第240話 一歩だって引かない
リンと晶穂が気を失ってから、数時間が経過していた。
「おっかえりなさい、みんな!」
「ただいま、サラ」
同日夕方、リンたちはリドアスへと戻ってきた。出迎えたサラがエルハに抱きつく。それを柔らかく受け止め、エルハはポンポンと彼女の背中をたたいた。
にへらっと顔を緩ませてサラはぴょんっとエルハから離れると、まじまじと晶穂を上から下まで見詰めた。そして、首を傾げる。
「あれ? 晶穂の服、朝と違う……? そういえば、エルハたちは何をしに?」
「そのことなんだけど……」
もともと着ていた服を入れた紙袋を抱き締め言い淀む晶穂に、再びさっきとは反対方向に首を傾けるサラ。堂々巡りとなりそうな予感を覚え、晶穂はスッと深呼吸をした。
「……わたしたち、ノイリシアに行くことにした」
「ノイリシアって、エルハの故郷の?」
「そうだよ、そのノイリシアだ」
エルハが首肯し、サラは「どうして?」と眉を寄せる。そのため、リンと晶穂がサラにこれまでの経緯を簡潔に説明する。時折エルハが注釈等をつけてくれる。
サラはノエラとの出会いを羨み、彼女が奪われたと聞けばしっぽの毛を逆立てた。そしてリンと晶穂の短い戦闘の場面では、晶穂をきゅっと抱き締めた。様々な反応を見せる恋人を、エルハは目を細めて見守る。
ぱたん、とサラのしっぽが揺れる。いつになく真剣な顔で、彼女は口を開く。
「話はわかった。……あたしも一緒に行く」
やっぱりそう言うと思った。晶穂は思っていた通りの反応に、複雑な笑みを浮かべた。ジェイスと克臣も「さもありなん」という顔をしている。リンはやれやれと軽く頭を振ったが、否定はしない。
しかし、エルハは違った。
「何を言ってるんだ! きみは、ここで……っ」
「もう、待ってるだけなんてやだよ。何より、エルハと一緒にいたい」
「それは……僕だって」
サラの気迫に圧され、エルハが言い淀む。そこに畳み掛けるように、サラは彼の肩を掴んだ。
「エルハ、ずっと苦しそう。このところ、気付いたら空か海の方を見詰めてる。……知ってた? エルハの中で、ノイリシアは気にかかる存在であり続けてるんだよ?」
「───……っ」
目を剥いて、エルハは硬直した。それを気にせず、サラはガクガクと彼の体を揺らす。
「いつか、消えちゃうんじゃないかって思うあたしの気持ち、わかる? ……遠くへ、あたしの知らない間に遠くへ行っちゃう気がした。でも、そんなことは絶対許さない」
サラは一度エルハから離れると、一つ深呼吸をした。手を伸ばしかけてやめるエルハに、大股で一歩近付く。
爪先立ちをして、エルハの唇に自分のそれを重ねる。
「───っ!」
珍しく顔を真っ赤に染めるエルハに、同じく頬を染めたサラが可愛らしく舌をペロッと出して言い放つ。
「必ず、隣であなたを支え続けるって誓ったんだから。今までとは、あたしは違うよ?」
「……そうらしい、ね」
ガシガシとやや乱雑に髪をかくと、エルハは決意を込めた瞳で一同を見回した。
「毎朝、ノイリシア行きの船がアラストから出ています。それで行きましょう」
「流石、調べていたか」
ジェイスに褒められ、エルハは苦笑する。
「実は、ゴーウィンさんが来た後に、もしかしたら帰らなければいけないかもしれないと思って調べておいたんです。まさか、こんな使い方をするとは思いませんでしたけどね」
エルハは、アラストの港から午前十時に出航すると話した。リンは頷き、軽く腕を組む。
「なら、玄関ホールに九時でいいですか? 手続きとかもあるはずですから、余裕を持ちましょう。……そして、留守の間のことは」
「兄ちゃん、ぼくらに任せてよ」
「ユキ?」
二階の廊下から、ユキたち年少組が顔を出している。リンたちに向かって手を振ったユキが、手すりを滑り台のようにして滑り降りてきた。リンは兄の顔をして、ユキの頭をぐりぐりと撫でた。
「危ないだろ、ユキ」
「へへっ、この方が早いからね。それで、話は聞いてたよ」
いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべ、ユキは胸を張った。彼の上部から、ユキを呼ぶ声がする。見れば、眉をひそめた唯文が春直とユーギと共に降りてくるところだった。
「おい、ユキ。手すりを使うなって言っただろ?」
「俺も今、注意してたんだ。ありがとな、唯文」
「いえ……」
浅く首を横に振り、唯文は「おれたちも上で聞いてましたから」とリンに言った。
「おれたちが、リドアスの留守を守ります。勿論、難しい書類整理なんかは出来ませんけど、フットワークの軽さには定評がありますから」
「確かに。簡単な依頼なら、こいつらだけでも十分事足りるんじゃないか?」
年少組の提案を後押しするように、克臣が言う。リンも「そうですね」と首肯して、唯文たち四人を順に見た。
「そんなに長期間にはならない。ノエラの無事を確認して、帰って来る。だから帰って来るまでの間、頼むな」
「はい」
「任せてよ、兄ちゃん」
「頑張ります」
「そっちも気を付けてね」
唯文、ユキ、春直、そしてユーギがそれぞれ頷く。
これで、留守中の憂いはなくなった。
簡単な打ち合わせのためにユキたちと共に先に奥へと歩いて行くリンと晶穂を見送り、克臣はぼそりと呟いた。
「……それだけで帰れるかは、まだわかんねぇけどな」
「克臣、不吉な予言はやめてくれ」
ジェイスに後頭部をはたかれ、克臣は「痛ぇなあ」とはたかれた場所を手で押さえながら窓の外を見た。既に夕闇に染まった空は、今日への別れを告げようとしている。
「考えてもみろよ。ノエラという子がリンたちの前に現れ、また祖国に連れ去られたこと。それに、リンたちもエルハも襲われていること。これだけを見ても、きな臭さ満点だろうが」
「心配しているのはわかるけど、もしかしたら何も起こらず穏便に済むかもしれないだろ?」
「……ジェイス、お前絶対そう思ってないだろ」
ため息をつきそうな顔で、克臣が言う。それに対する明確な答えを示すことなく、ジェイスは苦笑した。
「さあ、わたしたちも支度をしないとな」
「……だな。エルハ、サラ、また明日な」
ジェイスと克臣も去り、玄関ホールに残ったのはエルハとサラだった。
「危ないことはないと思いたいけど、もしものこともある。サラ、僕の傍を出来るだけ離れないでくれよ」
「うん、足手まといにはならないようにするよ。だから、よろしくね?」
「ああ。僕らも行こうか」
二人は一緒に館の奥へと消えた。
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