第258話 酒場

 時間は同日の午前まで巻き戻る。

 リンとジェイス、克臣はジスターニに導かれ、ネクロ一派の人間がよくたむろしているという酒場へとやって来た。

 その酒場の名は『夢あい酒場』。幾つも軒を連ねる酒場街の一角にある。

 午前中にも関わらず、そこかしこで酔い潰れた男女が眠っている。大きなイビキをかいて、大の字になっている人までいる。

 店の中では、まだ酒盛りが続いているようだ。一体、何時から飲んでいるのだろうか。

「酒場って……。酒は夜飲むものだと思ってたんですけど」

 リンが酒のにおいに酔いそうになりながら尋ねると、ジスターニはニヤリと笑った。

「お前、幾つだ?」

「二十歳ですけど?」

「なら、そろそろ酒の味を覚えても良いだろうに。オレが若い頃は、大人になった祝いの席でよく飲んだものだったがなぁ」

 このにおいで酔いそうなら、止めておけ。ジスターニはガハハと豪快に笑いながら、リンの頭をぐりぐりと撫で回した。

 リンが「止めてください」とその大きな手を退けるのと同時に、今度はジェイスが口を開いた。

「しかし朝から……いや、昨晩から? 飲み明かしている人たちからなんて、有力な情報を得られるとは思えませんが」

「正攻法で行こうと思うなら、そう思うのも無理はないな」

 お前、酒は? そう尋ねられ、ジェイスは「嗜む程度に」と答えを濁す。しかし、横から克臣が彼の肩に肘を乗せた。

「何言ってんだ? お前、幾ら飲んでも全く酔わないだろうが。前にテッカさんがびびってたぞ」

「途中に水とか挟んでいたからだろう」

「違うだろ。水を飲むように酒も飲んでたんだよ、お前は。鳥人ってのは、ザルなのか?」

「……わたしが知るわけないだろう」

 思わぬ事実を暴露され、ジェイスが珍しく頭を抱える。

「飲めるなら丁度良い。別に本当に体に入れる必要はないから、ちょっと付き合ってくれ」

 克臣も「お前は?」とジスターニに問われ、日本酒二杯が限度だと答える。

 宴会などは賑やかで好きだが、酒に飲まれるほど飲みはしない。最初に一杯飲めば、後は全てノンアルコールで済ますのが克臣の楽しみ方だ。

「よし」

 ジスターニは一つ頷くと、目の前の酒場『夢あい酒場』の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい」

「おう、親父。元気か?」

「ジスタさんじゃないか。久し振りだね」

 頭が寂しくなりつつある男性が、ジスターニに挨拶をする。店主だろう。彼はジスターニのことを「ジスタ」と呼んだが、それが愛称なのか偽名なのかは定かでない。

 ジスターニは朗らかに笑いながら、リンの肩を叩いた。

「今日は連れがいるんだ。奥の部屋借りるぜ」

「ああ、ゆっくりしてくれ」

 店主はリンたち三人をちらりと見て、特に何も言うことなく奥へと通してくれた。

「さて、とだ」

 個室には四人がけの掘炬燵のような机が置かれ、座布団が敷かれている。ジスターニはリンを置くに入れ、自分は出入りしやすい席に陣取った。

 メニュー表を開くジスターニに、リンはこれからどうするのかと尋ねた。

「待つんだよ」

「待つ? 何を……」

「あと五分もすりゃ、わかるさ」

 それだけ言うと、ジスターニはふんふんと鼻歌を歌いながらメニュー表から幾つか見繕って注文した。その中に酒が入っていることにリンは顔をしかめかけたが、あえて何も言わずに無難なノンアルコールのジュースを乞われるままに注文する。

 ジェイスは濃度の低いアルコール飲料を、克臣も同様だった。

「お待ちどうさまです」

「ありがとさん」

 店のスタッフがさがると、ジスターニは枝豆を摘まみながら喋りだした。

「お前らは、ネクロがどんなやつか知ってんのか?」

 ジスターニに問われ、克臣が最初に首を横に振った。

「いや、役職名くらいしか知らないですよ。な、ジェイス」

「ええ。その人がどんな容姿でどんな顔をしているのか、全く知りませんでしたね」

 迂闊だったな、と顔に書いているジェイスに頷き、リンも同意する。彼らの答えを聞きながら枝豆のみならずスルメも摘まみだしたジスターニは、白濁した酒で口の中のものを流し込んだ。

 ドンッと酒の入ったコップをテーブルに置き、ジスターニは笑った。

「じゃあ、これからそれの一端を知れるだろうよ」

「それはどういう……?」

 どういうことか。そうリンが尋ねる前に、店内がにわかに騒がしくなる。

 何事かとリンたち三人が顔を見合わせると、ジスターニは「来たな」と口端を吊り上げた。

「親父、強いやつ一杯くれや!」

「またかい? そろそろ止めておかないと、奥様にどやされるんじゃありませんかね?」

「いいだろう? 仕事の鬱憤が溜まりに溜まってるんだ。少し、発散させてくれよ」

「わかりました。お連れの方は?」

「あ、わたしも同じもので」

「承知致しました」

 隣の個室に、新たなグループ客が入ったらしい。声の数からして、二人組のようだ。彼らは同僚なのか、早速職場での愚痴をこぼし始める。

「ったく、宮仕えってのは楽じゃないな」

「ほんとですよ。補佐官殿はいつも突然いなくなるし、武官長が黙認してるのをいいことに……」

「まああれは、黙認っていうよりも諦められているってことだと思うがね」

 宮とは王宮、補佐官殿はネクロのことだと推察される。隣室は王宮に仕える二人組だということがわかった。そして、ネクロに近い人物たちだ。

 思わずリンたちが聞き耳を立てていると、ジスターニが立ち上がった。その手には酒のグラスが握られている。

「ちょっ、ジスターニさんっ」

「待ってろ。そこから聞いていてくれればそれでいい」

 リンの制止を聞かず、ジスターニはひょいっと個室から出て行った。向かったのは、すぐ隣の部屋であるらしい。

「お邪魔するぜ、お二人さん」

「誰だ? お前……」

 リンたちが細く開けた襖から覗くと、ジスターニと隣室に先に入っていた二人組が楽しげに会話を弾ませていた。いつのまにか意気投合し、グラスをカチンッと合わせて会話は進む。

「そういえば、あなた方の愚痴の相手はどんな方にあたるんですか?」

 ジスターニの問いに、酒が入ったため横柄になり気持ちが大きくなってしまった男が「聞いてくれよ」と体を乗り上げたらしい。

「ネクロ様は、養子としても一人の人としても、頭が良くて容姿端麗で女にモテる! ……だが、根が暗すぎるというか、何を考えてるのかイマイチわからない不思議な人でなぁ」

「確か、今も何かやり遂げようとなさっているはずだぞ。最近、兵の訓練も見に来られないからなぁ……」

「そうそう! 確か、『神庭』がどうとか言ってたなぁ」

「……神、庭」

 ジスターニが一つの単語に反応したが、飲んで酔いが回っている二人組はそんなことには全く気付かなかった。

「貴重なお話、ありがとうございました」

「おう、いつでも来いよ!」

 まだまだ不平不満は続きそうだったため、ジスターニは早々に話を切り上げてリンたちのいる部屋に戻ってきた。

「ジスターニさん、あの人たちが来るってご存知だったんですか?」

「何、昨日か一昨日に王宮で飲みに行くのだと聞きかじったから。必ず来ると思ってたんだよ」

 リンの驚きの顔にしてやったりのジスターニは、不意に表情を改めた。苦虫を噛み潰したような顔をする。

「しかし、神庭が絡んで来るとはね……」

「その、神庭とは一体……?」

「俺も知りたいです。リンもだろ?」

「はい。教えて下さい、ジスターニさん」

 三人に問われ、ジスターニはため息をついた。

「……長くなる。場所を移すぞ」

 そう言って酒場を出るジスターニを追って、リンたちも彼と共に宮下町の一角に向かった。そこはジスターニたちが隠密活動をする時に使う拠点の一つだという、小さな何の変哲もない小屋だった。


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