第216話 知るための提案

 後二日以内に、日本とソディールのつながりは消え失せる。

 晶穂は和香子と対面した翌日の昼、一人で大学構内の食堂にいた。朝からあまり食欲はなかったが、うどん程度なら食べられそうだと思ったのだ。

 温かなきつねうどんを受け取り、席につく。昼休みの時間にはまだ少し早く、学生の姿はまばらだ。早めの昼食を摂る学生と勉強をする学生、そして友人と喋っている学生がそれぞれ同じくらいいる。

 もうすぐ冬だ。一年の締め括りが近付いている。その慌ただしさを感じる。

 鞄を隣の椅子に置き、晶穂は水でのどを潤した。いつもなら友人と待ち合わせをして昼食を摂ることも多いのだが、今日は何故か皆バラバラに行動している。

「……今日は、それで都合がよかったな」

 箸を取り、晶穂はぼんやり呟いた。うどんの湯気がくゆる。

 昨日、和香子に同居を願われ、リンに思いをぶつけた。リンが己の想いを殺して晶穂に選択を委ねていることは、あの抱擁でよく理解した。

 その時の体の熱さを思い出し、晶穂は人知れず赤面する。自分は独りではないという安心感、そして正反対の寂しさを感じた。自分の選択次第で、未来が変わる。

 麺が伸びてはいけない。晶穂がつゆから麺を取り出し口に運んだ時、鞄の中のスマートフォンが鳴った。

 今朝は、気恥ずかしさからリンとまともに顔を合わせていない。もしかしたら、と急いで画面を確認する。

「……和香子、さん?」

「ああ、晶穂。ごめんなさいね、電話して。あなたに提案があってね……」

「はい、はい。……え? 一泊ですか」

「そう。今夜一泊、うちでしてみない? 実は今日で出張期間が終わるから、帰らないといけないの。夕方に大学の前にいてくれたら拾うけど……来てくれる?」

 断られたらどうしよう、と不安に揺れる声だ。その声が、晶穂の弱い所を突いて来る。

「す、少しだけ考えさせてください」

「わかったわ。でも迎えに行くこともあるから早めにね?」

「……はい」

 失礼します。通話を切り、晶穂は「はぁ」と頭を抱えた。今日が過ぎれば、明日一日しか残されない。

「この一晩で、わたしは決められるのかな……」

 思えば、叔母のことを晶穂は何も知らない。相手は晶穂のことをいくらか知っているのだろうが、晶穂は違う。それを知るいい機会かもしれない。

 晶穂はスマホの画面を操作し、メッセージアプリをタップする。そこからリンの名を選んだ。

「……よし」

 叔母に今日一泊しないかと誘われたんだけど、行ってみようと思います。リンは、どう思う?

 それだけを打ち込み、送信する。

 まさかこの時、リンと和香子が会っていたなど思いもよらない。

 少し伸びたうどんを食べ終わり、トレイを返却口に持って行く。いつの間にチャイムが鳴ったのか、食堂はもう学生だらけだ。

 休み時間の終わりまで、後四十分ほどだ。少し生協の書店に寄って行こう。

 建物の外に出た直後、スマートフォンが着信を告げた。見れば、リンからの返信だった。どういう返答が返ってきているか、と内心緊張しつつタップする。

「……そっか」

 返事はこうだった。『相手のことを知ることも大事だよな。行ってくるといい』。たったそれだけだ。

 何も間違ってはいない。過不足があるわけではない。それなのに、晶穂の心に一抹の寂しさが駆け抜けた。

(わたし、いつからこんなに我儘になったんだろう)

 相手の言葉に一喜一憂して、自分の思いを汲み取ってもらえなければふてくされたくなる。そんな面倒くさい女にはなりたくないのに。

 しかし、今すべきことは違う。晶穂はメール画面を開き、和香子に泊まりに行く旨を送った。そして、リンとジェイス、克臣に今夜はリドアスに帰らないことを連絡した。


 その日の夕暮れ、リンは少し気落ちした思いでリドアスの玄関をくぐった。

「お帰り、兄さん」

「ユキか。ただいま」

「あれっ、晶穂さんは一緒じゃないの?」

「……今日、あいつは泊りだ」

 それだけ答え、リンは自室に帰ってしまった。ユキがその背に声をかけるが、振り返らない。そこへジェイスが通りがかった。

「どうしたんだい、ユキ」

「あ、ジェイスさん。兄さんの元気がないだ」

 何か知らない? そう尋ねられ、ジェイスは晶穂から送られてきたメールを思い出して苦笑した。

「ああ、ちょっとふてくされているというか、嫉妬してるんじゃないか? 晶穂が叔母だという女性の家に一晩泊るから」

「叔母さん? そういえば、ようやく血縁者が見つかったって……」

 ユキがポンッと手を叩く。ジェイスは晶穂からのメールを見せてやった。文面は簡潔だ。

「『叔母に誘われたので、一晩泊ってきます』って、すっごく簡単な文章だね」

「これ以外に書きようがなかったんだろう。昼頃突然提案されたと言っていたから」

「だから、兄さんは寂しそうなんだ。わかりやすいね」

 ユキに見抜かれてしまうとは、我らが団長はわかりやすいらしい。特に、この分野に関しては。ジェイスはリンの自室の方向を向いて、眉を寄せる。

「……見守ることしか出来ないのは、何とももどかしい限りだね」

 そろそろ夕食時だ。克臣ももう少しで帰って来るだろう。それから、リンを呼び出しに行けばいいと思った。

「じゃあぼくは、春直誘ってご飯食べてくるね」

「ああ、いってらっしゃい」

 ジェイスがユキを食堂に送り出した後、玄関で騒がしく帰宅した者がいた。しかもずぶ濡れだ。唯文が体を震って

「おや、克臣と唯文が一緒とは珍しいね」

「ああ、ジェイスか。すまんがタオルを頼む。急に降ってきやがった」

「わかった」

 近くを通りかかったユーギに手伝ってもらい、ジェイスは二枚のバスタオルを克臣と唯文に手渡した。

「それにしても、丁度降られたんだな」

 服も髪も、鞄もびしょ濡れだ。耳を澄ませれば、激しい雨音が聞こえてくる。

 頭を乱暴に拭いていた克臣は、ある程度水気を取ることが出来たのか、ふうっと息を吐いた。唯文も鞄の中身を確認してほっとした顔をした。

「唯文は、今日で最後だったっけ。学校」

「そうです。……みんなには、親の仕事の都合で転勤になったと伝えています。天也だけは、本当のことを知ってますけど」

「寂しくなるけど、挨拶は出来たかい?」

「はい。たぶん、笑顔でいられたと思います。天也には、笑われましたけど。『お前、最後まで顔が引きつってたぞ』って」

 寂しげに笑った唯文の頭を、ジェイスは優しく撫でた。それから克臣に向き直り、濡れたタオルを受け取ってやる。

「克臣は……、決めたのか?」

「ああ」

 どっちつかずではないはっきりとした口調で、克臣は答える。

「俺は、真希と明人と、このソディールで生きていくと決めた。だから、辞表を出してきたよ。滅茶苦茶引き留められて、受理しないって部長に言われたけどな」

 休職扱いらしいぜ。そう言って苦笑した克臣の顔は、晴れやかだった。

「そうか。……じゃあ、あとは」

「あいつらだけだな」

 ジェイスと克臣、そして唯文の目が廊下の奥へと注がれる。

 窓の向こうでは、雷鳴が轟いた。

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