第229話 捨てたはずの名は

 リンと晶穂が会議室に入ると、そこには既にジェイスとサラも顔をそろえていた。サラは不安げな顔をして、エルハと初対面の三人を見比べている。

「ああ、来てくれたか二人共」

 部屋の奥にはホワイトボードがある。その手前に陣取ったエルハが、リンと晶穂に手を振った。彼の左斜めにはゴーウィンとそのお供の二人の青年がいる。彼らと向かい合う形で、リンたちが席に座る。

「エルハさん、これは一体……?」

「突然にすまないね、リン。戸惑いはわかるけど、とりあえずこちらの三人の紹介をさせてくれないかい」

 困惑顔のリンたちに許可を求め、エルハはゴーウィンに手のひらを向けた。

「こちら、ゴーウィンさん。ノイリシア王国の王族執事を務める人だ」

「そちらのリンくんとお嬢さんにはお会いしましたね。改めまして、ゴーウィンと申します。どうぞ、お見知り置きを」

「いえ、こちらこそ」

 上品な仕草で腰を折るように頭を下げるゴーウィンに、リンたちも慌てて頭を下げた。更にエルハの紹介は続く。

「その隣の二人は、僕は今回初対面なんだけど……。ゴーウィンさんの護衛を務める二人だ。右が魔種のイズナ、左が狼人の遥」

「イズナだ。宜しく頼む」

「遥、と言う。以後宜しく」

 イズナは一房だけ前髪に水色が入った黒髪の青年で、遥はブロンドに近い茶の髪を持っている。どちらも筋肉質な体つきながらも細身で身軽そうだ。

「お三方のことはわかりました。わたしたちも自己紹介をすべきですね」

 ジェイスはそう言うと、自らを始めとして全員を簡単に紹介した。ここが銀の華の拠点だと知ると、ゴーウィンの瞳が輝いた。

「ここが、かの有名な『銀の華』の拠点だったんですね」

「ご存知なんですか?」

 リンが尋ねると、ゴーウィンは大きく頷いた。

「我がノイリシア王国でも噂を耳にしていました。狩人や古来種と戦い、また扉の騒動でも活躍したと。それ程の戦闘集団が無政府のソディリスラに本当にあったとは、と驚いているのです」

「本気で噂だけの存在だと思われていたようですね」

 ジェイスの苦笑に対し、ゴーウィンは「面目ない」と頭をかいた。

「王族の傍で長年仕えて来ましたが、国のない地域とはあまり交流がなかったものですから。……というのは、私の勉強不足の言い訳ですね」

 後頭部をかいたゴーウィンは、表情を改めた。懐から一枚の紙を取り出す。

「銀の華の皆様に、見ていただきたいものがあります」

 そう言って、リンたちの前にその紙を広げてみせた。身を乗り出して見ると、そこには一人の幼年期の男の子の写真とプロフィールが書かれていた。

「えーっと? ……エルハルト・ノイリシア。当時十歳、男。黒髪に茶色の瞳を持つ……えっ」

 音読していた克臣が、声を上げた。同じように声を上げることはなかったものの、サラは両手を口元にあてて目を見開いている。他のメンバーの反応も同じようなものだ。

「写真……そっくり」

 晶穂の言葉が、全員の心情を表していた。

 写真に写っている男の子は、どちらかというと顔を曇らせて俯いている。長い前髪が邪魔をしてわかりにくいが、似ているのだ。成長すれば、きっとエルハそっくりになるだろう。

「その通りなんですよ」

 大きく頷いたゴーウィンが、エルハの顔を見る。

「私は、心底驚きました。十年間探し続けた方が、成長して今ここにおられるという事実に。……噂を頼りにここへ渡って探しに来て、ようやく報われました」

「……ということは?」

 サラが目を見開き、恋人を顧みる。エルハは諦めたように微笑んでいた。

「……改めて、名乗り直さないといけなくなるなんてね」

 エルハは椅子を引き、立ち上がった。居住まいを正し、すっと背筋を伸ばす。

「僕の本名は、エルハルト・ノイリシア。……ノイリシア王国第三王子で、とある理由があって家出してソディリスラにたどり着いたんだ」

「ノイリシア王国の……」

「第三王子……?」

 リンと晶穂が呟くように復唱する。「そうだよ」と困ったように微笑んだ。

「その身分は名と共にとうの昔に捨ててきたはずなんだけど……。ゴーウィンさんは僕が幼少期にお世話になった、僕の世話係だった人なんだ」

「ええ。エルハルト様をお世話させて頂きましたが……まさか、いなくなられるなんて思いもしませんでしたよ」

 愁いを含んだ表情でため息をつきながら目を向けられ、エルハは苦笑する。

「それについては、あなたも何となくはわかっているのでしょう? それは兎も角、今は何故今更ゴーウィンさんが護衛までつれてこちらに僕を探しに来たのかということです」

 教えて頂けますか? そう問われ、ゴーウィンは「勿論です」と頷いた。

「先に申しておきますが、我々は十年前……エルハルト様が行方を立った直後からずっとあなたのことを探し続けていたのです」

 そう断ってから、ゴーウィンはイズナと遥に荷物からあるものを取り出すよう指示した。それはイズナのバッグの中に入っていたらしく、彼から受け取る。

 ゴーウィンが受け取ったのは、丁寧に折り畳まれた書簡だった。

「ノイリシア王国の国王の直筆です」

 ゴーウィンは書簡を開き、そこに書かれた文字を読み始めた。

「エルハルト・ノイリシア。我が息子に、帰還を依頼する。我が生命は幾何いくばくの余裕もないと知った。今更かもしれないが、息子に謝罪したい。そして、一目会わせて欲しい。どうか、ゴーウィンと出逢ったならば、この申し出を受けて欲しい。……そう、綴られています」

「……確かに、幼い頃に何度も見た父の字ですね」

 短い文章の中に、息子ともう一度会いたいという国王の願いが込められている。更に文字は揺れ、震えている。エルハの年齢を考えると国王はそれ程年を取っていないはずだが、重い病気を患っているのだろうか。

 リンがそう尋ねると、ゴーウィンは「そうなのです」と答えた。

「シックサード国王様は胸の病を数年前から患い、今は第一王子であらせられるイリス様が政務を請け負われています。……どうか、最期の願いと思って叶えてくださいませんか?」

 すがるようなゴーウィンの目を真っ直ぐに見つめ、エルハは大きく息を吐き出した。

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