第267話 毒を持つ屋敷の主

 リンたち四人は、ノアの導きでネクロの屋敷近くまで来ていた。近所はどれも、高い塀に囲まれた城のような建物ばかりだ。そんな中で、ぽつんとある空き地にいる。

 そのあたりは所謂高級住宅街なのだ、と出発前にクラリスが教えてくれた。王宮に仕える役人たちの中でも上位官が、このあたりに屋敷を構える。

 現在、午前十時を過ぎた頃だ。

 ノイリシアは、ソディリスラよりも季節の流れが早いらしい。春の暖かな空気が、緊張感で冷えた体を温めてくれる。

「あそこ、ですね」

 晶穂が指差したのは、堅牢な鉄格子のような門を備えた屋敷だ。庭の手入れをしていないのか、蔓性植物が塀の外側まで伸びている。

「ああ、あそこだろう。ノアも見つめてる」

 首肯したリンの目の先には、近くの木に留まったノアの白い姿があった。鳴くことはないが、その鋭い目を向けることで、彼はリンたちに目的地を指し示す。

「ありがとう、ノア。あとは俺たちがやる。融たちに届ける映像だけ頼んだ」

「───ほぅ」

 任せろ。そう言わんばかりに胸を張り、ノアは何処かへ飛び去った。恐らく、リンたちの邪魔にならないところから映像を撮るのだろう。

 今回、ノアの胸元には小型カメラがぶら下がっている。それを用いて、逐一映像を外宮にいる融とクラリスに送るのだ。

「さて、と。少しジェイスさんが戻ってくるまで待ちましょうか」

「あいつ、まだ帰って来ないな。ま、おおよそその辺りの貴族の奥様方に捕まってるんだろうけどな」

 くくっと喉を鳴らすように笑った克臣は、情報収集に行った幼馴染の行動をそうやって推測した。

 克臣の手には、愛用の大剣がある。何時でも敵前突破するつもりである彼は、それでも戦意を極力抑えていた。

 それはリンと晶穂とて同じことだ。リンの手には杖が握られ、晶穂は氷華と名付けた矛を掴んでいる。

 毒は、何時何処から襲いかかってくるかわからない。その際刃がどこまで役に立つのかは未知数だが、武器がないよりはある方がいい。

 ちらっと、リンは隣で固唾を呑んでいる晶穂を見やる。本当は、ここに連れてくるつもりはなかったのだ。しかし、晶穂が言い張った。

「もしも、毒に侵されたら解毒はどうするの? ……わたしの神子の力なら、毒も浄化出来ると思う。だから、一緒に行く」

 確信があったわけではない。だが、無策よりはましだろう。

 神子の清浄な力は、悪しきものを遠ざける。

 そんなことを考えながら息を詰めていたリンは、不意に近付く気配に気付いた。敵意は感じないが、戦意を伴った気配。

 距離、十数センチ。勢いよく振り向くと、そこには少し疲れた様子のジェイスが立っていた。

 ジェイスはリンたちのような私服ではなく、王宮に仕える武官の制服を着ている。これは、ネクロについて尋ねても怪しまれないだろうという配慮だ。

 目に見えて気を抜いたリンは、ジェイスに「お帰りなさい、どうでしたか?」と尋ねた。

「ネクロは、曾祖父の時代からここに屋敷を構えている名家だと誰もが言ったよ」

「父親は元武官長なんだろ? そりゃ、坊っちゃんだよな」

「裕福であることには代わりないけど、どうやら幼い頃に父親が亡くなって、苦労はしたようだよ」

 先代王の後を追うように亡くなった父親の背を追おうと、がむしゃらに鍛練を続けていたという話があった。人に怪我をさせても攻撃を続けるような鍛練の仕方で、やがて幼いネクロの傍から同年代の友人の姿はなくなっていったのだという。

 なんとなく車座になり、リンたちはジェイスが仕入れてきた話に耳を傾けた。

「違法魔力を得たのは、ここ数年のことらしい。ある日、屋敷の中から悲鳴に似た叫び声が聞こえたと証言する人がいたよ」

 その人は通報しようかと思ったが、その後に聞こえてきた笑い声を聞いて記憶に蓋をすることにしたのだという。

 晶穂が小首を傾げる。

「何でですか?」

「あまりにもおぞましく、次いで恐ろしい気配を感じたからだそうだ」

「そう言うけど、よくそんな話をよそもんにしてくれたよな」

 普通、警戒するものじゃないのか。克臣の言葉に、ジェイスは困った顔で笑った。

「人は、言ってはいけないこととわかっていながら話したくなるものだからね。もう何年も前のことだと言っていたから、時効だと自分を納得させたんじゃないかな?」

「そんなもんか?」

 わかんねぇな。克臣はそう言って苦笑すると、ネクロの屋敷の方向を見た。

 その時、四人に戦慄が走る。

 ぼわっ。突然、屋敷の方角から黒い煙のようなものが上がった。焦げ臭いにおいは流れてこないが、リンの肌にぞわりと鳥肌が立つ。

「リン」

 ジェイスがリンの肩に手を置く。大丈夫だとでも言うように、緊迫感のある表情で頷いて見せた。

 リンは乾いた喉に唾を呑み込むと、ゆっくり立ち上がった。

「どうやら先方は、待っていてくれるみたいですね」

 杖を握り締め、リンは眉間にしわを寄せた。その隣で、克臣が大剣を肩に担ぐ。

「ここで、俺たちを倒してしまうつもりだろうな。……いつの間に、王宮との繋がりを知られた?」

「さあね。ただ、何処かに向こう方とパイプ役を務める誰かがいるのは確かだろうね」

 気の魔力で弓と矢を創り出したジェイスが、頼もしい笑みを見せる。

 晶穂は震える己を自覚していたが、それを抑え込んで前を向いた。隣にはリンがいて、ジェイスがいて、克臣がいる。

(独りじゃない)

 それが、どれほどの力になるか。

 晶穂は小さく頷くと、屋敷へと向かうリンたちの背を追った。


 屋敷からは黒い煙が立ち上る。しかし、それに気付いて騒ぐ人々の姿はなく、不気味なほどに静かだ。

 リンたちが屋敷の前に立つと、重たそうな門が音もなく開く。中へと進み、小さな庭を突っ切る。

「……いた」

 影のような煙の中、一人の男がこちらを向いて立っている。

 三十代前半に見えるその体は筋肉質だが、顔は影を色濃く帯びる。その暗い顔に、ニヒルな笑みが浮かんだ。

「ようこそ、はぐれ王族の仲間たち」

「……初めましてだな。ネクロ補佐官」

 ネクロはリンの言葉に答えることなく、腰に佩いた剣の柄を掴んだ。


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