第226話 手合わせ
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、リン」
パタパタと駆けて来た晶穂は、リンの顔を見て笑みを浮かべた。
「ジェイスさんたちが奥で待ってるよ」
「わかった」
ジェイスたちが晶穂に軽く話したんだろう。晶穂はそれだけ伝えると、リンの背を押して彼を見送った。
本当は「心配したんだよ」と言ってもよかったのかもしれないが、あまりべたべたするのも気が引ける。それに大事な用だろうから、と晶穂はその場を後にした。日本から持ってきた料理本から、一度作りたいものがあった。
「よし、買い物に行こ」
奥、と言われて食堂かと思い、リンはそこを覗いてみた。すると思った通り、ジェイスと克臣が向かい合って座っている。先にリンに気付いた克臣が手を振ってきた。
「来いよ、リン」
「遅くなってすみません」
リンは、入口により近い場所にいたジェイスの隣に腰を下ろした。それからエドと話したこと、更にゴーウィンという男性に出会ったことを簡潔に告げた。
ノイリシア王国から来た商船に乗り合わせていたという、ゴーウィンと二人の若者。彼らが何者なのかという謎は、ジェイスたちにも解けない。
両手を頭の後ろで組み、克臣は天井を見上げて言う。
「そのゴーウィンさんって人は、人探しをしているんだろ?」
「はい。その誰かが見つかればいいんですけどね」
難航しているようでしたよ、とリンは眉を寄せた。
「そういえば、エドさんからわたしたちにも連絡が来たんだ。周辺で聞き込みをする男性が何度も目撃されているんだと」
「きっとそれがゴーウィンさんでしょうね。ここに来るのも時間の問題かな……」
ジェイスの言葉を受け、リンは手渡されたお茶を飲み干した。
朝食のラッシュを過ぎ、食堂には彼ら以外誰もいない。克臣が事前に取り置いていたおにぎり二つを貰い、リンは簡単な朝食とした。
きちんと手を合わせた後、食堂の厨房に入って皿を洗う。ゴーウィンが現れた場合や来客があった場合は知らせることを約束し、リンはジェイスたちと別れた。
その足でもうひと汗かこうと、リンの手が中庭へつながる戸を開ける。庭にはまだ朝の爽やかな空気が残っており、リンは頭の中を整理しようと剣を取り出した。
冬が近づき、紅葉した葉が風に遊ばれる。その葉を等分に斬り、幾つもを舞うように斬り刻んでいく。
いつの間にか、中庭の巨木に背中を預けてリンを見るエルハの姿があった。
「エルハさん?」
「やあ、おはよう」
リンが驚いて声をかけると、少し手合わせをしてほしいと願い出て来た。
「珍しいですね。エルハさんがそんなことを言うなんて」
「ちょっと夢見が悪かったんだ。それを払拭するためにも、一度頭を空っぽにしたいんだよ。頼めるかな?」
そう言うエルハの顔は、確かに少し青いように思えた。
「俺でよければ」
「ありがとう」
そう言うと同時にエルハは和刀を抜き、その勢いのままで刃を走らせた。リンも応戦し、緊張した金属音が何度も響き渡る。抜刀時だけでなく、その後も二人の刃は交戦を続ける。
互いに全力ではないが、軽く息が上がる程度には打ち合う。
「……っ」
相変わらずのエルハの実力に、リンは舌を巻いた。涼しい顔をして、リンの剣擊を全く寄せ付けずに跳ね返す。そうかと思えば華麗に躱し、叩きつけるような重さを持つ刃を振るう。
「っ、けど」
リンも負けてはいない。
一度距離をとると、一気にその空間を狭める。エルハの懐に入り込むと、柄の底を彼の鳩尾に叩き込んだ。
「───くっ。やるね、リン」
エルハは咄嗟に左手でリンの剣を受け止め、己の鳩尾からわずかに遠ざけた。それでもダメージを完全には殺せず、息が詰まる。
「エルハさんこそ、ですよ」
はぁはぁと肩で息をしながら、リンはあごに垂れてきた汗を拭った。
「ふふっ。リンのお蔭で落ち着いたよ」
草地に座り込み、エルハは笑った。ざっと冷ややかな冬待ちの風が、頬を撫でる。
「よかったです。払拭出来ましたか?」
「そうだね。……折角だから、少しだけ見た夢の内容を話してもいいかな」
「いいですよ」
リンの了承を得、エルハは空を見上げた。まだ午前中の空には、暖かな太陽が照っている。今日はよい天気になりそうだ。
「……小さい頃の、日常の記憶が呼び起こされたような夢だったよ」
「エルハさんの小さい頃? そういえば、ここに来られるまでのことは聞いたことがありませんでしたね。余程のことがない限り、過去を問わない。それが銀の華での暗黙の了解ですから」
「ああ、そうだね。ここでは自らの過去を語ることも許され、語らないことも許される。それが心地よくて、忘れていた」
自らを苦笑し、エルハは眩しそうに目を細めた。
「僕は、本が好きだったんだ。今もだけどね。……幼い頃から書庫に入り浸って、毎日毎日飽きもせずに読んでいた。ただそれだけの記憶を、再現したような夢だったんだ」
「……それが、どうして夢見の悪さにつながるんですか?」
首を傾げるリンに、そうだよねぇとエルハは笑った。
「何でもないことだよ。でもそれが、僕にとってはあまり思い出したくない過去だったんだ。……全く、どうして思い出したんだか」
「……気を紛らすための手合わせなら、いつでも付き合いますよ」
「ありがとう。いい鍛練にもなったよ」
ようやく、いつもの穏やかなエルハの笑みに戻った。顔色も幾分か良いようだ。
「僕は、少し町に出てくるよ。情報収集も兼ねてね。何かあれば、また伝えよう」
「わかりました。頼みます」
エルハを見送り、リンは「あっ」と小さく声を上げた。
「……ゴーウィンさんのこと、伝えておけばよかったか?」
またエルハが帰ってきた後でいいだろう。メールしてもいい。そんなことを思い、リンも己の仕事をするために自室へ向かった。
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