第224話 学びと商船
扉が消失してから一週間が経過した。
晶穂と克臣はこの世界の
今日は、世界地図が目の前に貼られている。まるで、学校の地理の授業を受けている気分だ。
「わたしたちがいるのが、この地図の真ん中に描かれている大陸だ。外の人々からは“ソディリスラ”なんて名で呼ばれているらしい」
地図は、それが作られた国や地域を中心に描くことが多い。この世界地図も例外ではない。
銀の華が活動する大陸の北の山脈以北は山林に覆われ、人々が住むことの出来ない極限の地だと言われている。またの名を『
ジェイスの講義は続く。
「そして、北側へ陸路では行くことの出来ない。だから海を使うわけなんだけど、隔たった大陸の一部がノイリシア王国。更に神の住まう島という呼び名を持つ島国・
ジェイスが地図の南西にある国を示し、次いでその反対側に描かれた島を指し示した。最後に示された軍事国家は、地図の南側に描かれている。こちらも島国のようだ。
「ソディリスラなんて名前がついていたんですね。わたし、ソディールはこの大陸のみの世界なんだと思ってました」
興味深げに地図を食い入るように見ていた晶穂は、ジェイスに向かってそう口にした。
「ソディリスラは、この地域の外の人々によって呼ばれる名だから、聞いたことがないのは当たり前だと思う。商人くらいしかこれらの国々と交流を持つ人はいないからね。もしくは、個人的につながりがある人くらいなものだ」
「俺たちがいるこの場所には、国家なんてものはないからな。ある意味、無政府状態ってところだ。それが不自由かといえば、それぞれが秩序を持って生活しているから何ともなくいられるってことだな」
「村や町ごとに長がいて、仕切っている。ここはそんな所だよ」
今日はここまで。ジェイスの言葉を受け、克臣が大きく伸びをした。
ジェイスと克臣と別れ、晶穂はノートと筆記用具を自室に持ち帰るために廊下を歩いていた。そこへ、前から茜色の髪を持つ猫人が駆けて来る。
「晶穂ー!」
「サラ、おはよう」
「おはよ~。あ、今日もそれ付けてるの?」
サラが指差した先には、晶穂の灰色の髪を結わえたバナナクリップがある。「うん」と柔らかくそれに触れた晶穂がはにかむ。
「リンが、くれたものだから……」
扉が消え、もうこのソディールへ戻れないと絶望にうちひしがれた後、晶穂は創造主レオラの気まぐれでこちらに戻ることが出来た。
その際、リンから手渡されたのがこのクリップなのだ。
桜色のリボンの上に銀色の花があしらわれている。決して華美ではない可愛らしいデザインのそれは、晶穂の宝物だ。リンがどんな顔をしてこれを選んでくれたのか、きっと悩んだであろうそれを考えると嬉しくなってくる。
晶穂の顔を覗き込み、サラはにやにやと頬を緩めた。
「甘々だなぁ。熱い熱い。まさか晶穂が惚気てくれる日が来るなんて思いもしなかったよ~」
「さ、サラ!」
「そんな真っ赤な顔で怒っても迫力なんてないよ? ふふっ。あたしは晶穂が幸せそうに笑ってくれてるから、嬉しいの」
楽しげに晶穂をからかったサラは、「そういえば」と首を傾げた。
「リン団長は? まだ稽古中?」
さっき食堂にはいなかったよ。そう言ったサラに、晶穂は頷いてみせた。
「朝稽古して、その後は見回りに行くって言ってた。もうそろそろ帰って来ると思うけど……」
時計を見ると、いつもの見回り時間よりも三十分程帰りが遅い。どうしたんだろう、と晶穂は眉根を寄せた。
リンは毎朝の習慣として晶穂と共に剣術の稽古をした後、ジョギングを兼ねて朝市を見回りに行った。見回りと言っても、毎日何かしら起こるわけではない。大抵は市に店を出す店主たちや客たちと挨拶を交わす程度で終わる。
「おはよう、団長」
「おはようございます、エドさん」
早速リンに声をかけてきたのは、半世紀ほど市に店を出しているという魚屋の主だった。彼は地声が大きく、数十メートルほど離れていても声が届く。エドの店頭で足を止め、リンは彼の顔を見上げた。
「相変わらず、お元気そうで何よりです」
「お前もな。彼女も元気かぁ?」
「かっ、彼女って」
リンが思わず顔を赤くすると、エドは日に焼けて褐色になった顔に笑いじわを刻んだ。
「ちっさい頃から知ってる俺からすると、成長を感じて嬉しいんだよ。仲良くするんだぞ」
「大事にしますよ、勿論」
むきになってリンが言うと、エドは「そうかそうか」と彼の頭をぐりぐりと撫でた。地味に痛い。
「ちょ、エドさん」
「ああ、悪いな。……って、俺は別にお前をからかいたくて呼び止めたんじゃないんだよ」
「何かありましたか?」
エドはこの辺りで町の相談役のような役目を持っている。彼が出れば大抵のもめごとは片付くため、皆に信頼されているのだ。
そのエドが、若干顔をしかめた。
「ああ、あったというほどじゃないがな。……数日前、ノイリシア王国からでっかい商船が来ただろう」
「確か、大きな商談をするためでしたよね。それ自体はうまくいって、一晩皆で飲み明かして親睦を深めたと聞きましたが」
「その通りだ。楽しいやつばっかりだったぜ。……って、それはいいんだよ」
話を戻そうと、エドは咳ばらいをした。周りは市場の喧騒にあふれている。
エドはリンにもっと近くへ寄るよう手招きした。リンが寄ると、いつもよりも小さな声で言う。
「その船に、商人ではない男が一人乗っていたんだ。誰かを探しているようだったから、もしかしたら銀の華に行くかもしれん」
銀の華は自警組織だ。この辺りのことについて、問い合わせを受けることも時にある。エドは、誰かが銀の華を紹介するかもしれないと言ったのだ。
「その人はどんな人でした?」
「相手方の商人がへこへこしてたし、衣装も上等だった。恐らく、向こうのお偉いさんの一人だろう。穏やかな顔の男で、眼鏡をかけていたと思う。気付いたらいなくなってたから、行方はわからんがな」
エドの言葉から男に関することを復唱し、リンはエドに頭を下げた。
「教えて頂き、ありがとうございます。また何かあれば、ご連絡ください」
「おうよ。気を付けてな」
エドに見送られ、リンは男の情報をジェイスたちと共有するために人通りの少ない路地に身を寄せた。
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