第237話 連れ去る者たち

 フードの男が手のひらをこちらに向けた瞬間、黒い影が放たれた。その黒の深さに目を閉じた時、晶穂は腕の中にあった温かなものが消えたのを知る。

「……ノエ、ラ?」

 呆然と自らの腕を見つめる晶穂の耳に、青年の声が滑り込んで来る。

「娘はこちらだ」

「!」

 晶穂が声の方へと顔を向けると、ノエラが黒い球体に囚われて浮いていた。その隣に、先程のフードの男と妖艶な美女が立っている。

「おねえちゃん!」

「ノエラ!?」

 思わず座り込みそうになる足を踏ん張り、晶穂はノエラに手を伸ばした。彼女を取り戻そうと走り出すが、そのガラ空きの背中に女の踵落としが決まる。

「―――がはっ」

「晶穂! ―――このっ」

 前につんのめるようにして倒れた晶穂を目の前にして、リンが奥歯を噛み締める。彼は怒りを剣に乗せて撃を放った。

 しかしその剣撃はフードの男の首筋にはあたることなく、直前に空間に吸い込まれるようにして消えてしまう。

「なっ」

「……さあ、己の剣で痛めつけられろ」

「何……っ、うああっ!」

 男の言葉通り、リンの頭上から彼の剣から放たれたはずの衝撃波が降り注ぐ。リンは頭をかばったために腕に裂傷を負ったが、咄嗟に展開した魔力による光の盾で致命傷は躱す。

「くっそ」

「……頑丈、だな」

 ふらつきながらも両の足で立ち続けるリンに、男はぼそりと呟いた。女も目を見張っていたが、くすりと人を見下した笑みを浮かべる。

「でも……、こちらに向かって来る余力はなさそうね」

 そう言うと、女はリンの矢で壁に縫い付けられていた主格の男のもとへと向かった。男の肩に手を伸ばし、力任せにその矢を引き抜く。

「グッ。……相変わらず、大雑把だな。クラリス」

「あんたみたいな大男に言われたくはないね、ジスターニ」

 くすくすと笑いながら光の矢を握り潰したクラリスと呼ばれた女に、フードの男がため息をつきながら近付いていく。その傍には、ノエラが捕らえられた黒の塊が浮いている。

「……目的は達しました。そろそろ帰りますよ」

とおる、冷たーい」

「待てよ……」

 終わったとばかりにこちらに背を向け、ノエラを捕らえたまま去ろうとする三人組。リンは彼らの背に、精一杯の切っ先を向けた。倒れていた晶穂も、その背中の痛みを堪えながらリンの隣に立つ。

「ノエラを、返せ。その子は、俺たちが帰すんだ」

「そうだ、よ。わたしたちが、ノエラを必ず帰す……」

 ふらふらになりながらも戦意を失わないリンと晶穂に目を見張るも、三人は立ち止まることなく楽しげに言い捨てた。

「……その役目は、オレたちが受け継ごう。貴様らは、ここで休んでいけばいい」

「どうしてもと言うならば、ノイリシアに来ればいい」

「アタシたちが、この子をボスのもとへと連れて行くよ。あんたたち、デートの途中だったんだろう? このことはもう忘れて、楽しんだらいいさ」

「くっ……」

 そこが、二人の立ち続ける限界だった。

 リンと晶穂は、再びその場に崩れ落ちる。彼らの霞む瞳に、黒い塊に閉じ込められたノエラの驚愕に滲む顔が焼き付けられた。

 三人組が去ってから数分後、空気が変わった。結界が張られていたのかと、失われつつある意識の中で、リンは悟った。

 どうにか前に進まなければと、ずるずると這いずるように進む。晶穂も同じようで、匍匐前進の要領で途切れそうな意識を掬い取りながら前に手を伸ばしていた。

 しかしもう、留めておくことは難しい。

「―――いっ、きみたち大丈夫か!?」

「何でこんなことになっているのに、誰も気付かなかったんだ!?」

「すみません、何でかさっきまでこの庭には入れなくて!」

「兎に角、二人を救護室に運べ!」

 何処からか、数人の大人の声が聞こえてくる。バタバタとこちらに駆けて来るのは、この施設のスタッフだろうか。

 残念ながらリンの意識は、彼らが近付いてきた時には既に途切れていた。




 アラスト近郊のとある港にて、異彩を放つ三人組が商船に乗り込もうとしていた。彼らは大男と美女と痩身の青年という組み合わせで、地元の漁師や商人たちがちらちらとそちらを気にしている。しかし、当人たちはそんなことを気にしてなどいなかった。

「ねえ、少しやり過ぎたかねぇ? 綺麗な庭園もぐちゃぐちゃにしちまったしさ」

「あれくらいしなければ、作戦遂行は困難だったぞ。まさか、傷を受けるなど思ってもいなかったからな。……庭園については、ボスが何とかするだろう」

「全く、あれだけの力を備えているとは想定外だったよ。このあたし、女将軍とも称される者に刃を向けるなんてねぇ」

「……ああ」

 女の言葉に悔しさをにじませた声で応じたのは、大きな箱型のリュックを背負った大男だった。彼が動くたび、リュックの中で何かがぐらぐらと動く。少し、男の軽快な動きを妨げていた。

 肩に包帯を巻き、男はため息をつきながら船を見上げた。船はノイリシア王国の豪商のもので、豪華客船のようなおもむきを備えている。

「……ボスの思い通りに全て行ったわけじゃないけど、目的は充分達したと思う」

 男の隣で眩しそうに商船を見上げる青年が、ぼそりと言った。男はそれに「そうだな」と頷くと、リュックを気遣うようにぽんぽんと叩いた。

「オレたちが命じられたことは、成し遂げた。あとは、あちらさんが思い通りに動くか否か、だな」

「動くでしょ。彼らを少し調べたけど、ほとんど知らないとはいえ、一緒にいた幼い女の子を連れて行かれてそれをなかったことにするほど、あの人たちは薄っぺらくない。強過ぎるほどの情を持ち合わせている」

「だねぇ。じゃなけりゃ、あんな大勢に見られるかもしれない公共の場所で大立ち回りなんて演じないだろうし?」

「……次会う時が、心底楽しみだな」

 帰るか。男はそう言って、船につながる階段の手すりに手をかける。女と青年は、顔を見合わせて男の言葉に頷いた。

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