第265話 イベント
翌日。エルハとヘクセル、クラリスは、王宮に出仕した。
リンたちはネクロの屋敷近くで情報収集をした後に、ネクロと対峙する予定だと聞いている。エルハたちの役目は、王宮での敵の動きを見極めることだ。
ヘクセルは、イリスから回されてくる事務仕事を黙々と続けていた。
「ヘクセルは、仕事をする姫君なんだね」
「何? ただお茶して喋ってぼーっと過ごしている物語の中の姫君だと思っていたってことかしら?」
紅茶の入った温かいカップを置きながら、エルハが少しの素直な驚きを込めて言った。するとヘクセルは、気を悪くしたのか少々つっけんどんな物言いで返す。
「そんなことは言ってない。だけど、僕がいない間に変わるものだなと思ったんだ。昔は、庭を走り回って、いたずらして、侍女長に叱られていたから」
「ちょっ……変なこと思い出さないでくれるかしら」
ペンを止めて顔を赤くするヘクセルに「ごめん」と謝り、エルハはお詫びにとクッキーを差し出した。ベリアをすりつぶして入れたものと、チョコチップのものの二種類だ。
クッキーをつまんで食べ、紅茶を飲むヘクセルは幸せそうだ。一息つくと、ヘクセルは書類の束をトントンと机で整える。
「イリス兄上にだけ、重責を押し付けるわけにはいきませんもの。ただでさえ政敵と支持者との軋轢の狭間にいて、政務を父上から引き継いだ形になっているわけだから」
「そうだね。僕の代わりにしてくれて有り難いと思ってますよ、姉上」
「こんな時だけ呼ぶのね、姉上って」
呆れた、と苦笑いを浮かべながら、ヘクセルは席を立った。イリスのところへ、整理し終えた書類を提出しに行かなくてはならない。
「戻る時、寄り道しましょう」
「寄り道?」
何処へ行くのかとエルハが問うも、ヘクセルは笑うだけで答えない。
ヘクセルの自室を出て、イリスの執務室へと向かう。その距離は歩いて五分程だろうか。短い間にも、見事な植物の装飾を施された渡り廊下の手すりや、美しく華やぐ中庭などを見ることが出来る。
中庭には、文官が二人事務連絡らしき話をしている姿を見かけた。ヘクセルによれば、二人はどちらもアスタール文官長直属の部下らしい。
アスタールの他にももう一人、補佐官と呼ばれる女性がいるという。彼女と出会う機会があるかはわからないが、エルハは気に止めておくことにした。
二人は中庭を通り過ぎ、イリスの執務室前へ立った。ヘクセルが戸をノックする。
「兄上、ヘクセルです」
「入ってくれ」
許可を得て、二人は戸を開けた。その先では、イリスが一人、大量の書類と格闘していた。書類の電子化などが発達する現代日本と異なり、ソディールはまだまだ紙文化だ。
インクで汚れた指を拭き取り、イリスは弟妹に笑みを向けた。
「やあ、二人ともありがとう」
「兄上を支えるのも妹の役目ですわ」
少し得意げな顔で兄に書類を手渡し、ヘクセルはイリスの手元を覗き見た。
「……『武術トーナメント』? 兄上、何か催しでもなさるのですか?」
「そうなんだ。……いや、まだ本決まりではないんだけどね。実は武官省から、若手の能力向上のために武術大会を開いてはもらえないかと打診されたんだ」
現在の王に代替わりしてから、武官や兵士の活躍の場は目に見えて少なくなった。以前は積極的に軍備増強を推し進め、武力の競い合いや大会などが多く催されたものだ。
しかし現在、争いを好まない王になってからは文官がより重用されている。血の気が多い武官は衛兵や門番、遠方兵などの役職が与えられているものの、その血をたぎらせるほどの活躍を見込めない。
王が病床にあることは承知の上で、その病の退散を願う意味でも血気盛んな若者たちに活躍の場を与えてやって欲しいとの声が上がっているのだ。
「アゼル武官長が、悩みながらもこの計画書を持って来て下さったんだ。あの方も難しい立場であることは間違いないから、無下にも出来なくてね」
アゼルの部下の一人として、ネクロがいる。更に平穏な世の中に飽きた武官や兵士の中には、ネクロの企てに賛同している者もいるとか。
イリスからその計画書を見せてもらったエルハは、ふと思いついたことを口にした。
「……これを使いましょう」
「エルハ、何か浮かんだの?」
「ええ。うまくいけば、ネクロを公の場で断罪出来る」
エルハが指したのは、計画書の出場者条件の欄だ。そこにはいくつかの項目が記されている。
「ここには、こう書かれていますよね。『この中で一つでも当てはまる項目のある者は、参加することが出来る。一、王宮に仕える武官・兵士であること。二、王族または貴族であること。三、王族の縁者であること。』……ネクロは武官省の補佐官ですし、僕は元を正せば王族です。そして、リンたちは王族の縁者となる」
エルハが言わんとしていることがわかり、イリスが目を瞬かせた。
「もしかしてエルハは、このトーナメントでネクロを倒そうっていうのかい? リンくんや自分たちが勝ち残ることで?」
「勿論、これで相手が手を引くなんてことはないでしょうが、牽制にはなります。それに、ちょっと目を覚まさせてやりませんと」
ここ数日、エルハは王宮に出入りするようになって耳にするようになったことがある。王宮内における、ソディリスラの評判だ。
貴族たちは、国もないソディリスラを異端の地、蛮族の地として蔑む傾向にある。あまり大きな声で話している所に行き当たったことはないが、今日もソディリスラの商人から買い叩いたという高品質の布の話を聞いた。
この国しか知らないにもかかわらず、知りもしない、知ろうともしない地についてああだこうだと言う。エルハは純粋にソディリスラが好きだから、気に入らないのだ。
「だから、ソディリスラにはこんなに強く優しい人々がいるのだと知って欲しいのです。……なんて、ちょっと興奮し過ぎましたね」
柄にもない。そう苦笑するエルハに、イリスは優しい笑みを向けた。
「エルハは、良い場所にいるようだ。本当は戻って来てほしい所だったんだけど、大切な仲間と離れさせるわけにもいかないね」
「兄上……」
「ふふっ。じゃあ、これは進めるとしようか。また詳細が決まり次第、伝えるから待っていて。……ヘクセルはこの後どうするんだい?」
イリスに話の矛先を向けられ、ヘクセルは破顔した。
「エルハをある人に会わせようと思っていますのよ、兄上」
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