第263話 得られぬ物を追う者

「ヘクセル様、彼は……?」

「ああ、エスコッドのことかしら?」

 アゼルはヘクセルの斜め後ろに控えるエルハをそっと見て、ヘクセルに尋ねた。しかし彼女は、エルハとの約束を守るために本名は口にしない。

「エスコッド殿、と申されるのですか。……何処かで見たことがある気がしたのですが、気のせいでしょう」

 うんうんと一人納得したアゼルに胸を撫で下ろしたエルハとヘクセルは、ちらりとだけ目を合わせた。

 ヘクセルが「そうでしょうね」とアゼルに同意し、話を再開する。

「彼はわたくしの従者であり、信頼する人だから。何を話しても何処かで言いふらすなんてことは決してないわ」

 だから安心して。ヘクセルは微笑んで、優雅な仕草で冷えた紅茶のコップを手に取った。

 エルハは黙って微笑を浮かべたまま、二人の様子を観察していた。ヘクセルは、名前遺骸の嘘を全くついていない。今エルハはヘクセルに付き従っているわけであるし、異母とはいえ姉弟で対立してもいないのだから他所で何かを言いふらす必要性もない。

「全く、大したものだね」

 この会合後、帰りしなにエルハはそう言うのだが、ヘクセルは「そうでしょう?」と得意げな顔をして腰に手を当てることになる。

 兎も角も、ヘクセルの説得に応じたアゼルは、腕を組んで天井を見上げた。何かを思い出すように。

「……ネクロは、亡き父親が大好きでしてな。父親の夢を叶えようと必死なのですよ」

 ネクロの父親カグロは、歴代でも五本の指には入るほどの猛将として名を馳せた。アゼルはそう言って、懐かしそうに目を細めた。

「本当の戦争に出たのは、あの世代が最後でしょう。私も武官長という立場ではありますが、ちょっとした暴漢との喧嘩以外に命の取引をするような戦いに身を投じたことはありません。それほどに平和な時代に生まれ育っているという幸福を思いながらも、カグロ武官長の雄々しさには尊敬の念を抱いていたものです」

「カグロという武官長の話なら、父上から聞いたことがありますわ。先代王の側近であり、よき相談空いてであったらしいと。ただ父上は、その威圧的ですらある容姿を怖がっていたそうですけれどね」

「あの方は、どちらかと言えば頭脳派だからな。腕っ節は全くですよ」

 現王と幼馴染だというアゼルは、そう言って声もなく笑った。

「兎も角、そのようにして仲の良かったお二人は、ある時『神庭の宝物』が実存するという考えに囚われました」

 表情を改めたアゼルが、紅茶を一口喉に流し込んだ。その言葉を聞き、ヘクセルは身を乗り出した。

「そう、その宝物についても知りたいの。アゼル武官長が知っている限りで構わないわ」

「宝物……『神庭の宝物』は、その実存すらも確認されたことのない、伝説上の宝です。正直、これがあると信じている人は極一握りでしょうね。ご存知の通り、それを手に入れれば世界を我が物に出来るという代物ですよ」

 それ以上は知らないのだと、アゼルは首を横に振った。

「そう……。良いですわ。自分たちで調べます。では、ネクロとその父親たちについてお願いしますわ」

 残念そうに眉を寄せたが、ヘクセルはすぐに気持ちを切り替えた。

「カグロ前武官長は、軍を編成して神庭へ侵攻すべきだと先代王を説得しました。いや、説得したとは言うが、王も乗り気だったのは間違いありません。他国との戦が国の発展の近道だ、と信じて疑わなかったという方ですからな」

「でも、行われなかった。そんな記録は存在しませんわ」

「ヘクセル様のおっしゃる通り、記録も事実もありません。何故か。……先代王が呪いをかけられたから、というのが当時の噂でしたな」

「呪い?」

 ヘクセルは眉を潜めたが、エルハはその噂を知っていた。直接聞いたわけではないが、書庫の中に当時の王族の日記があり、その中に書かれていたのだ。『王、呪いによりて死す』と。

「呪いによって王は病床につき、ひと月も経たない間に亡くなったとか。だから、計画は頓挫したのです」

 それは、アゼルたちが十代後半に差し掛かっていた頃のことだ。シックサードはその時既に王太子として擁立されていたが、王位を継ぐ必要性に迫られた。

「私とアスタールは、よく相談を受けましたよ。自分はどうすべきなのか、と」

「……父上も悩んだのね」

 アスタールとは、現文官長の男である。アゼルと同じくシックサードの幼馴染である。

「まあ、そんなこともあり、カグロ前武官長は野望を果たすことなく亡くなりました。先代が亡くなってから数年後だったと記憶しています」

 その後、ネクロは王宮仕官を希望したのだという。

「ただの人であるネクロに魔力など備わっているはずがない。……けれど、彼は毒を操る魔力を持っていました。それが違法魔力等と呼ばれる代物であると知ったのは、あの事件の後でしたな」

「……あの事件、とは、毒魔力の暴走によって何人もの死傷者が出た事柄ですね」

 思わず口を挟んだエルハに、アゼルは驚くこともなく首肯した。

「記録はあるから、読んだのでしょうな。エスコッド殿。その通り、あれはネクロが仕官を始めて数ヵ月後のことでしたな。……あれを本人は暴走だと言い張りましたが、私は意図的なものだとふんでいます」

 自分の力を試したかったのでしょう。アゼルはそう息を吐くように言った。

「その頃から、ネクロは職務を放棄することやサボることが増えました。噂によれば、何やら実験を繰り返しているようだ、とも」

 今のところ、それ以上の情報はない。アゼルは首を横に振り、新たなことがわかればすぐに連絡をくれると約束してくれた。



「これが、アゼル武官長から得た現時点での情報全てです」

 エルハの言葉は、静かな会議室に響いた。

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