第222話 その手を取れるまで

 レオラの姿が消え、その場は静寂が支配していた。

 どれだけの時が経っただろうか。もう、それを確認するのも億劫だ。

「……戻り、ましょう」

「今、何て?」

「おい、リン!」

 兄貴分二人からの言葉が聞こえていないかのようなリンは、ゆらりとリドアスの方へと体を向けた。一歩ずつ何とか歩いて行こうとする弟分の背を、克臣が追う。

「何処へ行くつもりだ、リン」

 克臣に肩を掴まれ、リンはそのまま進めなくなった。怒気をはらんだ克臣の声に、心の底からの後悔が湧き上がる。

 拳を握り締め、リンは克臣の手を振り払って叫んだ。

「探すんです、つながる扉を! ……この大陸だけじゃなくて、この世界に、もしかしたら一つくらい残っているかもしれないじゃないですか! それを探し出して……必ず、あいつを……」

「……リン。だが」

 悲しげに歪んだ克臣の表情に、リンの心はより粉々になりそうだった。それでも虚勢を張らなければと、血がにじむほどに拳を握る。

 克臣の顔が向く方には、ジェイスの手元がある。彼の手の中には、扉の消滅を知らせてくれた涙型の石がある。

 今は、涙型となるわけだが。

 硝子のように割れた石からは、以前のような鈴の音は聞こえまい。

「……わかるだろう? リン」

「……わかりたくなんて、ありません」

 現実は嫌というほど突き付けられている。それにまた、傷が上からつけられていく。

 ジェイスの言葉に、リンは駄々をこねる子どものように言い返していた。

「あいつは!」

 絞り出すように、リンが叫ぶ。

「あいつは、ソディールで生きたいと言ったんです。俺たちといたい、と。それなのに、手を伸ばしてもう少しで触れそうだったのに……! 俺は……どうして届かなかったんだよ……」

 リンはズボンのポケットに手を入れ、小さな袋を取り出した。可愛らしいハートと羽のマークのついたその水色の袋は、晶穂に酷いことを言った詫びにと買い求めていたものだ。

 それを胸の前で握り締め、リンは膝をついた。

「……ごめん、晶穂」


 一瞬で、場の空気が変わったと感じた。息を呑んだ、と言った方が正しいかもしれない。そこにいた誰もが、一点を凝視しているようだ。

「わたしの方こそ、ごめんなさい。リン」

「―――っ」

 リンが顔を上げると、そこには世界が別たれたはずの晶穂が膝をついていた。真っ赤に充血した目と顔で、リンを見つめている。

 リンは手から砂を落とし、血のにじむのはそのままにして、そっと彼女の頬に触れた。温かい。体温が伝わって来る。

「……本当に、晶穂か?」

「偽物に見える?」

 晶穂の問いに、リンは首を横に振った。見間違えるはずもない。瞳の奥に光る神子の透明に近い青色、灰色の長い髪。そして、リンに触れられて真っ赤に染まる頬、恐る恐るといった体でリンの手に重ねられた晶穂の細い手。どれを取っても、目の前の少女が三咲晶穂であることは疑うべくもない。

「どうして、帰って来れたんだ?」

「レオラさんが、わたしの前に現れて、言ったの。『もしも帰りたいと望むのならば、気まぐれに叶えてやろう』って」

「そう。全ては我の気まぐれだ。決して、お前たち二人のことを気に入っているからではない」

 突然二人の前に現れたレオラがまくしたてたが、その顔はわずかに赤い。

(……本音が)

 照れてそっぽを向いてしまったレオラに、リンと晶穂は顔を見合わせて苦笑した。二人の様子にレオラは「ふっ」と微笑して、そのまま姿を消してしまった。

 レオラを見送り、リンは晶穂に視線を戻した。晶穂はまだ、レオラの消えた後を見つめている。

 彼女の横顔には、安堵の色が濃い。

 リンは、彼女への愛しさが胸の中から溢れそうな自分に気付いた。そして、彼女と一生会えないと絶望した傷が、少しずつ塞がっていく。

 おもむろに、リンは両手を伸ばす。こちらに気付いた晶穂が、充血の取れない目を思いっ切り開いた。リンの切ない声が、晶穂の瞳を揺らす。

「……晶穂」

「リ……ッ」

 晶穂の言葉は、塞がれてしまった。

 周りがざわついているが、それを気にしてはいられない。ちなみにジェイスと克臣、エルハ、真希が年少組それぞれの目を黙って手で塞いだのは言うまでもない。サラは自分の手で思わず顔を覆ったが、指の間からしっかりと見ていた。

 互いに目を閉じ、その優しく温かなものに触れ合う。

 心臓が早鐘を打つ。止まるのではないかと思うほどに、激しく。そして、それが自分のものなのか、相手のものなのかも判然としない。溶け合うようだ。世界にはこの音しか存在しないのではないか、という錯覚に陥る。

 晶穂の手がリンの胸元のシャツを掴む。リンは両手を晶穂の背に回していた。

「―――ぁ」

 一瞬の出来事だったような、数分にもわたったような。そんな魔法のような時は、二人のそれが自然と離れたことで終わりを告げた。

 晶穂の吐息が漏れ、二人は数センチの距離で見つめ合った。お互いの顔はこれ以上ないほど真っ赤で、湯気が出そうなほどだ。

 ふっと目を細め、リンは微笑んだ。自分の腕の中に、最愛の人がいる。こんなに幸せなことはない。

「おかえり、晶穂」

「ただいま、リン。……だいすきっ」

「……っ」

 晶穂に笑顔の花が咲く。その愛らしさに、リンの心臓が止まりかけた。

 しかし、その甘い空気が一気に現実に戻される。

「そこは、『俺も大好きだ』~だろ? リン」

「彼氏なんだから、それくらい言えなくちゃな」

「うわあっ!?」

「きゃっ」

 突然現れた克臣とジェイスに驚き、慌てて二人は距離を取った。その二人をからかうべくか、他の仲間たちもわらわらと集まって来る。

「お帰り、晶穂。よかったな、リン」

「心配してたのよ? こちらに帰って来てくれて嬉しいわ」

 エルハと真希は大人の余裕を見せ、晶穂との再会を心から喜んだ。

「お帰りなさい、晶穂さん。……もう、会えないかと思いました」

「本当だよ! すっごくすっごく心配したんだからね!」

「……春直、ユーギ。そんなにくっついたら晶穂さんが困るだろ」

「そんなこと言って、本当は唯文兄も泣きそうになってたでしょ?」

「ユ、ユキ。それは言うなっ」

 何とも賑やかな年少組のお迎えである。晶穂は、照れている唯文の頭を優しく撫でてやった。ぺたん、と彼の耳が寝る。そっぽを向いてはいるが、ユキの言う通り心底心配してくれていたのだろう。また、春直とユーギは晶穂に、ユキはリンにくっついていた。

 更に二人の間に割り込んだのは、目をキラキラと輝かせたサラである。

「晶穂、心配したんだよぉ!!」

「サラ、ごめんね。心配かけて。でももう大丈……」

「でねっ、ファーストキスはどうだった!?」

「「―――ッ!!??」」

 爆弾投下である。サラの隣では、エルハが額に指をあてている。

 リンと晶穂は再び耳や首まで真っ赤にして、しどろもどろになってしまった。晶穂は、自分の唇に指先をあてて恥ずかしがっている。リンもサラの追撃から逃れようと明後日の方向を見た。ただ二人共年少組が抱きついているために、そこから去ることは出来ない。


「全く、騒々しいやつらだぜ」

 リンたちから少し離れ、木陰に移動した克臣が苦笑する。それに応じたのはジェイスである。

「そんなこと言って、口火を切ったのはお前だろ、克臣」

「まーな」

 ジェイスの言葉を肯定し、克臣は頭の後ろで腕を組んだ。穏やかな顔で、後輩たちを見つめる。

「……こうなればいいなって思ってたことが目の前で起こってて、すっげぇ嬉しいんだよな」

 ジェイスはそうではないのか。そう問われ、ジェイスは笑みをもって肯定を返した。

 彼らから少し離れたところでは、先程の問答がまだ繰り広げられている。ユキたちも参戦しているようで、リンと晶穂はその対応に追われているようだ。

 その様子に苦笑しながら、ジェイスは傍に現れた創造主に問いかけた。

「……日本にいる天也くんやアイナたちに、会いに行ってくれたんですか?」

「ああ。彼らを訪ねるよう、あのおまけ……いや、リンに頼まれたからな」

 レオラはようやくリンを名で呼ぶことにしたらしい。

「彼らは、何と?」

 克臣も身を乗り出してくる。

「天也は、唯文のことを覚えておきたいと言った。アイナとソイルは、故郷の記憶は残してほしいと答えた。そして晶穂は、ソディールへ帰りたいと願った。あいつの叔母とやらのソディールに関する記憶……晶穂の記憶は消した」

「そうか。……唯文のこと、覚えていてくれるんだな」

「『もう二度と会えなくても、ずっと友だちだ』。そうあの子どもに伝えてくれと頼まれた」

「わかった。伝えよう」

「頼もう」

 レオラは伝言を全て終えると、満足したのか再び陣を描いた。もう行くのかと問うジェイスに、頷いて見せる。

「またいつか、会うこともあろう。……お前たちとの縁は、思った以上に深いようだからな」

 そして、風のように去って行った。

 レオラを見送り、ジェイスと克臣は互いに見合って微笑んだ。

「そろそろサラを止めてやるか?」

「そうだね。あれは流石に、かわいそうになってきた」

「だろ? ……少し。二人っきりにしてやりたいしな」

 二人が見つめる先では、いつの間にかサラと共にユキとユーギが攻勢にまわっている。唯文と春直は傍観側だ。エルハと真希は言うまでもない。

 ジェイスと克臣が彼らに向かって歩き出した時、リンが晶穂の手を掴んだ。目を丸くする晶穂に、リンは笑顔で言う。

「逃げるぞ、晶穂!」

「―――はいっ」

「あ、逃げた―――!」

 二人が駆け出し、サラたちの文句を置いていく。

 しっかりと握り締めて絡んだ指は、もう離れないという強い想いが込められている。

 その手を離さない。リンは晶穂の笑顔を焼き付けて誓うのだった。きっと、いや間違いなく、晶穂も同じ誓いを胸に抱いている。


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