第239話 少し、気は進まないけれど
「お話した通り、僕は少々異質であったために日陰者と揶揄された。更に異国……この場合は異世界でしょうが、別の知りもしない場所から来た男とつるんでいるとの噂は、瞬く間に宮中に広がりました」
王が滞在と旅の両方の許可を与えた者とは言え、その正体は明確には不明。そんな怪しげな者と楽しげに関わる王子の姿など、貴族たちからしてみれば、理解しがたいものだっただろう。
当時、武官長に呼び止められたことがある。彼はエルハルトを日頃から
場所は宮中の廊下、夜月の下である。
「エルハルト様」
「……マスト武官長」
「あなたはよく、あの無頼者と話しておられると聞きます。実際、私もあなたとあの者を見かけました。……一体、どういうおつもりか?」
「どういうつもりか、とはどういうことですか?」
「知れたこと。身元も何も示さぬ男を受け入れ教えを乞うなど、我が国の王子ともあろう方がすべきではございません。そのような世迷い言は、夢の中でなさいませ」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、マストの顔は相手を中傷しようとしている者のそれだ。エルハルトは悔しさに奥歯を噛み締めたくなったが、今はそれをすべきでない。努めて冷静に、礼を尽くした。
「マスト武官長、あなたのご忠言は有り難く存じます。……しかし、わたしも王族の端に名を連ねる者。世迷い言を吐くために、刀を振っているわけではないのです」
「……言うように、なられましたな」
「お褒めいただいた、と受け取っておきます」
エルハルトは無感情な笑みを浮かべ、腰に佩いた刀の柄に手をやった。それだけでも、マストを牽制するには十分だったらしい。
「……近く、後悔なさるでしょう」
そんな捨て台詞を残し、マストはエルハルトの横をすり抜けて行った。
「……はぁ」
ぺたん、と床に座り込む。変な汗が背中を流れていく。
(……僕は、初めてやりたいと思えることを見付けたんだ)
それをみすみす、手放す気などない。
しかしエルハルトの思いとは反対に、周囲は彼の排除に動き出す。
「……今考えても、年端も行かない王子を軟禁したところで、王が自分たちの思い通りになんて動かないことはわかりきっていたでしょう。それでも、王に反する一派にとって、僕の存在は食うべき餌でしかなかった」
誰かが王に讒言をなし、しかもそれが会議の場であったこともあり、王はその言葉に賛同する声の多さを抑え切ることが出来なかった。
王は息子を叱咤し、後にゴーウィンからそれを聞いた母は言うべき言葉を失ったという。
今思えば、その頃から王の体調は良くなかったのかもしれない。病は気からとはよく言ったもので、病を得た体は本人が思う以上に衰弱するのだ。
エルハルトは大好きだった書庫に軟禁された。宮中を自由に歩き回ることは出来たが、貴族たちの目と監視者の目にさらされ続けることは、幼いエルハルトには酷なことだった。
次第に引きこもるようになり、エルハルトは本の世界に没頭していくようになる。
一度だけ、刀の師である義尚と挨拶をした。彼は、エルハルトの境遇に眉を潜めた後、こう言った。
「いつか、きみが守りたいと願う人々のためにその力を使う時が来よう」
そして、エルハルトの頭を撫でた。彼と会ったのは、それが最後だ。
ある時、書庫の隅で『ソディリスラ来訪記』という本を見付ける。
本の中には、ノイリシアと似て非なる世界が広がっていた。獣人や魔種、人間が入り乱れて生活しているのは王国と同じだが、そこに国が介在しない。それぞれが自治をし、協力して暮らしている。
この本を書いたのは、大昔の冒険家であったようだ。刊行年月日はかすれて読めなくなっている。それでも、彼が冒険の間とても楽しく過ごしたということは、文章を読めばわかる。
「……行ってみたい」
それは、本を読む以外にやることを失った少年が、刀の他にやりたいと思えた唯一のことだった。
「……決めてしまえば、後はすぐでした。僕を憐れんで世話を焼いてくれた書官に頼み、見回りが少ない時間帯を教えてもらいました。その上で、隙を見て逃亡したのです。誰も追っては来ないとわかっていましたから、港に着いてすぐに近くの船に乗り込みました」
エルハルトは船で働かせてもらいながら、ソディリスラを目指したのだ。
「着いてからのことは、先に話してあるよね」
エルハは記憶を思い起こしながら、一旦そこで話を止めた。そして、自分の過去の話に終始してしまったと謝る。
「思い出話が過ぎたようだ。ここからは、ノイリシアについて簡単にですが教えておきますね」
「お願いします、エルハさん」
リンの言葉に頷き、エルハは白い天井を見上げた。
「ノイリシア王国は、絶対王政の国です。国王を頂点に、外交や経済、文化等の大臣・長がその下につきます。更に下には貴族たち、そして平民。隷属民はいないことになっています。一部の貴族が隠しているとかいないとか。……それは、今は置いておきますけど」
エルハの指が、机の上に王国の形を描く。一点を指し、そこから放射状に線を引く。
「王都ゼーランスを中心に、各町が街道でつながっています。ユラフのような島も幾つか存在します。様々な種族が暮らすのはこちらと同じですが、最も多いのは魔力を持たない人間です」
「他種族間の関係は?」
「仲が悪い、ということはありません。大臣の中には魔種も獣人もいますから。それに、第一王妃は魔種の血を引いています。純粋な人であることが、王の地位を継ぐことの必須条件ではありません」
「ならば、わたしたちのような者が歩いていても問題はなさそうだね」
「ええ。通行証のようなものもありませんしね」
ジェイスの言葉を肯定し、エルハは言い添えた。
「ちなみに、ノエラを連れ去ったという三人だけど、僕の記憶が正しければ王に忠実な家系の出だったはずだ。ノエラに危害を加えるようなことはないと思うけど……」
そのまま、視線がリンへと滑る。
「……行きます」
エルハの目を真正面から受け止め、リンは確かに言った。
「ノエラの身の安全を、確かめないといけません。必ず帰すと約束したのに、それを破ってしまいましたから」
「そうだね。ノエラが笑顔でいるか、確かめないと。あんな連れ去られ方をして、もしも危害を加えられてたらと思うといても立ってもいられない!」
晶穂も強く頷く。それに、と彼女は照れ隠しに笑った。
「エルハさんの故郷、純粋に見てみたいです」
「……そう、か」
仕方ないね、とエルハは軽く息を吐き出した。
晶穂が「ね?」とリンとジェイス、克臣に同意を求める。三人は顔を見合わせ、三様に頷いて見せた。
「行きましょう、エルハさん。過去とは違う。今は、俺たちも一緒です」
「エルハさんを軽んじた人たちに、目にもの見せてやりましょう!」
「晶穂、威勢が良いね。でもその通りだと思うよ、エルハ」
「まずは、ノエラって子をきちんと帰すべきところに帰さないとな。行くぞ、エルハ」
「……本当に、みんな、
困ったように微笑み、エルハは一度目を閉じた。そうやって考えをまとめて気を落ち着かせると、再び目を開く。
「因縁を解きに行きましょうか、ノイリシアへ」
「そうと決まれば。二人とも、これを」
ジェイスが、リンと晶穂に紙袋を一つずつ手渡す。「これは?」と首を傾げる晶穂に、ジェイスが苦笑する。
「二人とも一戦交えてそのままだから、服が汚れているんだよ。服はその中にあるから、わたしたちが外に出ている間に着替えてしまうといい」
「「あ……」」
ジェイスの言う通り、リンの服の袖は破れ、晶穂の服は土で汚れている。確かに、このまま外に出ては怪しまれるだろう。
「五分もあれば、いけるだろ? 五分後に、この救護室の外に」
「はい」
「わかりました」
克臣の指定を受け入れ、三人が部屋を出た直後、リンと晶穂は背合わせになって急いで着替えた。
全員が揃ったのは、それから三分後のことだ。
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