第257話 嵐を止めろ

 晶穂の内側から、波動が広がる。それは融の荒れ狂う嵐とは異なり、春の陽だまりのような穏やかな力だ。

「───ッ」

 波動と波動がぶつかり、晶穂の髪が大きく翻る。

「どけっ」

 融の他を拒絶する力が、晶穂の力を上回ろうとする。しかし、晶穂も両手を前に突き出し、何とか耐え忍ぼうと必死だ。

「サラ、ノエラを守ってね!」

「わ、わかった!」

 二つの領域は拮抗し、サラとノエラを背後に守る晶穂は内心焦りを覚えていた。

 晶穂自身は攻撃型ではない。だから、リンたちと今回は別行動だ。自分でもどちらかと言えば回復役や防御方面に適性があるとわかっている。

 それでも、戦う力が欲しかった。氷華を使いこなそうと毎日鍛錬を欠かさないのも、そのためだ。

 だからこそ、ここで押し負けてしまえば背後の二人を守れない。リンが不在の今、融を正気に戻す力を持つのは、きっと自分だけだ。

「絶対、どかない!」

 晶穂の瞳の中にある水色の光が輝きを増す。それと共に、彼女が創り出す空間が力を増した。少しずつ、融の結界を押していく。

 また晶穂自身は気付いていないが、融の破壊によって壊され薙ぎ倒された木々や草花が、晶穂の力によって息を吹き返していく。折れた木の幹からは新芽が生え、花弁を剥ぎ取られた花は種を作っていく。完全にもとに戻ることはないが、新たな世代を育んでいるのだ。

「くっ」

 パシッパシッと強い静電気のような衝撃が、晶穂の体を貫いていく。その痛みに耐えながら、晶穂は一歩ずつ融に近付くために進む。

「だ……だいじょうぶ。大丈夫だから」

 まるで幼子や小さな動物に語りかけるように、晶穂は融の前にようやくしゃがみこんだ。

「……っ」

 はぁはぁ、と大きく肩で息をしながら、融はずるずると後退する。その右手は、傷痕を隠すように顔の半分を覆っている。

 相変わらず、晶穂を拒絶するように激しい突風が吹き付ける。融がどれほど素顔を見られることに恐怖しているのか、それが明白に現れているのだ。

「融、さん」

「───!」

 パシンッ。晶穂の伸ばした手に怯えた融から、衝撃波が放たれる。その小さな抵抗は、晶穂の頬に傷を作った。

 それでも、晶穂は手を伸ばす。伸ばさなければ、融はこの状況から抜け出さない。そんな気がしたのだ。

「───ぁ」

「怖くない、ですよ?」

 晶穂の手が、融の頬に触れる。見開かれた融の瞳に、穏やかな晶穂の顔が映り込む。

 彼女の手から、神子の力の波動が融に伝わる。それは永久凍土のような融の心に少しずつ、けれど確実に染み込んでいく。

 恐怖と拒絶に彩られていた融の表情が、徐々に穏やかなものへと変わっていく。そしてようやく、憑き物が落ちたような顔で、晶穂を見つめた。

 同時に、嵐は止んで静寂が訪れる。

「あき、ほ……?」

「融さん。よかっ……」

「晶穂?!」

 ほっとして微笑を浮かべた晶穂の体が、ぐらりと大きく揺れる。思わず、受け止めようと融は手を伸ばしかけた。

 しかし、彼女の体は別の誰かによって抱きとめられる。

 ぽすん、と晶穂が体を預けたのは、息を弾ませたリンだった。どうやら何処からか全力で走ってきたらしい。黒い翼が背中に生えていることから、その翼力も利用したか。

 リンは晶穂の呼吸が安定していることを確かめ、ほっと息を付く。わずかに、晶穂を抱く手に力がこもった。

「融さん、大丈夫ですか? 立てます?」

「あ、ああ……」

 融はフードが外れて素顔がさらされていることも忘れ、素直に頷いた。リンもまた、融の素顔に驚く様子すらない。

「なら、一度戻って体を休めてください。俺たちも報告したいことがあるので」

 行きましょう。リンは晶穂を抱き上げて、くるりとこちらに背を向けた。ついて来いということだろう。背中の翼が消え、人の背中が現れる。

 ぽすっと重さを感じて融が自分の脇を見ると、そこには目に涙をためたノエラの姿があった。ぎゅっと融の服の裾を握り締めている。

 融はゆっくりと姿勢を低くし、ノエラの目線に合わせた。

「すみません、ノエラ様。お怪我はありませんか?」

「ないよ。……よかった、とおるがもどってきた」

 ぽろりとこぼれ落ちた涙を拭い、ノエラは満面の笑みを浮かべた。彼女の頭を撫でてやり、融は先を行くリンの背中を見やった。

「……」

 心臓の辺りが、わずかに痛む。そんな気がして、融は首を傾げた。




 男は何もし終えずに戻ってきた者たちを締め上げ、問うていた。どうして、のこのこと戻ってきたのかと。一人も殺さずに帰るとはどういうことかと。

 紫の塊は今や人の指のように伸び、一人一人の首に、胸に巻き付いていた。

「お許しください……! ネク……さ……」

「予想外に、力を暴走させる者が……っ」

「くどい、な」

 これは悲願だ。男の一族と先代王の。それをこの代にて遂行せねばならない。

 それなのに、この体たらくはどうしたものか。

「……去れ。この世から」

「───ッ」

 くきっ。呆気ないほどに軽々と、紫の手はその首を折った。まるで、野の花を手折るように。同時に心臓も一刺しにし、幾つもの死体が男の前に作られた。

「……呑み込め」

 男の命令に従い、毒々しいその手は人間たちを吸収した。ぐちょぐちょと消化する音が妙に響く。これにより、男の魔力は更に強化される。

 ───どぷんっ

 紫の手は再び液体となり、男の影に溶けていった。男はそれが全て消えたことを確かめると、ふっと息を吐いた。

「必ず、成し遂げます。父上、先王様。……を、我が手に」

 男は拳を天へと掲げ、太陽を掴むように重ねた。そして、笑みを浮かべる。

「想定外に、邪魔者が増えたようだが……。何、我が魔力をもってすれば造作もない」

 毒は、形を変えて忍び寄る。体に、心に。気がつかぬ間に、侵される。

「この国は、造り変えられる」

 その為に、王というこの国の光を消さなければならないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る