもしれません。わたしは昔から王宮で暮らしてきましたから、貴族たちの裏工作や歪みひがみなんかには敏感なんですよ」
だから、裏をかいて自分を守る術を学ぶのだ。
「ネクロの一派は、勿論彼一人ではありません。武官省の若手を中心に密かに広がっていると聞いていますから、用心するに越したことはないんですよ」
「確かに、無鉄砲なやつってのは何処にでもいるからな」
克臣は同意し、腕が鳴ると指を鳴らした。
その次の日からリンの修業は始まり、他のメンバーもトーナメント大会実行へ向けた準備を進めている。
エルハとサラは、イリスとヘクセルの助手のような役を務めている。晶穂はリンの鍛錬を見守りつつ、ノエラの周辺を警戒していた。
激しい動きを続けていたリンだったが、目の端にノエラのもとへと急ぐであろう晶穂の姿が見えた。その瞬間に隙が生まれ、ジェイスに手刀を喰らう。
「うっ」
「数秒だけど、意識が逸れたね。……ああ、晶穂か」
「呼べばいいだろうがよ。―――おーい、晶穂!」
「あっ……」
リンが制止する暇もなく、克臣が晶穂に手を振る。その声に気付いた晶穂が、ぱあっと目を輝かせてこちらへと駆けて来た。彼女の胸には、お菓子作りのレシピ本が抱かれていた。
「リン、お二人も。順調ですか?」
「ああ。もともと筋がいいし、強いからこちらも手加減しないで済んでいるよ」
晶穂の問いに答えたジェイスは、手に持った模造剣を振って見せた。模造品だが、金属を使って刃を作っている。これで切れないのが不思議なほどだ。
「よかった。皆さんのことだから、真剣で鍛錬していたらどうしようって、毎日不安なんですよ?」
「流石にそれはしないだろう。本番前に怪我したら、今回の作戦がパアだからな」
安堵したらしい晶穂に、克臣が苦笑する。
「俺たちは、幾つもあるパターンの中から効率的に学べるメニューを作って、それ通りにやってるだけだから。……だから、いつでも見学に来ると良い。リンの集中が鈍っていい鍛錬になる」
「言い方が酷いですよ」
剣を下ろしたリンが、晶穂の前にやって来た。そして彼女の持つ本を見て、推測を口にする。
「ノエラと菓子でも作るのか?」
「正解。みんなにお菓子を作って疲れを癒してほしいんだって。……あの子、本当に五歳児?」
「見た目は五歳児だな」
五歳の女の子にしては、ノエラは周りをよく見ているしよく考えている。そうやって少し大人に近付くのが他よりも早いのは、彼女が王族だからだろう。
「ノエラと一緒に作って、みんなに配るから。楽しみにしてて」
「ああ。腹空かせとく」
柔らかく微笑んだリンたちと別れ、晶穂は外宮の邸の方へと足を向けた。背後からは再び鍛錬の音が聞こえてくる。
ここ一週間、平和そのものだ。誰かに命を狙われることも、敵と戦うこともない。ネクロは腐っても武官だから卑怯に約束を破ることはしない、そう言ったのはエルハだったか。
晶穂は邸の玄関ホールから伸びる廊下を進み、中庭を横切る渡り廊下を歩く。
途中で、彼女は見知った人物が庭の花を眺めていることに気付いた。花壇を見下ろすように立ち、手には日傘を差している。桜色と紅色のが映える素敵なものだ。
「ヘクセル、さん?」
「あら。……晶穂、でしたかしら」
「ええ」
晶穂は少し身構えた。ヘクセルと一対一で話したことはほぼないし、彼女は晶穂をライバル視している気がする。更にヘクセルはリンに対して思わせぶりな態度を示すこともあって、前回晶穂は夢中でリンの腕を抱き締めてしまったが。
「どうかなさいました?」
ヘクセルは、妹姫の自室のあるこの渡り廊下の先からやって来た。晶穂が小首を傾げて問うと、彼女は晶穂の容姿を上から下まで見た上で、とんでもないことを言いだした。
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