第212話 縁者の願い

 隣の机もくっつけて、晶穂たち三人は顔を合わせた。

 和香子の前にはアイスコーヒーが置かれ、改めて簡単な挨拶が交わされる。それから和香子は晶穂と園長に乞われ、晶穂の両親について話し始めた。

「私の兄・三咲陽大は、私と同じ会社で働くサラリーマンでした。そして妻の采明あやめとは、大学時代の同級生でした。二人は社会人三年目に結婚して、翌年には、娘が生まれました」

 それがあなたよ、と和香子は晶穂を見た。

「その頃、兄はほとんど実家に連絡を寄越さなくなりました。父も母も放任主義でしたから、放っておけ、と言うばかりで。……一度だけ、兄に会いに行きました。会社では部署は違えど会うこともありましたが、プライベートで会うこともありませんでしたから」

 陽大は妹の訪問に驚いたものの、家の中に通してくれたと言う。生まれたばかりの晶穂を抱っこさせてもらい、采明とも冗談のような言葉を交わすことが出来た。

 そろそろおいとましようか、という時のこと。陽大は和香子に「もうここへ来てはいけない」と釘を刺した。

 その時のことを思い出したのか、和香子は悔しげに眉を寄せる。

「何故と尋ねても、『俺たちはもう、和香子たちと同じ場所にはいられないんだ』と言うだけで……。それから数か月後、兄たち夫婦は何者かに殺され、娘は行方不明となりました」

 後にその娘が施設にいると噂に聞き、行方を探していたのだと、和香子は言った。

「そしてようやく、あなたを探しあてた。……晶穂さん、わたしたちと一緒に暮らさない?」

「え……」

 晶穂は目を見張り、彷徨わせた。

 ここで頷けば和香子を喜ばせることは出来るが、リンたちとは永遠に会えなくなるかもしれない。反対にここで首を横に振れば、リンたちのもとには戻れるが、両親を知る和香子とは会えない。

 血縁者を失っていた晶穂にとって、この選択は迷いを生むものだった。これまではソディールで生きていくと心に決めていたが、血縁という縛りがその選択に待ったをかけたのだ。

 迷う様子を見せる姪に、和香子は苦笑した。

「ごめんなさい。ここで判断しろというのも酷よね。あなたには今、あなたの生活があるのでしょうから」

「……ごめんなさい。今は、決められません」

 正直な気持ちを、晶穂は口にした。和香子も当然だと了承しながらも、何処かで期待しているのが見て取れる。

 姪と叔母の間に微妙な空気が流れる。園長はそれを少しでも変えようと、咳払いをした。

「こほん。……二十六木さん、少し時間を置いてはいかがですか? 晶穂も、今は縁者に会えたこと喜べばいいと思うわよ」

「ええ、勿論です」

「はい。……お会いできて、嬉しいです。二十六木さん」

 ようやくわずかに微笑んだ晶穂に、和香子もほっと息をついた。

「ええ、私もよ。よければ、名前で呼んで頂戴。……私も、晶穂と呼んでもいいかしら」

「はい。……和香子さん」

「ありがとう、晶穂」

 穏やかな空気になった三人は、それからとりとめもない世間話や晶穂の思い出話に花を咲かせた。

 特に彼氏がいるのかと和香子に問われ、晶穂は答えに窮してうつむいた。顔が真っ赤に染まっていたことから、大人二人には答えが丸わかりだったわけだが。

 和香子は仕事に戻るということで、一時間後には店を出て行った。その際、晶穂と園長に自身の連絡先を手渡した。

「もし、私と話したいと思ったら連絡を頂戴。私も、近日中に連絡するわ」

「はい」

 笑顔で手を振り、和香子は去って行った。

 残った晶穂と園長は、また二人で席に座った。園長はうつむく晶穂に優しく問いかけた。

「どうだった、晶穂」

「どう、とは?」

「……初めて縁者に出会って、一緒に住まないかと尋ねられて。あなたは、今どう思ってる?」

「……正直、混乱してます」

 晶穂はグラスに残っていたレモンティーを一口飲み込んだ。きゅっと両手を膝の上で握り締め、小さな声で呟く。

「叔母に会えたことは素直に嬉しいです。だけど……」

「……両親の話をたくさん聞きたい気持ちはあれど、自分がどう思っているのかわからない、ということね」

「その通りです」

 晶穂には、園長には言えない事情もある。それを口に出来ないもどかしさを感じながら、懸命に考えていた。

 自分が一緒に暮らせば、亡き両親は喜んでくれるだろうか、と。




 園長と別れ、晶穂は電車に揺られていた。鮮やかな景色が車窓を流れて行く。

「……」

 自分は、どうしたいんだろうか。

 複雑な心情のまま、大学の最寄り駅に到着した。プラットホームの時計は、午後三時を差していた。

 ぐるぐると考え過ぎて頭痛がしてきた。晶穂はリドアスに帰る前に落ち着こうと、駅近くのカフェに入った。全国展開しているチェーン店だ。レジで先に商品を受け取り、席に持っていくタイプの店である。紅茶を注文し、席についた。

「……はぁ」

「晶穂か?」

「えっ」

 名前を呼ばれて振り向くと、そこにはスーツ姿の克臣が立っていた。その手にはコーヒーとベーグルサンドを乗せたトレイがある。

「克臣さん。遅いお昼ですね?」

「ちょっと、取引先との商談が長引いてな。こっちで会うなんて珍しいな」

「そうですね」

 そういえば、出掛ける時に克臣の姿を見なかったな、と晶穂は思った。克臣は大樹の森からの帰宅後、数時間仮眠を取ったすぐに出社したのだ。

 隣いいか? と問われ、晶穂は頷いた。

「真希さんと明人くんはどうしてますか?」

「午前中に実家に行ったよ。歩いて喋れるようになった明人を見せに。地元の友人とお茶してくるってさ」

 楽しそうだ、と克臣は呟いた。その言葉に迷いが見えたような気がして、晶穂は思い切って聞いてみた。

「……克臣さんは、どちらを選ぶんですか?」

「……正直、わからなくなってる」

 克臣はベーグルに噛みつき、咀嚼して飲み込んだ。コーヒーを飲んで、息をつく。

「真希と明人のことを思えば、こちらの方が良いだろうと思う。日本にいれば、少なくとも敵に襲われることはない。普通の生活が出来るだろう。ただ、俺は自分が寂しいだろうなと思うんだ。申し訳ないとは思うが、俺はソディールが第二の故郷みたいに感じてる。……だからといって、離れる選択はしたくない」

 我儘だろ? と克臣は苦笑した。彼に晶穂は首を横に振り、わたしもですと答える。

「わたしも、迷ってしまいました。……実はさっき、わたしの叔母だという人と会ったんです」

「……詳しく、聞かせてくれるか?」

 克臣の休憩時間は良いのかと訊けば、彼の会社はこの近くだという。一時間は問題ないという回答が返って来た。

 晶穂は、和香子と出会ったきっかけとその時のことについて話した。そして、自分を幸せにしたいという叔母の申し出を断るか受け入れるかを決められないのだと吐露した。

「決めたはずなんです。わたしは、ソディールで生きていくと。でも、叔母の存在を知ってしまった。自分の決意が揺らいでしまったんです。……あの人の思いを無碍むげにすることも出来ないんです」

「……晶穂も、悩んでるんだな」

 克臣の労いを込めた言葉に、晶穂は浅く頷いた。氷が解けてしまった紅茶を一口飲んだが、やけに苦い。

 克臣は家族の幸せについて、晶穂は自身と縁者のつながりについて、答えを出せずにいた。

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