第254話 再び外宮へ

 幼子の体力は底無しだ、とサラは思う。

 午前中から広い庭でのかくれんぼとかけっこ、更に午後からは屋内に場所を移し、おままごとにお絵描きに勉強。ノエラはそれら全てを心から楽しげに行い、サラを引っ張り回した。

「サラおねえちゃん、こっち!」

「もうっ、ほんとに元気だね!」

 呆れたという顔をしながらも、サラはこの状況を楽しんでいた。なにせ、恋人の妹に「おねえちゃん」と呼ばれ慕われるのだから。嬉しくないはずがないのだ。

「サラ、あんたが残ってくれて助かったよ」

 雑務や書類整理をしつつ、クラリスが笑った。融はノアと共に宮下町の見回りに出掛けて、まだ帰っていない。

「いえいえ。戦う力を持たないあたしに出来るのは、これくらいですから」

 サラは逃げるノエラを後ろから抱き締めて捕まえ、クラリスに笑いかけた。ちなみに今、二人は庭で鬼ごっこをしているのだ。

「あははっ。じゃあ、つぎはわたしのばん!」

「ふふっ。追い付けるかな?」

「まけないもん!」

 勿論、サラは全力で逃げることはしない。

 サラは猫人だ。全力を傾ければ、人間であるノエラから逃げることは容易い。ましてや、ノエラは五歳児だ。

 しかし、逃げ切ることがこの場合の正解ではなく、すべきことでもない。

「つーかまーえた!」

「捕まったかぁ」

 開始五分もせずにノエラに抱き付かれ、攻守は交代する。次は自分だとサラを見ながら走り出したノエラは、前からやって来る人物に気付かなかった。サラが叫ぶが間に合わない。

「ノエラ!」

「───きゃっ」

 ぽすん、と誰かにぶつかる。ノエラは慌ててその人を見上げる前に頭を下げた。

「ごめんなさい!」

「大丈夫かい、ノエラ?」

「え……あにうえ?」

 目を丸くして固まるノエラの言葉に、「危ない」と言いかけ伸ばした手を下ろしたサラが首を傾げる。

「兄上?」

「イリスあにうえ!」

「おおっと?!」

 勢いよくノエラに抱き付かれ、青年は少し口元を崩して彼女を受け止めた。ノエラの後から急いで立ち上がったクラリスは、青年の前に膝を折った。

「これは、王太子殿下。お迎えもせず申し訳ありません」

「気を遣わないでくれて構わないよ、クラリス。融とそこであったしね。いつもノエラとヘクセルをありがとう」

「はっ」

 眼鏡をかけた青年の言葉に、クラリスが最敬礼をとる。青年の後ろから顔を出した融の頭上を、バサバサとノアが飛んでいる。この梟は、融と一緒にいる時は羽音をたてる。警戒心がないということなのだろう。

「殿下お一人ではないよ、クラリス」

「どういうことだい?」

 融が門の方を見ると、エルハとヘクセルがこちらへ歩いてくる。

「ノエラ、ただいま」

「ただいま、ノエラ。いい子にしていたかしら?」

「おかえりなさい。あにうえ、あねうえ」

 にぱっと笑い、ノエラが手を振る。

 サラはエルハが戻ってきたことに安堵し、改めて初対面の青年に目を移した。それに気付き、青年が微笑む。

「きみがサラだね。いつも弟を支えてくれてありがとう。エルハルト……エルハの兄、イリスです」

「あっ、えっと。サラ・エンジュです。エルハさんにはとてもお世話になっています」

 ぺこりと頭を下げると、イリスはエルハにそっくりな柔らかい笑みを浮かべた。

「聞いたよ。これからも弟を頼むね」

「はい」

 笑顔のサラに満足げに頷くと、イリスは他の仲間はどうしたのかとエルハに尋ねた。

「団長たちは、ネクロに協力しているらしい自称義賊を追って、廃村に向かったよ。その村に契約書があるかもしれないから」

 もうそろそろ、帰って来てもいい頃だけど。エルハがそう話した時、噴水の辺りから聞き覚えのある声が聞こえてきた。サラがその方向を見て、手を振る。

「噂をすれば影、だね」

「サラ、皆さん。ただいまです」

 サラの手に応えた晶穂が、こちらへ駆けて来る。すぐにリンとジェイス、克臣もエルハたちの近くにやってきた。

「団長、皆さんも。お疲れ様でした」

「エルハ、首尾はうまく行ったよ」

 そう言って、ジェイスは胸ポケットから一枚の紙を取り出す。広げれば、そこにはびっしりと文字が書かれ、最後に走り書きのようなサインがあった。

 皆の隙間から覗いていたイリスが、そのサインを見て目を見張った。

「それは……間違いなくネクロ補佐官のサイン!」

「……あなたは?」

 声に驚き、イリスと面識のないメンバーが彼を見つめる。しまった、という顔をして、イリスは苦笑しつつも自己紹介した。

「初めまして、わたしはイリス・ノイリシア。エルハルトとは異母兄弟、ノエラとヘクセルとは同母兄妹にあたります」

「俺はリンです。こちらは晶穂、ジェイスさん、克臣さん。……エルハさんのお兄さんということは、もしかして王太子だという?」

「一応、そういうことになっているね」

 王太子だからといって、特別扱いは無用だ。イリスは、その旨だけは最後に伝えた。

 それから、全員が集まって座ることの出来る大部屋へと移動する、ただしノエラだけは、メイドに預けられた。寂しがったが、まだ幼い彼女を関わらせるわけにはいかないだろう。


 ヘクセルの案内で全員がやって来たのは、外宮にある会議室の一つだ。二十人は収容出来るという部屋で、リンを始めとする十人が顔を揃える。

 シンプルな長机四台を四角になるように配置しており、椅子もそれぞれ二脚ずつ置かれている。最も奥の椅子にイリスとヘクセルが座り、あとは各々適当に腰を下ろした。

「さて、始めようか」

 イリスは持っていた鞄から冊子を取り出した。王宮にてエルハたちに示したものと同じものである。エルハとヘクセルは既に大まかな話し合いを終えている。しかし他にも仲間がいるのだと知ったイリスが、二人の手間を省くために自ら外宮にやって来たのがそもそもの始まりだ。

「イリス……殿下。それは?」

「わたしたちだけの時は、殿下をつけなくても構わないよ。リンくん」

「わかりました。……では、イリスさん」

「これは、ネクロを追い詰めるヒント集、というところかな」

 イリスは冊子をめくり、『違法魔力の種類』と書かれた項目を指した。

「ネクロの魔力属性は、毒。これは、自然界には存在しない分類なんだ」

 毒。それを聞き、リンの頭に浮かんだのはゴウガが去った際に現れた紫色の液体だ。あれが毒の魔力によるものだとすれば、普通に考えればゴウガは毒によって死んでいてもおかしくはない。

「俺たちは、廃村でネクロと協力関係にあると思われる義賊と戦いました。彼らは、紫の液体に包まれて姿を消した。……あれが毒であるとするなら、彼らはもう?」

 しかし、それは否定される。

「いや、彼は毒の属性すらも操れると考えられるんだ。特定の人には無毒化し、それ以外には有毒なものを作り出すことも、あの男ならやりかねない」

 嘆息し、イリスはその他確認されているという違法魔力について説明する。

「毒の他には……念と闇が確認されている、かな。念は、超能力みたいなものだ。もともと超能力を持っていなかった人物が、特殊な方法で得るものを違法魔力と呼んでいる。更に闇は禁忌と呼ばれ久しい魔力だけど、人工的に創り出した者がいるのではないかとされているんだ。つまりは、想像の域を出ないものだね」

「念。……融のは違うんですか、兄上」

 エルハが問う。確かに融は、超能力とも思える力を使ってノエラを拘束していた。それが違法魔力に属するものだった場合、彼が王族側にいる理由がわからない。

「……おれのは、ただの超能力ですよ。物心つく頃には、念力みたいな力で物を浮かせることくらいは出来ましたから」

 それまで黙っていた融が、静かな声で答える。イリスとヘクセル、クラリスも頷いてみせた。

「彼に関しては、違法魔力ではないとわたしが保証するよ。融はわたしたちの大切な仲間だからね」

「それを聞いて安心したよ」

 にこりと微笑んだエルハは、リンたちに向かって口を開いた。

「僕とヘクセルは、イリス兄上と共に今後の方針を決定しました。ここでは、それにみんなが同意してくれるかどうかの場です」

 あまり長い時間集まっていれば、敵側に怪しまれる可能性がある、とエルハは言う。外宮だからといって、敵側のスパイがいないとも限らないのだ。

「言ってみろよ、エルハ。俺たちは、お前の家族のために出来ることをしようじゃないか」

「ありがとうございます、克臣さん」

 克臣の言葉に頷き、エルハは自分たちがすべきことを話し始めた。

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