第234話 焦げ茶の髪の女の子
エルハの捨てた過去が明らかになって数週間後。
エルハとサラが暴漢三人組に襲われ返り討ちにした後、彼ら以外で何者かに襲われたという報告はなかった。
ユキたちも警戒を怠らずに日々過ごしていたが、彼らの年少とは思えない強さを知ってか知らずか、戦いを挑もうとする
そんな中途半端な日々を送っていたある休日、晶穂は自室の鏡の前で思い悩んでいた。
「……どうしよ」
服が決まらないのだ。
ベッドの上には何枚ものワンピースやスカート、トップス、パンツが広げられている。今も再び鏡とにらめっこし、ため息をついた。
昨晩、食堂で出会ったリンが周りを気にしつつ晶穂に耳打ちした。
「明日、約束を果しに行くぞ」
「約束って……あ」
「そういうこと」
後でメールする。それだけ言うと、さっさと食堂から出て行ってしまった。
晶穂は熱い耳を手で覆いつつ、心臓の心拍数が上がるのを押さえられなかった。これはつまり、デートということではないか。
確かに、創造主のレオラと出逢った出来事が落ち着いたらデートしようと約束していた。扉が閉じてからもなんだかんだと追われ、約束はお預けかと諦めていたのに。
(……リンに、可愛いって言われたい)
次に誘ってもらえたら、今度こそちゃんとデートがしたかった。仕組まれたり、途中で終わってしまったりという展開は、少し寂しい。我儘だとわかってはいるのだが、晶穂はリンと想いが通じ合ってから浮かれている自分を認識していた。
だから、普段は一緒にいたいという想いを出来得る限り胸の中に仕舞っている。リンに鬱陶しがられたくない。
「……よし」
レースのついた濃い桃色のニットプルオーバーに、グレーのロングスカートを合わせる。まだ寒いため、その上に薄いブラウンのカーディガンを羽織る。
髪はそのまま流して、一部のみをリンにもらったクリップでとめる。
晶穂は鏡の前で気合を入れて、小さめのショルダーバッグを下げて部屋を出た。
「お待たせ、したよね……?」
「いや、大丈夫だ」
リンと晶穂の待ち合わせ場所は、アラスト中央広場の噴水の前だ。そこは待ち合わせの定番とも言える場所で、リンたち以外にも何人もの人々がそれぞれの待ち人を待っていた。
時計を見て遅れそうだと思い走って来た晶穂に、リンは「大丈夫か」と顔を覗き込んだ。その気づかわしげな瞳に、真っ赤に染まった晶穂の顔が映り込む。
「だ、大丈夫……」
ぱっと体を起こして晶穂は笑う。それからふと、リンの姿をまじまじと見た。
普段と変わらずシンプルに黒と紺、藍色くらいの色彩しかない服装だが、少し小綺麗に見える。
(……もしかして、リンも?)
「何だよ、じっと見て」
頬を染めて目を逸らすリンに、晶穂は「なんでもない」と首を振った。
「リンが、かっこいいなって思っただけ」
「……晶穂も、かわいいから」
「……あ、ありがと」
不意打ちを食らい口元を手で覆って照れるリンが、仕返しとばかりに晶穂の欲しい言葉をくれた。はにかみながら、頬に手を添える。
「……行くぞ」
「うん」
リンに手を差し出され、晶穂はその頼もしい手に己のそれを乗せた。
二人がまず向かったのは、アラストの大型商業施設だ。最近できたこの施設には、様々な地域の味を楽しめるレストランやカフェの他、市場では売っていない衣服や小物などを楽しむことが出来る。また、屋上には小さな遊園地があり、子ども連れに人気の場所だ。
「あ、これかわいい!」
「エルハさんの店にあったよな、こういうの」
「そうだね。あの人、何処から仕入れたんだろう?」
晶穂が見つけたのは、小さな動物の置物だ。硝子でできているのか、透明感があって儚い印象を受ける。しかし色鮮やかに装飾され、日本にはいない狼や翼の大きな鳥などが表現されていた。
その隣には、所謂パワーストーンなども含む鉱石を扱う店があった。女性客が何組もいるのは、日本でもソディールでも同じらしい。
別の階には男物の衣服が集まっていた。そこでリンに似合う服を探し、次いで晶穂もまた別のエリアでワンピースなどを見て回った。
そろそろ空腹を感じてきた頃、正午を告げる鐘が鳴った。
「折角来たし、ここで何か食うか?」
「そうしよう」
いつの間にか、自然と恋人つなぎでつながれた手。それにくすぐったさを感じながら、晶穂は笑みをこぼした。
レストランフロアはここソディリスラに留まらず、ノイリシアやスカドゥラの国の料理も楽しむことが出来る。二人はノイリシアの料理専門の店に入り、野菜たっぷりのパスタを注文した。
「向こうで言うところの、ヨーロッパみたいな国なんだろうな。きっと」
リンの言う『向こう』とは、地球のことだ。
トマトソースに似た味わいのパスタを口に運びながら、晶穂も頷く。ちなみにリンが食べているのは、薄黄色のソースがかかったものだ。どうやらペペロンチーノに近い味らしい。お互いのパスタを交換して、一口ずつ食べてみた。確かにその通りだ。
「おいしかった~。連れて来てくれてありがとう、リン」
「俺も初めて食べたけど、うまかったな」
店を出て、再びウィンドウショッピングを始めた二人の耳に、女の子の泣き声が聞こえてきた。決して遠くはない。
「晶穂、行こう」
「うんっ」
二人は泣き声のする方へ向かって、人波をぬって速足で向かった。
「……ぇえん。うぇぇっ」
そこは自販機の数台置かれたフリースペースで、何人かの大人たちが少女を囲んでいた。
「おいおい、嬢ちゃん。どうしたんだ?」
「お父さんとお母さんは?」
「泣いてちゃわかんないなぁ……あ、団長」
リンと晶穂に気付いた犬人の男性が、こちらへ来いと手招きする。
「どうしたんです? その子は……」
「おれが来た時には、ここで泣いてたんだ。どうやら保護者とはぐれたんだろうが、何も言わずに泣くばっかりで困ってたんだよ」
「……ねえ、どうしたの?」
晶穂は女の子の目線になるため腰を折り、優しく話しかけた。
「うっ、ひっく……」
「泣いてたら、かわいいのに勿体ないな? お父さんお母さんは?」
「……おとうさんもおかあさんも、おうちにいる」
「じゃあ、ここには誰と?」
「……じぃじと」
「おじいちゃん? はぐれたのかな?」
「うぅ……」
ぼろぼろと流れていた大粒の涙が落ち着き、女の子はひっくひっくと涙を堪えつつどうにかこうにか言葉を紡ぐ。晶穂は辛抱強く待った。リンたちも固唾を飲んで見守っている。
「じぃじ、さがさなきゃいけないの。くににかえるまで、いっしょにいるっていってたのに。……うぅっ」
「わっ」
女の子が晶穂に抱きついた。ふるふると体を震わせている。女の子の勢いに押されてよろけた晶穂だったが、その背中をリンが支えてくれた。
「リン……」
「仕方ない、やろうか」
「うん」
リンは晶穂の肩を支えたまま、女の子の前に中腰になった。
「俺はリン。で、こっちは晶穂。……きみの名前は?」
「……ノエラ」
小さく呟かれた自己紹介。ノエラと名乗った少女は、恐る恐るとリンを見上げた。
「ノエラ、俺たちとその『じぃじ』を探そう。そして、家に帰ろうか」
「……! うん!」
ぱあっと顔を輝かせたノエラとは反対に、犬人の男性が眉を寄せてリンと晶穂を見比べた。
「いいのか、団長? 今って……」
「良いんですよ。この子を放っては置けないですから」
リンは晶穂と頷き合い、苦笑気味に答えてみせた。自分たちはどうやら、デートに集中することは出来ないらしい。
「ちゃんと送り届けるからね」
「ああ、任せろ」
「ありがとう。おにいちゃん、おねえちゃん!」
パッと咲いたノエラの笑顔に、リンと晶穂は顔を見合わせてふっと微笑んだ。
焦げ茶の肩まで伸びた髪を揺らし、ノエラは二人の間に立って手をつないだ。
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