第246話 矛盾

 ――キャー!

「クラリス、とおる!」

「「はっ」」

 ノエラはそれまでとは表情を変え、真剣な顔でクラリスと融を呼んだ。彼らも姫の言葉に応え、三人で悲鳴のする方へと駆けて行く。

「俺たちも行くぞ」

「うんっ」

 リンたちも頷き合い、彼女らの後を追った。

 悲鳴が聞こえた人は多かったようで、人混みの中でも振り返ったりひそひそと話したりして立ち止まっている通行人も多い。リンたちはその波をぬい、ノエラを追う。

 時々、人の話し声が耳に入って来る。断片的なそれは、この先で怒ったことに関するもののようだ。

 曰く。「またあいつらだ」「懲りないねぇ」「迷惑な」そんな内容だろうか。

 徐々に近づくにつれ、ガッシャンという何かがぶつかる音と悲鳴が数を増していく。

「リン、あそこだ!」

 一歩前に出て走っていた克臣が指差す先に、人だかりがあった。

「もう……い! めいわ……」

 ざわざわという野次馬の話し声でよく聞き取れないが、この先でノエラの苛立った声がする。リンたち六人は人々を押しのけぬうように進み、その騒ぎの真ん中へと足を踏み入れた。

「いいかげんにしてって、なんどいった? ここであばれるのはゆるされない!」

「まーた、小さい嬢ちゃんか。この国の末姫だろうが、俺たちの邪魔をするなら容赦しねぇぜ?」

 クラリスと融に守られるように立つ少女は、声を張り上げている。それに面倒臭げに応じているのは、巨漢の男だった。

 男たちがいるのは、大きな商店の店先だ。どちらかと言えば華美な服装をした裕福そうな男女が、震えて座り込んでいるのも見える。おそらく、店の主人夫婦だろう。

 主人夫婦の頭上にはノアが旋回し、男の仲間を寄せ付けない。

「あ、兄貴……」

「こっちは良いから、早く運んじまえ」

「へい!」

 男に指示され、部下たちが荷物を店舗から運び出していく。麻袋に入ったそれは、店の商品だろうか。結び目の間から見えたのは、食べ物の箱である。

 ここまでわかれば、彼らが何者かなど一目瞭然だ。泥棒である。強盗ともいうか。

 リンは加勢して一網打尽にすべきかと考えたが、それを実行はしない。何故なら、ここはリンたちにとって異国であり、ノエラの護るべき町だ。

「……」

 ぐっと拳を握り締め、頼まれるまでは動かないと足を踏ん張る。隣の晶穂もリンの心情を察してか、リンの服の袖を遠慮がちに摘まむだけだ。

 相変わらず、目の前では一触即発の睨み合いが続く。じゃり、と融が踏み締める砂利が鳴った。

「……わたしは、たしかにむりょくでむちなひめです」

 ノエラが胸の前で拳を作って言う。その足が震えて、声さえも泣き出しそうだ。それでも、ぐっと手に力を入れた。

「それでも、ひとのものをむりやりとるのはおかしいと、そのひとのどりょくをふみにじるものだということはわかります」

「―――だから? 得過ぎている者から得られない者の手へ渡ることの、何がいけない?」

 俺たちは義賊だ。男は堂々と言い放った。

「この国は、矛盾をそのまましてきた。使われる人種がいることに目を瞑り、己の私腹を肥やすことに懸命な者の多いこと。……それは、ノエラ姫も感じておられるのでは?」

「……」

 苦々しさを渋面に乗せ、ノエラは男を睨みつける。しかし男はどこ吹く風で、余裕の表情を浮かべている。

 エルハは言っていた。従属民はいないことになっている、と。穏やかで賑やかなこのノイリシア王国にも、大国だからこそくすぶる火種があるのだろう。

「それでも」

「ノエラ様っ」

 ノエラは制するクラリスの腕を押しのけ、小さな指を男に突き付けた。

「それでも、ひとのものをとるのはどろぼうだもん!」

「……だもんって」

 呆れた顔の融が呟くが、それを聞く耳を男は持っていなかった。

「このっ……! 姫という身分に守られたガキ無勢がぁ!」

 おい! 男の雄叫びのような声に、町のあちこちから応じる声が響いて来る。

 総勢は、二十人。どれも男で、ひゃっひゃと下品な笑い方だ。

「お、おい。行こうぜ」

「あ、夕食の買い物が……」

 野次馬たちが散っていく。残ったのは、リンたち六人とノエラたちだけだ。

 ようやくリンたちの存在に気付いたのか、男が冷笑を貼りつけて見やる。

「おいおいおい、頑張る野次馬もいるじゃねえか。……ん?」

 じろじろと一行を見回した男は、ヒュウッと下手な口笛を吹いた。晶穂とサラを舐めるように見て、部下に言う。

「上玉が二人。裏で売れば、欲しいやつがいくらでも金を積みそうだ」

「……きも」

 誰にも聞こえないくらいに小さな拒絶の意思が、サラの口から洩れる。口には出さないが、晶穂も同じような思いだった。身の毛がよだつ。

 ノエラが男の狙いに気付き、震えながらも声を上げた。

「そのひとたちをきずつけたら、ゆるさない!」

「へぇ、知り合いだったのか。―――じゃあ、猶更だな」

 男の号令と共に、数人の男たちが晶穂たちを囲む。嫌悪感で顔を青くした晶穂たちだが、男はそれを恐怖と勘違いした。

「邪魔なのは全部殺しちまえ!」

「! ダメ!」

 ノエラの叫びと男たちが晶穂たちに飛びかかるのは、ほぼ同時だった。




「ユキ、そっちは終わったのか?」

「もうちょい……っと。終わったぁ!」

 パチン、と書類をファイリングしたユキがリンの机に突っ伏す。

 時刻は夕方を迎え、西日が部屋の中に入って来る。ユキと唯文はリンの部屋にて、書類の整理をしていた。

 難しい処理は出来ないが、送られてきた様々な書類を分類ごとに分けてリンたちが帰ってきた後に処理しやすいようにする。それが、四人の留守番組に課された使命だ。

「唯文兄、春直とユーギは?」

「まだ帰って来てない。飼い猫がいなくなったって依頼だけど、春直がいるから大丈夫だろ」

「春直は猫人だもんね」

 それなら大丈夫か。ユキは気の抜けた笑みを見せ、うーんと腕を上げて伸びをした。

 唯文も幾つものファイルを仕分けし終わり、水をコップに注いだ。一つをユキに手渡し、自分も一気に飲み干した。

「……ふう。おれは鍛錬してくる。ユキも早めに休めよ」

「春直たちが帰って来たら、ご飯食べるよ。それまでは、宿題やっとく」

「ああ」

 魔刀の入った専用鞄を肩にかけ、唯文は部屋を去った。きっと、今から夜中まで刀を振るのだ。次にリンたちと共闘する時に備え、力を高めておきたいのだと唯文が語っていたことを、ユキは思い出す。

 幾つかの宿題を終わらせた時、部屋の戸が開かれた。最初に入って来たのはユーギだった。

「ただいま、ユキ」

「おかえり……って、泥だらけじゃないか!」

「えへへ……」

 苦笑いする春直によれば、探していた猫は下水に入り込んでいたのだという。更に春直たちに捕まえられることを嫌がり、どうにか捕まえて地上に出てから再び逃げ出した。ようやく捕まえたのは、何も植わっていない畑の中。

「飼い主さんには返してきたよ。猫もぼくらも泥だらけで驚いてた」

「……そりゃ、驚くよね。お風呂に入ってきなよ」

「それ、さっき唯文兄にも言われたよ」

 ユーギが笑い、春直と共に風呂へと向かった。

「……はぁ。兄ちゃんたち、凄いなぁ」

 今頃、海の向こうで何をしているのだろうか。

 宿題を片付け、ユキはユーギと春直と共に夕食を取るために部屋を出た。

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