第221話 神の気まぐれ
───パキン
「うわっ」
リンは突然の爆風に吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
「リン!」
「おい、大丈……」
大丈夫か。克臣はそう言い終える前に、顔を上げて硬直した。その様子を不審に思ったジェイスが、同じように顔を上げる。そして、瞠目する。
「……何っ」
「……リン、わかるか。扉が」
扉が閉じちまった。
克臣の呆然とした声が、リンの耳を通っていく。脳に届いているはずなのに、その意味が理解出来ない。
ゆっくりと顔を上げ、その先にあったはずの扉が消えていることを確認する。そして、伸ばした手に触れなかった彼女の細い指を思う。伸ばしていたはずの自分の手が、震えている。
「───くそっ」
ガンッと地面を拳で殴る。それによって生じた痛みは、胸のそれとは比較にならない。刃で何度も切り刻まれるような痛みが、胸の中を襲う。
ぎり、と歯を喰いしばる。そうでもしなければ、溢れる涙を押し留めることが出来ない。叫び出してしまいそうな悲鳴を押し殺すことが出来ない。銀の華の団長たる者が、仲間の前で泣き顔を晒すことなど許されるはずもないのだから。
「くっ……ぁあ……っ」
声にもならないような呻きが唇から漏れ出る。大声で叫んでしまいたい。何故だ、どうしてだと届かなかった手を握り締める。
地面に爪を立て、握りつぶすように土を掴む。視界が滲むのは、気のせいだ。
俯いた顔から落ちる雫は、汗であって涙ではない。
「晶穂……ッ」
声が歪み、詰まるのは、泣いているせいなんかではない。
リンの静かな慟哭が、雨上がりの大地を濡らす。肩が震え、それを押し留めようとするリンの強情がせめぎ合う。
最後に見た、大切過ぎる少女の顔が、あの必死で手を伸ばす姿が、目に焼き付いて心を焼き切っていく。
「兄さん……」
ユキが兄に駆け寄ろうとするが、唯文に無言で止められた。抗議の意味を込めて唯文を見上げれば、彼の目が真っ赤に染まっていることに気付いてしまった。
ユーギは「晶穂さん……」と呟いたきり、しゃがみ込んで嗚咽を漏らしている。その隣では春直が、ぺたんと座り込んで呆然と扉があった場所を見つめる。
「嘘、だよね……」
春直の呟きに返される言葉を、誰も持たなかった。
泣きじゃくるサラを抱き締めるエルハは、ある一人を除けばこの中で最も冷静に状況を見ていたかもしれない。
「さて、行くか」
リンの傍を真っ直ぐに歩いて行く影がある。それは扉があった場所で足を止めると、小さく呪文を唱えた。
「―――」
彼の体が白く発光し、四人に分裂する。
「……何をするつもりですか、レオラ」
「これから、そこで泣きじゃくっているおまけの願いを叶えに行くのさ」
ジェイスに問われ、レオラはリンを指差して言った。
「……おまけじゃない」
顔を上げたリンの顔には、何も流れてはいない。しかし、涙の跡も目の充血も隠せるものではなかった。
克臣の支えを制して立ち上がったリンは、真っ直ぐにレオラを見つめる。彼の言う「願い」とは何なのか。そう尋ねると、レオラは心底呆れたという顔をした。
「お前、以前に言っただろう。『何人か、記憶を持っていてほしい人がいる。だが、残すかどうかは本人たちの意志を尊重してほしい』と」
その何人かに、尋ねに行くのだ、と。
「―――おまえは、ソディールにまつわることを忘れることを望むか、とな」
レオラはちらりとこちらを見つめる唯文を見返し、リンに再び視線を合わせた。少し、人を見下したような笑みを浮かべてみせる。
「最後に、あの和香子という者にも聞いてやろう。……我の気まぐれだ」
「あ……おい!」
リンの制止する声を完璧に無視し、四人のレオラはそれぞれが魔法陣のような文様を目の前に出現させた。と同時に四人の姿がかき消える。
「……くっ」
リンの悔しさの滲んだ呻きは、ただ夕闇に吸い込まれる。
日本の上空に出現した四つの陣。その上に立つ形で、四人のレオラが現れた。高度は東京スカイツリーよりも高く、オゾン層よりも低い位置だ。
「これからのことだが」
一人の言葉に、それぞれが応じる。
「我は、イシザキテンヤという者のもとへ」
「我は、アイナ・レーズとソイルのもとへ」
「我は、この世界全てから記憶を奪おう」
「……ならば、我は」
四人は各目的を確認し合うと、再びその場から姿を消した。
一人目は、自室でぼんやりと机に向かっていた石崎天也の背後に立った。
「誰だ!? ―――っ?」
何か気配を感じたのか、天也が勢いよく振り向く。そして目の前にいた人物の人間離れした容姿に言葉を失う。銀の瞳と銀の髪、そして透けるような肌。
「お前が、イシザキテンヤか」
「……そう、だけど。あなたは?」
「知る必要はない。我が尋ねるのは、一つだけだ」
レオラは天也の瞳を真っ直ぐに見て、尋ねた。
「―――お前は、唯文を忘れるか?」
二人目は、気配を消して喫茶店の二階にいた。丁度、アイナとソイルが食後の団欒をしている。その前に、急に姿を現した。
「―――っ」
「見事だな」
レオラの首筋にナイフが突き付けられている。その持ち主であるアイナは、侵入者の背後からその目的を問うた。
「何、簡単なことだ」
全く動揺することなく、レオラは音もなくアイナの手を首から外させた。自意識とは無関係に動かされる自らの手に驚きながらも、アイナはレオラに不審の目を向けた。
「お前は……?」
「なるほど」
アイナとは反対に、ソイルには目の前の銀色の青年に覚えがあるらしい。
レオラはその正反対の反応を面白く見ていたが、アイナの問いには答えない。ただ、尋ねるだけだ。
「―――お前たちは、ソディールを忘れるか?」
三人目は、地球を見下ろしている。四人目の合図と同時に、この世界に対して神の力を使うつもりでいる。
扉がつながり閉じるたびに、数えきれない数繰り返してきた行為だ。
世界と世界のつながりは、今再び断ち切られようとしている。
四人目は、和香子の車の上に腰を下ろしていた。
和香子は地面に座り込んで泣きじゃくる晶穂を慰め、連れ帰ろうと必死な様子だ。しかし、晶穂は一歩も動こうとはしない。この場所が、ソディールとつながり得る最後の点だとわかっているかのように。
レオラは結界を張った。このままでは晶穂の慟哭を聞いた近所の人々が集まって来てしまいかねない。そうすれば、これからする質問には答えづらかろう。
「……我も、神子には甘いらしい」
自らの行為に苦笑し、レオラは音もなく車から飛び降りた。
近付けば、和香子が必死に晶穂に話しかけている声が聞こえてくる。
「……ほ、一緒に帰りましょう? 私たちと幸せになればいいじゃない。あんな人たちのことなんて、忘れちゃえばいいのよ。住む世界が文字通り違うんだから」
「……」
晶穂は叔母の声が聞こえていないのか、涙を流したままじっとしている。
そこへ、レオラは顔を出した。
「神子、お前に問おう」
「ちょっと、あなた誰!? 今取り込み中なんだから後に……」
「五月蠅い」
レオラが和香子をデコピンすると、彼女は石像のように動かなくなった。レオラが気まぐれに発動させた、一時的に時間を止める力である。これは五分も持たないが、それで充分だ。
「神子」
「……レ、オラ?」
光を失った晶穂の瞳が、レオラを捉える。その痛々しさに眉を顰めかけたレオラだったが、今はその時ではないと意識を変えた。
一つだけ、問う。
「―――お前は、リンのもとに戻りたいか?」
晶穂の目から、一筋の雫が流れ落ちた。
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