第270話 反撃開始

 いつの間にやら夕闇に覆われた部屋で、リンは少女に寄り添っていた。寄り添うとは言っても、ベッドに眠る彼女に添い寝しているわけではない。そんなことをすれば、心臓が持たないことは必定だ。

 リンは今、外宮の一室でベッドの横にある椅子に腰かけていた。目の前には、力を使い果たして眠る晶穂の姿がある。

 さらりとした灰色の髪が、晶穂の顔にかかる。それをそっと除けてやり、リンは苦笑いした。

「全く、お前はこっちに来てから倒れること多くないか? ……そんなに誰にでも優しくするなよ、晶穂」

 その言葉がそのまま自分にも当てはまるものであることには気付かず、リンは少し寂しげに晶穂の髪を梳いた。

 たった二人きりの室内に、穏やかな時間が流れる。やがて月の光が窓から差し出されるようになった。

「そろそろ、か。晶穂、またあとでな」

 これから、エルハたちと今後の話し合いなのだ。そこで決まったことを、目覚めた後に晶穂にも教えようと思っている。

 リンが晶穂を抱えて空から帰って来た時、待ちくたびれていたであろうノエラが大興奮した。また彼女はリンが空から降ってきたことにも驚いていた。驚きが興奮に拍車をかけたのだ。

「おひめさまとおうじさまみたい!」

 そう言って、目をキラキラと輝かせた。リンは晶穂が起きてはいけないからとノエラに口にチャックをするよう頼み、次いで一部屋借りたい旨を伝えた。

「それなら、晶穂が使っている部屋でいいじゃないか。客間の一つだしな」

「あ、ああ。そう、ですね……」

「歯切れが悪いな? ……ああ、女子の部屋に無断で入ることに抵抗があるのか。初心うぶだねぇ」

「……」

 にやにやとおちょくってくるクラリスを無視し、リンは晶穂を抱きかかえたままでこの部屋にやって来たのだった。

 それから数十分が経っている。リンが静かに戸を閉めた後、ベッドの上で晶穂は悶えていた。

 実は、つい五分ほど前には意識が戻っていた。しかし目を開けようにも、緊張でリン相手にどんな顔をすればいいのかわからない。

「優しすぎるのは、リンのほうでしょぉぉぉ……」

 夕焼けよりも真っ赤に染まった顔を両手で覆い、晶穂はしばらく動くことが出来なかった。




「お待たせしました」

 リンが戻ると、皆が席についていた。食堂でもあるその場所では、机の上に軽食が置かれている。簡単な夕食を食べながら話し合おう、ということになったのだ。

 ずずっと緑茶を飲んでいた克臣が、リンに隣へ座るよう促す。ジェイスとの真ん中だ。

 上座にはヘクセルが座り、隣が空いている。そして左右にリンたちと、エルハとサラが座っている。

「後で、兄上も来るから」

「王太子殿下が? 抜けて大丈夫なんですか?」

「大丈夫とかそうじゃないとかの境界は越えているからね。僕たちが見たネクロの魔力は、危険極まりない。早めに消さなければ、国が堕ちる」

「……エルハさん、何か変わりました?」

「ちょっと覚悟を決めただけだよ」

 リンの顔が深刻に歪むのを見て、エルハは邪気のない笑みを浮かべた。それだけでこの青年を落ち着かせることが出来るとは思っていないが、最善策はそれしかない。

「……わかりました。話の腰を折りましたね、続けましょう」

 リンは表情を改め、いつものクールな装いに戻る。

(あ、これは納得してないやつだな)

 しかし、これ以上はまだ話せないのだ。エルハは気持ちを切り替え、イリスから聞いた事案を皆と共有した。それに付け加え、ネクロをトーナメント戦におびき出すことも伝える。

「……つまり、ネクロをそのトーナメントとやらで倒しちまおうって算段かい?」

 クラリスが頬杖をついてにやりと笑った。面白そうなことするじゃないか、とその瞳が語っている。

 彼女の隣で黙っているのは融だ。彼もまた、静かに音もなく拳を握っている。ノアが「ほう」と一声鳴き、羽音をさせずに融の肩に止まった。

 何だかんだ言いつつ、二人は国の軸を担う近衛官人の一員だ。自分の力を示すことが出来るとあらば、ネクロ打倒もそれ以上の価値を持つ。

 エルハはそれそれの顔を順に見て、クラリスの言葉に頷いた。

「そうです。だけど、それへの出場者は―――」

「それはもう、わたしが決めているよ」

 エルハの言葉に被せてきたのは、涼しい顔で戸を開けたイリスだった。軽く息を弾ませているところを見ると、急いで来たのだろう。

「兄上」

「兄上! 公務は大丈夫ですの?」

「エルハ、ヘクセル。ある程度片付けて、後は明日やるよ。それよりも、重要なことがある」

 イリスはヘクセルから水を一杯受け取ると、ぐっと飲み干した。

「―――はぁ。ありがとう、ヘクセル」

 イリスはコップを机の上に置くと、ようやく席に腰を落ち着けた。

 いつも手に持っている黒の革鞄は、執務室に置いて来ている。それがなくとも、今回の絵図はイリスの脳内に入っているのだが。

 イリスは指を組み、全員が自分に注目していることを知った。そして目の前の彼らの協力がなければ、国難とも後に記されそうな現状を打破出来ないと知っている。

「武術トーナメント。これは一週間後に行なう。出場するのは、武官省に籍を置く若手たちだ。また希望すれば貴族も参加可能だが、手を挙げる者はいないだろう。皆、己の実力を示す良い機会だと捉えてくれている。アゼル武官長によれば、訓練での士気も上がっているらしい。喜ばしいことだね。さて―――」

 前置きはこれくらいにしておこう。

「僕らの中からも、一人、参加してもらう。わたし、イリスの推薦枠だ」

 そう言って、イリスはその一人の名を挙げた。少し残念そうなメンバーもいたが、イリスの話はまだ終わらない。

 味方同士で戦っても意味がないからね。そう言って、王太子は仮に作ったというトーナメント表を見せた。二つのブロックに分かれており、それらの最終勝者が決勝でぶつかり合う。片方の最終勝者はネクロで間違いない。

「他の者には、大切な役割があるんだ」

 イリスの言葉に全員が耳を傾け、頷いた。

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