第269話 神子の白花

 晶穂が咲かせた白銀の花は、紫花の攻勢を退けてその花を太陽の下に広げた。それでも毒を持つ蔓は、晶穂の息根を止めんと殺到する。

「はぁっ!」

 その全てを目の前で切り刻んだのは、リンの刃だ。目にも止まらぬ速さで幾重にも斬撃を繰り返す。

 晶穂はリンがこれ以上の怪我を負わないよう願いながら、己のやるべきことに集中した。

 彼女のすべきこと。それは、紫の毒花を無力状態に追い込んだ上でネクロに近付く道を作ることである。

 全力で集中力を最高潮まで高め、神子の力に呼び掛ける。瞳の透明な水色が輝き、その光の範囲を外へと広げていく。

 その間にも迫り来る蔓をはね除け続けているのは、リンだ。更に、状況を理解したジェイスと克臣も参戦する。

 遠距離を得意とするジェイスの矢と、大きな威力を発揮する克臣の大剣が唸りを上げる。

 一部がようやく、花の上に立つネクロに届いた。

 つ、と目の上に切り傷が走る。その血が目に入る前に手の甲で拭い取り、ネクロはその気配をより暗いものへと変貌させた。

「うっ……」

「死ねよ、女」

 ネクロの言葉と共に、鋭利さを増した刃のような花弁が飛散する。それらは、土砂降りのように晶穂に降り注いだ

「晶穂ーーー!」

 花弁を切り落とそうとしたリンの脇を、全ての花弁がすり抜けていく。一部がリンの太股を傷つけていく。

「くっ……!」

 がくんと膝をつきそうになるのを堪え、リンは瞬時に剣を杖に持ち代えた。そして、力一杯流れ星のような光の弾を放つ。

 光の弾は三分の一ほどの花弁を地に落とした。それでも全てには程遠い。

 万事休すかと思ったその時、花の蔓が先から崩れた。それに驚いたのは、リンたちだけではない。

「何っ?!」

 ネクロが初めて余裕をなくした顔を見せる。彼の見開かれた瞳の先には、透明な白銀の花に包まれてそちらを睨む晶穂の姿があった。

 どうやら花で防御し、加えて浄化したらしい。

 晶穂は花を消すと、すっと右手を前に差し出した。その指先から再び花が展開され、ネクロに向かって花を開く。

「これで、花を消せる!」

 白銀の花からその身を削るように放たれた無数の小さな花弁が、渦を巻いて紫花に突進する。

「クソがっ!」

 ネクロも応戦を試みるが、花弁の勢いに圧されてバランスを崩した。その隙を突いて、神子の力が凌駕する。

 紫の花は削り取るようにその身を消し去られ、後には何も残らない。残ったのは、ギリギリと歯を噛み締めるネクロの姿だけだった。

 神子の力を放出して肩で息をする晶穂が、立つ力を失ってよろめく。その体を、リンは抱き留めた。

「晶穂、よくやった」

「あはは……。ね、役に立ったでしょ?」

「ばか。役立たずなんて思ったことは一度もないぞ」

 渋面を作るリンに、晶穂はほっとした顔で微笑んだ。

「……うん、ありがと」

「お、おいっ」

 かくん、と晶穂は体の力を抜いた。何かあったのかと慌てたリンだったが、ただ力の使いすぎで眠っただけだとわかるとため息をつく。

 その傍に下り立ったジェイスと克臣は、二人の無事に安堵した。しかし、ネクロが再び何かを仕掛けてこようと身構えたのを見て、後ろの二人を守るように立ちはだかる。

「───そこまでだ」

 ネクロが毒の魔力を解き放とうとしたまさにその瞬間、両者の間に人が下り立つ。それが誰かを理解し、克臣は思わず声を上げた。

「エルハ?! お前、どうしてここに……」

「こいつに用があったので。皆さん、ここら一帯を焼け野原にでもするつもりですか?」

 苦笑気味になりながら立ち上がったエルハの目線を追えば、ネクロの屋敷の庭にあった噴水は折れ、木々は薙ぎ倒されていた。更に塀も一部が倒壊し、後少し戦いを続けていれば隣地へも被害が拡大する恐れがあった。

「あっ……」

 ばつの悪い顔で互いを見ているリンたち仲間を放置し、エルハはネクロに近付いていく。

「エルハさん、危ないです!」

「大丈夫だよ、リン。……ネクロ補佐官、アゼル武官長からのこの提案書に見覚えがあるだろう?」

 そう言って、エルハは一冊の提案書類をネクロの面前に出した。

「……それは、武術トーナメントというふざけたイベントのもの、だな」

 思いの外素直に自分の問いに答えたネクロに、エルハは「そうだ」と頷く。

「これを、王宮側は受け入れた。……ネクロ、決着をつけるなら、この中でやらないか?」

 このまま戦闘を続ければ、他所にも甚大な被害が起こりかねない。トーナメントであれば、いくら暴れても支障のない闘技場が用意される。

「……良いだろう。首を洗って殺されるのを待っていろ」

「その言葉、そっくりそのままお返ししておこう」

 ネクロの捨て台詞に、エルハはより冷徹とも取れる声色で返してみせた。

 踵を返して歩み去るネクロを見送り、エルハは「ふうっ」と緊張の息を吐き出した。

「みんな、お疲れ様でした。ノエラたちが首を長くして待ってますよ。きっと」

 そこにいたのは、いつものにこやかなエルハだった。

 リンは命拾いをしたような安堵感を覚えつつも、ただ先延ばしになっただけだよな、と思い直す。

「そういえば、武術トーナメントってなんですか?」

「リンたちは知らないよね。僕もさっき兄上に聞いたから。……アゼル武官長からの提案だということなんだけど」

 そう切り出して話そうとしたが、ふとエルハはここがネクロの屋敷地であることに気がついた。苦笑いして、親指を後方を示すようにして立てた。

「とりあえず、外宮に戻ろう。みんな怪我もしているし、晶穂も休ませないと。あとのメンバーにも聞いてもらった方が良いからね」

「確かにそうだね。リン、晶穂は頼んだよ」

「はい」

 即答したリンは、晶穂をお姫様抱っこして立ち上がった。その様子を見て、克臣とジェイスが温かく見守っていたが、リンはそれに気付かない。エルハもあえて口には出さなかった。

「俺、先に行きますね」

 そう言ってジェイスたちの了承を取ると、リンは黒い翼を広げて飛び上がった。銭湯での傷よりも、晶穂のことが心配なのだろう。

 リンと晶穂を見送り、ジェイスは他の二人に呼び掛けた。

「わたしたちも行こうか」

「ああ。人が集まってくる前にずらかろうぜ」

「……克臣さん、それは泥棒の台詞ですよ」

 克臣の言葉に、エルハが軽く突っ込みを入れる。

 三人が姿を消した後、屋敷の庭には静かな風が吹き付けていた。

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