第253話 王太子
克臣たちがゴウガらと戦闘を行っている最中、エルハはヘクセルの従者として王宮に赴いていた。勿論拒否はしたのだが、絶対にバレないよう変装してもらうとのヘクセルの説得に根負けしたのだ。
ヘクセルは有言実行した。
エルハに執事の制服を着せ、黒髪に茶色の髪のカツラを被せた。青いカラーコンタクトを手渡し、仕草の指導まで行なった。
サラは、ノエラと一緒に遊んでくれている。もともと子どもも好きな彼女には、楽しんでいるから行ってきて、と見送られた。
(王宮、か)
嘆息しそうになるのを、ぐっと堪える。
エルハは昔から、王宮が好きではなかった。どろどろとした貴族たちの損得勘定や怨念等が渦巻く魔境にいるよりも、静かで人の感情を読む必要のない本の世界にいる方が楽だったからだ。
しかし、王族である以上はそれらと渡り合わなければならない。その点、今前を歩くヘクセルや長兄のイリスは流石だ。
「どうかしたかしら、エスコッド?」
「いえ、姫様」
エスコッドとは、今この時におけるエルハの偽名だ。エルハやエルハルトでは、王宮内にその名を知る者もいるだろうという危惧から生まれた。
心配そうにこちらを覗き見てくる妹、今は
「……兄上、久方振りで緊張なさっているのはわかりますけれど、あまり凛とし過ぎると身分を疑われますわ」
「難しいことを言わないでくれよ……」
周りに誰もいないことを確かめた上での小声による妹からの助言に、エルハは眉を寄せた。自分で自分を客観視するのは、難しいものだ。
そんなエルハの顔を見て微笑み、ヘクセルは再び進行方向へと足を向けた。
美しく人工的な庭を横目に、二人はある場所へと向かう。そこである人物と待ち合わせているのだ。
何人かの貴族や兵士とすれ違う。彼らは相手がヘクセルだとわかると、慌てて道を譲る。その後ろに控えるエルハにまで目を向けることはない。
二人が向かったのは、王宮図書館近くの離れ屋だ。人払いが済まされ、植え込みが綺麗に剪定されたそこは、この王宮で唯一爽やかな風が吹くようだ。
ヘクセルは戸をノックした後、ゆっくりとノブを回した。
「兄上。……イリス兄上?」
「……」
部屋は、こじんまりとしていた。シンプルな木製の机に椅子が四脚置かれ、隅には小さな棚が備え付けられている。窓には白いカーテンがかけられ、今は閉じられている。
椅子に腰かけた青年は、エルハと同じ黒髪に茶色の瞳を宿している。眼鏡をかけているのは、視力が昔から悪いためだ。
ヘクセルが呼び掛けても、彼は微動だにしない。どうやら手元の書類を読み込んでいるようだ。相変わらず仕事の
仕方無いとばかりにため息をつくと、ヘクセルは少し声の音量を上げた。
「……王太子殿下!」
「は、はいっ?! ……なんだ、ヘクセルか」
「なんだ、ではありませんわ。何度名前をお呼びしたと?」
王太子と呼ばれて驚いたイリスだったが、相手方妹のヘクセルだとわかると途端に肩の力を抜いた。そんな兄に、ヘクセルは両手を腰にあててまなじりを上げる。
「それは済まなかった。丁度、国営企業からの報告書が……あ、ごめん」
妹の顔が苛立って来たことを悟り、イリスは先に謝った。「全く、もう」とヘクセルは兄の手から書類の束を奪い取ると、それを机の端に置いた。
「わたくしたちは、兄上の口上を聞くためにここに来たのでは無いのですわ」
「わかっているよ。ネクロと違法魔力の件だろう。……そして、彼は?」
首を傾げるイリスに、エルハは本名を名乗るべきか迷った。しかし彼の肩に手を置くヘクセルが、エルハをイリスの方へと押し出す。
「……お久し振りです、兄上」
「兄上、だと? ……まさかっ」
エルハは兄の目の前で、カツラとカラーコンタクトを取って見せた。この部屋に盗聴器や盗み聞きする人間がいないことは、気配で確認済みだ。
茶色の髪の下から黒髪が、青のコンタクトの下からは茶色の瞳が現れる。
瞠目して言葉を失っていたイリスは、立ち上がって一歩エルハに近付いた。そっと、エルハの頬に触れる。
「……本当に、エルハルトか?」
「僕が偽物だと? そう考えられるのも当然ですが」
苦笑したエルハに、イリスは「そうか」と一つ頷いた。
「最後に会ったのは、五年は前だったな。……父上も母上もお前を探すなと言い張って、探そうともしなかった。申し訳なかったな」
「謝らないでください、兄上。僕も……正直、今回のことがなければ帰るつもりもありませんでしたから。お互い様です」
「ふふっ、言うようになったな」
イリスはエルハの頭を軽く叩くと、ヘクセルに目を向けた。
「ヘクセルも、エルハルトも座ってくれ。それから、話をしよう」
「ええ、兄上」
エルハとイリスが向かい合い、ヘクセルはエルハの隣に腰を下ろした。
二人の分の水を注ぎ、イリスは再びエルハをまじまじと見た。今、エルハは変装していない。そのままの姿だ。なんとなく居心地が悪くなり、エルハは少しだけイリスから視線を外した。
「……イリス兄上?」
「あぁ、ごめんな。本当にエルハルトが目の前にいるんだと思うと感慨深くて。……この件が終わったら、ゆっくり話をしてくれるかい?」
「是非。僕も、今更ですがここに帰ってきた意味の一つがそこにあると思っていますから」
「ありがとう。……さて、本題に入ろうか」
手の指を組んで、イリスは表情を改めた。同様に、エルハとヘクセルも姿勢を正す。
イリスは床に置いていた鞄から、一冊の書類の束を取り出した。それを二人に見えるように机の上に置く。
「これは、なんですの?」
「違法魔力の生成方法、そしてその魔力を現在使っていると考えられる者のリストだよ。ただ不可解なことに、ここにネクロの名は記されていないんだけどね」
機密文書だ。そう言って、イリスは片目をつぶってみせた。
「これを足掛かりに、わたしたちはネクロ一派を追い詰めるものをつかまなくてはならないんだ」
「ここから、か……」
書類を手に取り、エルハはそれを一枚めくった。
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