第236話 奪取
のどかな昼下がり。
仕事を終えた克臣が、食堂でお茶を喫していたジェイスの前にどっかと座った。
「お疲れ様、克臣。
「水道管の破裂だって言うから行ってみりゃ、あれはあのじいさんが氷魔力を暴走させて水道の水を一部凍らせた結果として、水が行き場をなくしただけじゃねぇか! 何なんだよ、あの八十五のじいさんは……。魔力強すぎるだろ」
「最近は少し、認知症的な症状も出てるらしいから、制御が難しいんじゃないか?」
「……息子に何とかさせろ」
「酷いなぁ。そんなこと言う人が多いから、介護問題が隠されるんだろう?」
「お前は何処目線なんだよ、ジェイス」
「……まあ、冗談はさておき」
「置くのか」
ジト目の克臣に「ごめんよ」と微笑み、ジェイスは湯呑みを机に置いた。
「克臣も晶穂も、こちらの生活にずいぶんと慣れたようだね」
「俺はもともと、半々で生活してるみたいなもんだったしな。晶穂も……リンが教えて学んでることが大きいんじゃないか?」
「そうだね。本当に、彼らはよくやってるよ」
微笑ましい二人のことを思い出し、ジェイスは目を細めた。
自分用に緑茶を持ってきた克臣が、夜十に貰ったと草餅を投げ寄越した。柔らかな蓬餅の中に、こし餡がぎゅうぎゅうに入っている。蓬餅と称してはいるが本物の蓬ではなく、こちらの世界の食べられる草だ。
「和物は、見ると安心するわ」
「日本と長くつながっていたから、向こうのものが入り込んでいるんだな」
「ああ。……そういや、二人は?」
「デートだよ。朝からリンがそわそわしてたよ」
今朝、報告書を持ってリンの部屋を訪れたジェイスは、何処か落ち着かない挙動のリンに出会ったのだ。どうしたのかと問えば、顔を赤くして「晶穂と出掛けるんです」と言うではないか。
楽しんでおいで、とジェイスは書類を見せずに言った。これは、自分が処理すれば良いだろう。地域の草むしり、市場の雨漏り修理の書類だ。
その時のリンは何処かつっけんどんで機嫌が悪いように見えたが、あれはどう考えても照れと顔が緩むのを抑えていたのだろう。
「あっはは! あいつ、面白いなぁ」
ジェイスにリンの様子を聞き、克臣は声を上げて笑った。
「今頃、二人で何処か歩いてるんじゃないかな」
「ふーん、帰ってきたらからかってやろう」
「……ほんとに、落ち着いた日常っていうのは良いね」
「俺は、もう少し何かあっても良いと思うがな」
そう言って、克臣は草餅を口に放り込んだ。
同じ頃、リンと晶穂はノエラに振り回されながら、商業施設の中を歩いていた。
「ノエラ、何処か待ち合わせ場所とか決めてなかったのか?」
「きめてない。じぃじ、ノエラがめをはなしたときにいなくなった」
「……どっちが保護者かわかんないね、これ」
晶穂が半分呆れた顔で笑う。ノエラが彼女に同調するようにコクコクと頷いた。
「とは言え、何のヒントもなしであてもなく探すのは無理だ。ノエラ、そのじぃじの写真とかなければ特徴を教えてくれ……?」
「リン、あれ……」
三人は、施設に造られた憩いの場である庭園エリアを訪れていた。人工芝が敷かれ、花壇には色とりどりの花と樹木、更には水路が巡らされている。ところどころにはベンチも設置され、誰もがくつろげる空間となっている。
しかし今、そののどかな場所に正反対の雰囲気を持つ一行がいた。
見るからに乱暴そうな風体の男が一人、そして彼に従う妖艶な美女、更にはフードを目深に被った男という風変わりな三人組だ。
「晶穂、ノエラ。前に出るなよ」
「はい」
「……うん」
不安なのか、ノエラが晶穂の服の裾を握った。「大丈夫だよ」としゃがみ込み、晶穂はノエラをかばうように抱き締める。リンはいつでも戦えるよう、胸元のペンダントを握り締めた。
こちらに気付いたフードの男が、主格の男に手で合図する。彼はリンたちの方を見ると、手のひらを上にしてクイッと中指で招く動作をした。
「おい、お前ら。その娘をこちらへ渡せ」
「……は?」
「『は?』じゃないんだよ、聞こえなかったのかい? その小さな女の子を、こちらに渡してほしいって言ってるんだ」
美女が豊満な胸元を見せつけるようにして、リンに迫る。しかしリンは眉一つ動かさず、「断る」と言い放った。
「何処の誰かもわからないやつらに、迷子を渡すわけがないだろう?」
「はぁっ? 何処の誰かもわからないなん……っとと、危ない危ない」
女はフードの男に小突かれて口を閉じた。それから「兎も角」と話を巻き戻す。
「その娘を、こちらに渡しな。わたしたちのボスがお待ちなんだよ」
「……拒否したら?」
リンの問いに、主格の男が舌なめずりをした。腰に差した鉄の棒を抜き放つ。
「実力行使だ!」
「くっ。―――晶穂、ノエラを連れて店の中へ逃げろ!」
「はいっ」
リンは鉄棒を咄嗟に解放した杖で受け止め、弾き返しながら叫ぶ。それに応じた晶穂は、立ちすくむノエラを急かして、彼女の手を取って走り出した。向かうのは、人通りのある施設の中。
現在、何故か庭園内にはリンたち以外の人影がない。リンが思いきり戦うためにも助けを呼ぶためにも、まずは施設の中へ入らなければならないのだ。
「待ちな」
「あっ」
晶穂とノエラの前に、あの美女が立ちはだかる。晶穂が踵を返した直後、跳躍して先回りしたのだ。
女は晶穂の体を舐めるように見て、「ふんっ」と鼻で笑った。体つきを貧相だと感じたのかもしれない。流石に、晶穂もぴくりと反応しかけた。
しかし、ここで乗ってしまえば敵の思う壺だ。そう言い聞かせて平静を保つ。
胸元が大胆に強調されたチャイナドレスのような服を着て、女は右手をノエラに差し出した。
「さあ、こちらへ」
「……あ」
ノエラの瞳が揺れた。
「させない!」
「クッ」
晶穂はノエラの手を引いて自分に引き寄せると、氷華と名付けた矛を出現させた。矛の切っ先を女の喉元に向け、牽制する。
リンもまた、男との戦いを強いられて晶穂たちのもとへと向かうことが出来ずにいた。鉄の棒は強靭で、リンの杖を圧し折ろうと力任せに振り回される。
「くっそ!」
頭にあたれば、運が悪ければ即死だろう。リンは素早く棒を躱しつつ、反撃のチャンスを窺っていた。無茶苦茶な戦い方をする相手に、遅れを取るわけにはいかない。
「はっ」
「グアッ」
リンは杖にためていた光の魔力を一部解放し、矢として男へ放った。その矢は真っ直ぐに男の右肩へと刺さって物置の壁に縫い留める。
「……よし。少しの間、大人しくしていて欲しい」
肩から血を流しながらも、男は痛みで歪んだ顔のままでリンをあざ笑ってみせた。
「足止めをしたつもりか? 甘い。―――おい」
「わかった」
主格の男はフードの男にコンタクトを取り、何かを命じた。頷いた男が小さく、誰にもわからない言葉を紡いだ。
「――――――!」
「きゃっ!」
男の言葉とほぼ同時に、晶穂の悲鳴がこだました。
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