第231話 エルハ、その五年前

 エルハが銀の華に所属するより前の五年前。

 彼はアラストの町の裏で、己の力だけを武器に生きていた。アラストのような賑やかな町でも、裏にはあぶれ者がたむろする。

 その日もエルハは薄汚れた服を着て、殴られて赤く腫れた頬に手を添えることもなく闊歩していた。喧嘩の最初の原因は、相手の領域にエルハが知らずに入り込んだことだ。

「……全く、あれくらいのことで」

 ため息が出る。更にエルハの刀を奪おうとするのだから、こちらも反撃せざるを得なくなった。

 エルハは、ちらりと腰に佩いた刀を見下ろした。

 これはまだ故郷にいた頃に、旅の人に貰ったものだ。彼は絵本で見たらしき格好をして、幾つかの刀を持っていた。

 ここにも刀は存在するが、エルハは彼の持っていた刀の造形に魅了された。美しい曲線と波、そして洗練されシンプルになった装飾。どれも、王宮で暮らすエルハには物珍しかったのだ。

 旅人はエルハの潜在的戦闘力を見抜き、暇を見つけては少年の稽古をつけてくれた。コテンパンにされて、打撲や切り傷を作ったことも何度もある。

 それは、王の息子であるという枷を忘れられる時間だった。

 しかし、別れはすぐに訪れた。

 ゴーウィンに秘密の場所を見付かり、父である国王に報告されたのだ。勿論エルハは父母からきつく叱られ、罰として軟禁された。その前に師であった旅人の男に別れを告げることは許され、彼に今までの礼を言った。その時、守りにと授けられたのがこの刀である。

「いつか、きみが守りたいと願う人々のためにその力を使う時が来よう」

 その言葉の意味は、彼と別れて五年以上経った今もわからない。

 現在、エルハは軟禁された書庫から逃亡し、船に乗り込んでノイリシア王国とは別の地にやって来ていた。

 書庫で見付けた、古びた本に影響を受けたのである。その本には、ソディリシアという見知らぬ土地のことが書かれていた。国のない、新天地。エルハは今、その地にいる。

 ただし庇護してくれる誰かのいない場所では、たった十幾つの少年が独りで普通に生きていくことは難しかった。

 エルハは港近くの町に身を寄せ、必死に生きてきた。再び船に乗り込み故郷に帰ることも出来たのだろうが、その選択肢を自らは持たないと信じていた。

 それから五年が経とうとしていた。

 十六の春を迎えようとしていた時、エルハは町の外で暴漢に襲われた。

 後で聞いた話によれば、彼らは近くで強盗殺人を犯して逃亡していたという。兎も角も、エルハはその弱々しいガリガリの容姿を発見され、腹いせに暴行されたのだ。

 どうにか急所を躱しながら殴られていたものの、そろそろ反撃に出て逃げなければ不味い、とエルハは攻撃体勢を取ろうとした。

 しかし、一瞬で犯罪者は一掃された。

「少年一人に何をしている。犯罪者ども」

 そこに現れた武骨な男によって。

 彼の頭には狼の耳があり、尾を持っていた。彼はたった数度の蹴り技で強盗たちを地面に倒すと、呆然と座り込むエルハの前に腰を落とした。

「……怪我をしているな。動くなよ」

「……」

 狼人は、故郷でも見たことがある。猫人も、犬人も、勿論同じ人間も。けれど、誰も彼のように自ら自分に向き合ってくれる人はいなかった。誰もが王子である自分に遠慮し、刀に魅せられ修行する姿に怯えて目を逸らした。

 男は手早く荷の中から消毒薬と包帯などを取り出して、エルハの傷を覆った。

「これで、よし」

「……ありが、とう」

「なんだ、お前喋れたのか」

 わずかに目を細めた男は、テッカと名乗った。

「お前の名は? 言いたくなければそれでもいいが」

「エルハル……エルハ。エルハ・ノイル」

「そうか、エルハか」

 咄嗟に偽名を作ったのは、ばれていただろう。

 テッカはそれ以上エルハの身の上については何も聞かず、別のことを口にした。

「エルハ、ちょっとそこで刀で立ち回ってみろ」

「……?」

 幸い、処置のお陰で傷の痛みは軽減された。エルハは愛刀を手に立ち上がり、その場で幾つかの型を披露した。

 エルハには自覚がなかったが、その流れるような淀みない動きに、テッカは感心していた。師がよかったのか、発展途上ながらも程よく筋力もついていた。

 これならば、と思ったのだと後に聞いた。

「よし」

 テッカは一つ頷くと、屈んでエルハと視線を合わせた。

「お前、銀の華に来い」

「……ぎんの、はな?」

 そんな美しい花があるのかと疑った。なおかつ、そこにとはどう言うことか。

 テッカに尋ねても「行けばわかる」の一点張りだ。エルハは道中での謎の解明を諦め、テッカの大きな背中について行った。

 たどり着いたのは、大きな館。そこに入ると、様々な種族の人々が思い思いに過ごしていた。

 テッカは脇目もふらずに真っ直ぐ廊下を行き、ある部屋の前で立ち止まる。トントントン、と戸を叩いた。

「リン団長、いるか?」

「います。どうぞ」

 中から聴こえてきたのは、エルハと同年代か少し下の少年の声。それに驚いていたが、エルハは部屋の中を見て更に目を丸くした。

 奥の机には書類などが山積みにされ、少年が必死に目を通している。更に彼の両脇には、小さな彼を守るように少し年上の少年たちが一人ずつ立っていた。彼らは真ん中の少年の世話係だろうか。少年に尋ねられて、答える姿があった。

「お久し振りです、テッカさん」

 手を止め、紅い瞳の少年が言う。その目には年齢以上の落ち着きがあり、年相応の無邪気さを何処かに置いてきたような雰囲気を持っている。

「リン団長も元気そうだな。またジェイスと克臣にしごかれてるのか?」

 どうやら、この少年がリンという名らしい。テッカの言葉に反応したのは、右隣にいた黒い短髪の少年だった。

「人聞きの悪いこと言わないでください、テッカさん」

「克臣の言う通り、わたしたちはしごいていた訳じゃないんですよ。ただ、たまりにたまった書類の整理を手伝っているだけです」

 にこやかに反論するのは、同じく黒髪だが黄色の瞳を持つ少年だ。こちらがジェイスであるのだろう。そして、先に口を出したのが克臣だ。

「……そうか」

 まあ、どちらでといいんだが。そう前置きし、テッカはエルハの背中を押した。

「ちょっ……?!」

「こいつを、ここの所属にしてやってくれないか?」

「……俺は、リンといいます。あなたの名は?」

 しばしの当惑を顔に見せた後、リンは冷静な表情でそう尋ねた。エルハも諦めて名をさらす。

「僕は、エルハ。エルハ・ノイルだ。……テッカさんに連れてこられた」

「わかりました」

 リンはジェイスと克臣の顔をちらりと見て、即決した。わずかに目を細める。

「俺たちは、あなたを認めます。これから、お願いしますね。エルハさん」

「……お、おお」

 まさかすぐに認められるとは思わず、エルハは内心瞠目していた。そんなエルハにそれほど気を止めず、リンは事務的な口調で話していく。

「幸い、部屋は余っています。ジェイスさんに案内をお願いするので、あなたの部屋を決めてください。それから、銀の華は自警団です。その活動の時以外は基本的に自由ですから、お任せしますよ」

 詳しくはおって説明します。言葉を切り、リンはジェイスに頭を下げた。心得たとばかりに、彼はエルハを伴って廊下に出た。

 これが、エルハと銀の華の出会いである。

 後に、この時リンはテッカへの信頼からエルハを受け入れたのだ、とエルハは知ることになる。

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