第248話 騒々しい姫君
ノイリシア王国の王を助けてほしい、とはどういうことだ。
「待ってくれ」
ノエラの言葉に、エルハが待ったをかける。ノエラはエルハと話すために立ち上がっていたが、誰もいないソファーに体を沈め直した。
「はい、まちます」
「いや……。僕は、向こうに行ってからもノイリシアの情報を集め続けてきた。その中には確かに王の病気に関するものもあったから、てっきりただ重い病に罹ったのだと思っていたんだけど……」
「その情報は、間違ってはいないよ」
クラリスは「表向きのものだからね」と付け加える。
「表向き……?」
「あんたも王族ならわかるだろう? その国の柱とも言える王が、自然な病ではなく何者かによって病となったと知られれば、ただ病床にある以上の衝撃を人々に与えかねない。王に反する一派は勢いを増すし、国民の不安感は増すしかない」
だから、王は流布させるための噂を作り出した。それが、巷で集められた「王は病である」というただそれだけの話。
「詳しい病状も、原因も、回復の可否も流さない。しかしそれは、人々の口に上る毎に姿を変えていく」
静かな口調の融の言葉が、静まり返った部屋に響く。
「ある者は危篤だと言い、ある者は単なる風邪だと笑う。いつしか噂は混沌し、正しいものはもとからないのだから、消えかける」
それが狙いだ、と後を引き取ったクラリスが笑った。
「王は、国民の不安をあおることも、反対派の勢いが増すことも望んではおられないのさ。ただ静かに、後継者たる王太子に引き継ぐ準備を進めておられる」
長兄の生真面目な顔を思い出し、エルハは懐かしげに微笑んだ。しかしその面差しも、五年前から止まっている。
「兄は、真面目だ。懸命に期待に応えようとしているんだろうね。……二番目の兄も死んで、僕もいないのだから」
「おにいさん、二人いたの?」
サラの問いに、エルハは頷く。ノエラはふと寂しそうに目を伏せた。クッションに刻まれるしわが増える。
「ノエラが生まれる前……僕もほとんど記憶にない。だけど、二番目の兄は祖父と同じ病に幼くして罹って亡くなったらしい」
活発で、兵舎によく遊びに行っていたそうだ。馬と戯れ、いつか剣を振りたいと笑うそんな少年。彼は幼少で命を落とした。不治の病だったという。名を、シドニアルといった。
「あねうえは、エルハさんをむりにでもこちらへかえらせることで、すこしでもあにうえのふたんをへらそうとしたんです」
「……昔から、イリス兄上大好きだったな。それは変わらずか」
エルハの苦笑に、ノエラは優しい笑みを浮かべて頷いた。
「……ではこの国の王は、人為的な病ということですが、犯人の目星はついているんですか?」
リンがさっと手を顔の横まで挙げて問う。ほとんどが身内の会話だったため、完全な部外者である自分は入るべきではないと口をつぐんでいた。しかし、そろそろ本題に入るべきだろう。
「それは……」
クラリスと融、そしてノエラが顔を見合わせる。どうやら、絞り込みは出来ていないらしい。エルハもリンと同じことを思ったか、頭をかいて渋面になった。
「せめて、どの系統にいる人物とかはわからないかい? 王の失脚を望む一派は、確実に存在するだろう?」
「それは―――」
「それは、ネイロの一派ですわ!」
バタン。突然の高い声と共に戸が開かれる。全員の目が注がれる中、少女はつり目で部屋を睥睨した。
「あなたたち……もしかしてっ」
リンに目が止まり、少女がずんずんと歩いて来る。落ち着いた色目の装飾を抑えたドレスの裾が揺れる。
「……な、なんだ」
「……」
じっとリンを見つめ、微動だにしない。リンが恐る恐る声をかけても反応はない。
エルハは初期の驚きから既に立ち直って、呆れ顔で成り行きを見守っている。クラリスと融も同じような顔だ。ノエラは大きな目を更に大きくしたまま固まり、ジェイスと克臣は彼女の正体を思い当たって手を出さない。サラはと言えば、何が始まるのかと少女を凝視している。
晶穂は少女からリンを引き離すべきではないかと思いながらも、彼女の圧から逃れられずにリンの手頸に触れるにとどまっていた。
少女の目が、パッと輝く。
「あなた、銀の華のリン団長ね!?」
「し、知ってるのか」
「当然でしょう? 兄を探すためにソディリスラのことは十二分に調べたもの!」
ガッとリンの両肩を掴み、少女は鼻息を荒くする。
「兄が身を置いているらしいと知ってからは、更に興味を持ったわ。そして、あなたがジェイスさん、あなたが克臣さんね」
びしりと指を差され、ジェイスと克臣は苦笑する。
「よくご存じで」
「俺たちのことも調べたんだな」
「当然ですわ!」
誇らしげに胸を叩くと、豊かなそれが柔らかく揺れた。
「数々の歴戦をくぐり抜けてきたと、巷では有名なお二人でしたわよ」
「そりゃ光栄だな」
「……克臣」
ジェイスが謎の少女と語らいかける克臣の袖を引く。どうしたのかと目を移し、ジェイスが顎で示した方向を見て「あちゃぁ」と顔をひきつらせた。
「わたくしに、自警団のことについて、またソディリスラについてお教え願いた……」
「―――だめっ」
ぐんぐんとリンに近付いていく少女の言葉を遮り、晶穂がリンを自分の方へと引き寄せた。腕にしがみつかれ、リンは顔を赤くする。
「お、おいっ」
「リンは……だめ」
「あら……」
泣きそうな瞳で睨まれ、少女は目を瞬かせる。それから「ふぅん」と値踏みするように晶穂を見て、体を戻した。焦げ茶の長い髪をいじり、明後日の方向を見る。
そんな少女のドレスを、ノエラが軽く引く。
「あねうえ、おかえりなさい」
「ただいま、ノエラ。遅くなってごめんね」
優しい笑みを浮かべ、ノエラの頭を撫でる。彼女の手に触れられ、ノエラは嬉しそうに目を細めた。
「……姉上? まさか、ヘクセルか?」
エルハが驚きの声を上げる。くるり、と反転してエルハと目を合わせた少女は、ドレスの端を持って挨拶をした。
「申し遅れましたわ。わたくし、ノイリシア王国第一王女、ヘクセル・ノイリシアと申します。お久し振りですわね、エルハルト兄上」
つり目がちだが美しい容貌の姫が、丁寧に腰を折った。
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