第260話 痛みの訳は

 晶穂が目を覚ますと、そこはよく知る自分の部屋のベッドではなかった。落ち着いた雰囲気の照明に、木目の天井が見える。ベッドはふかふかだ。

「ここ……」

「起きたか、晶穂」

 天井を向いていた晶穂の前に、リンが顔を出した。彼と目が合った瞬間、晶穂の顔に赤みが差す。

「え? ……何でリンが」

「お前、庭でぶっ倒れたんだよ。融を止めようとして。覚えてるか?」

「あ……うん」

 徐々に鮮明になる記憶。融がアクシデントによって素顔をさらしてしまい、それを見られたくないが為に起こした暴走。それを思い出し、晶穂は上半身を起こしてリンに「融さんは?」と尋ねた。

「無事だ。今は自分の部屋で休んでいるはず。ノエラとクラリスさんが様子を見てくれているから、大丈夫だろ」

「そっか。よかったぁ」

 へらっと微笑んだ晶穂の額に、リンの手が置かれる。びくっと体を震わせた晶穂に、リンは「よかった、熱はないな」と安堵した声で言う。

「あ、熱」

「他に何かあるのか?」

「ううん! 何も!」

 ぶんぶんと首を横に振り、晶穂はくらっと目眩を感じて額を押さえた。その様子に、リンは晶穂の肩を掴んで寝かせた。

「寝とけ」

「え、でも」

「そのままでいい。もうみんなには話したけど、晶穂にはここで話す」

「何を?」

 目的語が抜け落ちた言葉に対し、晶穂が頭に疑問符を浮かべる。

「俺たちが見てきたことと、知ったことをだ」

 それからリンは、今朝からジスターニと共に酒場へ行ったこと、その時聞いた内容、更にジスターニ自身から聞いた話を順番に晶穂に聞かせた。

 ネクロの亡き父と先代王の思惑と画策に至り、晶穂は顔を曇らせた。

「そのことで、今の王様が邪魔になったのかな?」

「そうなんだろうと思う。王、シックサード陛下は話し合いによる解決を目指しているそうだからな」

 ぎしり、とリンが座る椅子が音をたてた。

「でも今、陛下は病床だ。意識の混濁もあって、真面に政務をとることは出来ないと王太子であるイリス殿下に聞いた。政務は殿下が……イリスさんがするだろうが、それでも王宮に巣食う毒を全て見つけ出すことは難しい」

「……だから、わたしたちも出来ることをしないとね」

「まさか、俺たちが王国と名のつく国に飛び込むことになろうとは思わなかったけどな」

 苦笑し、リンは掛け布団の上に置かれていた晶穂の手に自分のものを重ねた。ぴくりとこわばる晶穂の反応をかわいいと思うのは、秘密にしておこう。

 まだエルハたちが王宮から戻って来ていない。彼らがネクロに関する新たな何かを掴んで来てくれればいいのだが。

「エルハさんたち、早く帰って来ないかな。サラが心配してるんじゃないかな?」

「正解。サラも俺がここに来る前からそこら中をうろうろしてて、ジスターニさんにからかわれてた」

「目に浮かぶなぁ」

 いつの間のか、窓の外では日が傾いていた。茜色に染まる西の空は、その光で室内も照らす。

「……なあ、晶穂」

「……」

 リンが反応のないことをいぶかしんで視線を動かすと、晶穂は規則正しい寝息をたてて眠っていた。彼女の片手はリンの手から逃げることなく、指同士が絡んだままだ。

「晶穂。……お前、神子の力を使ったらしいな」

 晶穂をこの客間のベッドに寝かせた後、クラリスに連れられた融がリンに話があると言って入って来たのだ。

 再びフードを頭にかぶっていたが、リンの前に座ると同時にそれを自ら取った。フードの下から現れたのは、リンが庭で見た通りの水色の乱れた髪と紫の瞳、そして火傷のような大きな傷痕だった。

「どうしたんです?」

「……お前は、おれの顔を見ても何とも言わないのか?」

「は?」

 目を瞬かせるリンに、付き添っていたクラリスが説明してくれた。

「融はね、この傷と容姿がもとで昔から何度も嫌な目に合って来たんだよ。悪口も、嘘だらけの噂も流されてきた。……なのに、そこのが」

「晶穂が、どうしたんです?」

 自分が駆けつける前のことだろう。リンは晶穂の力の抜けた手を痛くないくらいの力で握り締め、尋ねた。するとクラリスが声を発するよりも前に、融が口を開いた。

「おれが暴走しても、迷わず手を伸ばしてくれたんだ。いくら拒絶しても、大丈夫だから、怖くないからって。……おれは、なのに晶穂の手が触れる瞬間まで拒絶し続けた」

 謝らなくちゃいけない。そう、融は目を潤ませながら言った。彼女の力を使わせて倒れさせたのは自分だから、と。

「……必ず、起きたら晶穂に伝えますよ。融さんが謝りたいんだと」

 リンは融の誠意を感じ、笑みを浮かべて了承した。ほっと肩の力を抜いた融が、自分の胸に手を置いた時、嫌な予感はしたが。

「助かる。……なんでか、この辺りが痛い気がしたけど、気のせいだろうしな」

「……そう、ですか」

「? どうかしたのか」

 明らかに歯切れの悪くなったリンを融は心配してくれたが、それに「なんでもないです」と答えるだけで精いっぱいになってしまった。リンは、融が決してその痛みの正体に気付いてはいけないと自分に言い聞かせた。

 二人の様子を見ながら、クラリスがニヤついているのにはどちらも気付かない。

 リンはざわつく胸の内を沈めようと、強制的に話題変換を試みた。

「そんなことより、融さんは古来種、ですか?」

「……どうしてわかった!?」

「へえ」

 明らかに驚愕した融と目を見張るクラリスに、リンは融の髪の色と瞳の色を指摘した。クロザたちのことを思い出しながら、種明かしをする。

「特徴的な原色寄りの色。俺たちは古来種と関わることもありましたから、何となくそうなのかな、と」

「その通り、おれは古来種の血を色濃く引いている。……それを指摘したのは、イリス殿下に続いてリンが二人目だな」

「あんたたち、ただ者じゃなかったんだねぇ」

 感心するクラリスに、リンは苦笑いをするしかない。どうやら彼女の中では、今まで自分たちは「ただ者」であったらしい。

 融の中で、壁に小さな傷が入っていた。心の壁が、崩れ始めているのだ。淡い期待を持って、融は遠慮がちに提案した。

「……だから、か。なら、おれのこの顔の傷について話してもいいか?」

「はい」

 真っ直ぐな瞳が融を射る。融は深呼吸をすると、体調を気遣うクラリスを制して話し始めた。

「……幼い頃、病に罹ったんだ。その後遺症のようなものだ」


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