第230話 拒否
「ゴーウィンさん、僕は故郷に戻る気はありません。父にもそう伝えて頂けますか? あなたの息子は、エルハルトは、もういないのですと」
「エルハルト様……」
ゴーウィンが衝撃を受けた顔で呆然とエルハを見つめた。それでも、エルハの気持ちは変わらない。初老の紳士を真っ直ぐに見つめ、頭を下げる。
「申し訳ありません、ゴーウィンさん。……僕はあの時、ノイリシアの姓を捨てたのです。……それを再び拾うのではなく、僕はエルハ・ノイルという新たな一人として生きてきたし、これからもそうしていきたいんです」
ゆっくりと頭を上げ、エルハは言葉もなく見守っていた仲間たちに視線を移す。
「ここには、身元もわからない僕を受け入れて接してくれた仲間がいます。共に戦った戦友でもある。そして……」
エルハは、トントンと決して重く響かない足音をさせて移動した。彼が肩を抱いたのは、サラである。目を見開いて自分を見つめてくるサラに苦笑し、エルハはサラに触れている手に力を入れた。
「……サラという、かけがえのない人を見付けました」
「エルハ……」
複雑な心情を映して揺れるサラの瞳を柔らかく見返し、エルハはゴーウィンに再び目を移す。
「僕は、故郷の国を捨てた王子……いえ、元王子です。あなたなら、わかってくださいませんか?」
「……あなたは昔から、こちらのことを見透すような瞳をされている」
小さくため息をつき、ゴーウィンは困り顔で微笑んだ。
「それ程までに決意が固いのならば、仕方ありません。国王には、何とか言い訳しておきましょう」
「面倒なことを押し付けて、すみません」
エルハが目を伏せると、ゴーウィンは苦笑気味に笑った。
「良いのですよ。……もともと、王もあなたが生きているとは思っていませんでした。それを無理を言ってここへ来たのが私なのですから」
遥、イズナ、行きましょうか。
ゴーウィンは二人の護衛にそう促すと、リンたちに向かって頭を下げた。
「お騒がせしましたね。私たちは国に帰ることとしましょう」
「……商船は、夕方にはここを出ると聞いています」
「では、それに乗りましょうか」
「あ、わたし玄関までご案内します」
リンの言葉に首肯し、三人は晶穂に案内されて会議室を出ていった。戸を閉じる直前、イズナがちらりとエルハを見やった。
「……あんた、エルハルト殿下」
「エルハでいいよ」
「なら、エルハ。……身辺には気を付けな。失踪した王子がここにいると、国では噂になっているからな」
「……心しよう」
バタン。今度こそ、戸は閉じられた。
しばし沈黙が降りる。しかしそれは長くは続かず、エルハの大きなため息で弾けた。
「お騒がせしたね。驚かせて申し訳ない」
「……本当に、追い返して良かったんですか?」
お父さんが危篤なんですよね? リンにそう尋ねられたが、エルハは微笑のまま頷いた。
「いいんだ。もともと、もう一生あそこには帰らないと昔決めたからね」
「……エルハ」
ぎゅっとエルハの袖を握り締めたサラに、エルハは瞠目した後彼女の頭を優しく撫でた。
「心配してくれてありがとう、サラ。僕はエルハだから、何ともないよ」
「……うん」
なおも離れないサラに苦笑を漏らしたエルハに、ジェイスが言いかける。
「エルハ、最後にイズナが言ったことだけど」
「……ノイリシアは統率のとれた王国ですが、何処にでも表と裏があります。現王に反感を持つ一派が、王を陥れる種を探していることは間違いないでしょう。ですから、皆さんにちょっかいをかける不届き者がいないとも言い切れません」
「そんなことは良いんだよ。俺たちがいくらでも追い返すからな」
からからと笑った克臣に、リンも頷く。
「俺たちは何者にも決して負けませんし、エルハさんの意志を尊重します。あなたがエルハ・ノイルでいたいと望むなら、それを全力で守ります」
「……あんなに無関心な感じだったのに、人は変わるものだね。リン」
「……どういうことです?」
「ふふっ。守るものを得た人は、強くなれるということだよ」
そうでしょう? とエルハはジェイスと克臣に問いかける。二人も頷きながら、何処か笑い出しそうな顔をしていた。
リンの頭にクエスチョンマークが飛ぶが、その答えをここで示す者はいない。
そこへ、戸を叩く音が聞こえた。ガチャリと遠慮がちに戸を開いた晶穂が、エルハを見ながら報告する。
「皆さん、これから少し市場を見に行って国に戻られるそうです」
「ああ、ありがとう晶穂」
「いえ」
「……僕は少し、町に出てきますね」
「あたしもついていく」
エルハとサラが会議室からいなくなり、足音が遠ざかる。それが聴こえなくなってから、克臣が「はぁっ」と息を吐いた。
「びびったぜ。まさか、エルハが王国の第三王子だったなんてな」
「流石に俺も知りませんでした……。ジェイスさんは?」
「わたしとだよ。……だけど、テッカさんに初めて彼を紹介された時、訳有りだとは聞いていたけどね」
「……お前、それは詳しく聞いとくべきだろうよ」
半眼になる克臣に、ジェイスは「そうかもしれないけど」と応じる。
「あの頃のエルハは、人を寄せ付けない雰囲気があったから、聞きづらかったんだよ」
「確かにな……。今のあの感じからは想像も出来ない」
「それは、俺も。ここに来た頃のエルハさんと同一人物だと言われても、昔しか知らない人は驚くでしょうね」
ジェイスの言葉に、克臣とリンが肯定を返す。それを見ていた晶穂が、目を瞬かせる。
「そんなに違ったんですか?」
晶穂が知るのは、今の穏やかで時折茶目っ気を出すエルハという人物だ。問い返すと、リンが頷いた。
「ああ。俺もあんなに絡んでもらえるようになったのは、ここ数年だと思う」
「たぶん、サラと付き合うようになってからだろうね」
ジェイスが目を細め、エルハたちが出て行った方向を見やった。
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