まだ見ぬ地へ

第238話 少女の正体

 右手が温かい。いや、体の前側全体が熱を持っている。何か、触れているようだ。

「ん? ……!?」

 がばり、と上半身を起こす。突如として疾走を始めた心臓が、リンの冷静な判断を失わせた。

 その証拠に、腕の裂傷をベッドの縁に打ち付ける。その痛みに悶絶した。魔種の自己修復能力があるとはいえ、痛いものは痛い。

「―――ッ」

「起き抜けから忙しいねぇ、団長」

「……エルハ、さん」

「よく寝ていたよ、リン」

 にこりと微笑んだエルハの手には、部屋にあったという雑誌のページが開かれていた。スイーツ特集の記事らしい。

「どうして……」

「きみと晶穂が救護室に運ばれたって連絡が来てね。きみの兄貴分二人と一緒に様子を見に来たんだ」

「ジェイスさんと克臣さんも……」

「二人は今、飲み物とかを買いに行ってるよ。そろそろ起きるだろうからって。……しかし」

 エルハは雑誌を閉じて置くと、リンの隣を見て楽しげな笑みを浮かべた。

「気絶しても晶穂を抱き締めて離さないなんて、本当に大切なんだねぇ」

「!!」

 リンは、湯気でも出しそうなほど顔を真っ赤に染めて俯いた。

 エルハによれば、並んで倒れていた二人を並んで担架に乗せて救護室に運んだのだが、その間も二人は互いの手を離さなかったのだという。隣同士のベッドに運んだところ、リンが晶穂を無意識に引き寄せた。そのまま二人共規則正しい寝息をし始めたため、エルハは残って観察していたのだ。

「なっ……」

 無意識の恐ろしさに驚愕しているリンの横で、もぞもぞと晶穂が動いた。リンの服の裾を掴み、眠気眼で笑みを浮かべた。そのへにゃりとした無防備な可愛らしさに再び赤面しかけたリンだったが、それをぐっと堪えて晶穂の体を揺する。

「起きろ、晶穂!」

「んにゃ……? あれ、リン。……ぁ!」

「うわっ」

 覚醒した晶穂が、上半身を起こしてリンの体に縋りつく。驚くリンに向かって、晶穂は少女の所在を問うた。

「リン、ノエラ……は?」

「……たぶん、連れて行かれた。ノイリシアに」

 リンはその時のことを明瞭に思い出し、ほぞを噛む。晶穂もリンの上着を握り締めて俯いた。悔しげに歯を喰いしばっているのがわかる。

「ノイリシア……?」

 そこに、エルハが冷や水のような声で問う。リンは頷き、今日会った出来事を簡潔に語った。それを黙って聞き、エルハは大きく息を吐き出した。

「はあっ、ごめんね二人共。これはきっと、僕が招いた事態だ」

「エルハさん……」

「とりあえず、僕が知り得る限りのノイリシア王国のことを、話しておこうか」

「それは、わたしたちも聞いて良いのかな?」

 ひょっこりと入り口から顔を見せたのは、缶ジュースを持ったジェイスと克臣だった。それぞれに缶を手渡し、彼らも話を聞く体勢になる。克臣はその辺りにあった椅子を引き寄せて座り、ジェイスはリンたちのベッドに腰掛けた。

「勿論ですよ」

 微笑んだエルハは、缶を開けた。彼が手にしてるのは、ロイヤルミルクティーである。

 ちなみに、ジェイスと克臣はブラックコーヒー、リンはストレートティー、晶穂はレモンティーである。

「僕が王国を出たのは、今から約五年前。これは、サラには話したんだけど」

 そう断り、エルハはサラに以前語った自らがソディリスラに来た当時のことをリンたちに話した。

 たった独りでソディリスラにたどり着き、テッカに拾われるまでの生活。その頃から考えれば、今の自分は恵まれていて怖いくらいだと、エルハは自嘲気味に笑った。

「テッカさんにエルハさんが連れて来られた時はどうしたのかと思いましたけど、ようやく納得しましたよ。それに俺は、テッカさんが連れて来たなら、と思って受け入れちゃいましたしね」

「本当に感謝しているよ。僕の居場所を作ってくれたんだから」

「俺たちも、エルハさんに助けてもらってばかりですから」

「お互い様、ということだね」

 エルハの笑みに、リンも応じた。

 缶を開け、エルハは一口ロイヤルミルクティーを飲んだ。さて、と話題を少し変える。

「僕は、銀の華に所属した後も、ノイリシア王国の情報を時折集めていたんだ。新聞の記事や港での噂話、そんな類のものだったけど、切り抜きやメモがたくさんあるよ」

 だから知っていたんだ、と呟くように言う。

「父である王が病に倒れたことも、それを引き継いだイリス兄上が王太子となったことも。……腹違いの妹が生まれていたことも」

「腹違いの妹……? もしかしてっ」

「晶穂は察しがいいね」

 晶穂の瞠目に対し、エルハが肯定を示すように頷いてみせた。

「ノエラ、というのは……ノイリシア王国第二王女だ」




 幼い頃から、エルハには兄や姉とは違う興味があった。

 長男で未来の王となるべくして育てられてきたイリスは、政治や経済に関する学びに力を入れていた。

 長女のヘクセルは幼い頃から文化芸術方面の才能に秀で、踊りを極めて宴の華となった。

 次男シドニアルは幼い頃に病で亡くなったが、走るのが大好きで瞬発力に優れていた。

 そんなきょうだいたちの中で、エルハルトは少し違った。

 交渉事は不得手で、芸術方面の才能はヘクセルに及ばない。更に皆に愛想を振り撒くのではなく、黙々と書庫に籠っているような子どもだった。

 宮中の者たちは、彼を『日陰の王子』と揶揄した。積極的に王族としての職務を捉えることなく、本を読んでいる。それがどれほど将来の国政に影響を与えるのか、と嗤う者もいた。

 そんな日陰者のエルハルトがある時、宮中に招かれた一人の男と出逢う。

 彼はエルハが興味を持っていたソディリスラからやって来たという旅の者で、ノイリシア王国には旅する許可を得るために来たのだ。別段、この国を旅するのに許可など必要ない。しかし彼は、許可を得た方が便利だと言ったらしい。

 数日間滞在した男は筋肉質の肉体を持ち、毎朝庭で刀を振っていた。盛りを過ぎた壮年だとは言え、その技の美しさには目を見張るものがある。刀さえも見たことがなかったエルハは、翌朝から男の鍛錬を見学した。

「……ご興味がおありかな、殿下」

「あり、ます。でも僕は、兄たちと比べても才を持たないから……」

「そうでしょうか」

 男はそう言うと、自分が使っていた刀とは別のものをエルハに手渡した。

「試しです。振ってみなされ」

「は、はい」

 エルハは素直に頷くと、見様見真似で刀を正眼に構えて「やぁっ」という気合と共に振り下ろした。

「ふむ」

 何度か振らせ、男は満足げに頷いた。勢いをつけすぎて息を上げているエルハの前に膝を折り、目線を合わせる。

「あなたには、武器を扱う才能があるようだ。どうだろうか、この宮を出るまでの数日ではあるが、稽古をしてみないか?」

「才が、ある?」

「ええ、あります」

「―――やり、ます」

 初めて、他人に自分のことを認められた。それが何よりも嬉しくて、エルハは首を縦に振っていた。それを見て、男は破顔した。

「我が名は、武藤義尚たけふじよしなお。日本、というところから来た」

「……エルハルト」

「エルハルト、か。では我は、きみを『エルハ』と呼ぼう」

 義尚はエルハの頭を撫でると、刀を抜いた。

「まずは、我の真似から始めよう。エルハ」

「はい」

 エルハもまた、手にした刀を真っ直ぐに構えた。

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