第211話 叔母

 晶穂は日本に戻って電車に乗り、再び水の樹学園を目指した。

 大学最寄り駅のホームで、園長先生には連絡をしてある。彼女は晶穂が早速動いたことに驚きつつも、詳しい話を前回訪れたカフェですると約束してくれた。幸い、他のスタッフに仕事を割り振ることも可能らしい。

 待ち合わせ時間である午前十時半まで、あと三十分。

 晶穂は緊張の面持ちで、車内アナウンスに耳を傾けていた。

「園長先生、お呼びだてしてすみません」

「晶穂、よく来てくれたわ」

 待ち合わせ五分前。晶穂がカフェに入ると、既に園長は席についていた。その前にはブラックのコーヒーが置かれている。園長には、緊張をほぐすために何故かブラックコーヒーを飲む癖がある。

 晶穂は園長に向かい合う席に座り、店員にレモンティーを注文した。

「レモンティーです。それでは、ごゆっくり」

 カラン。グラスの中の氷が涼しげな音を鳴らした。

 店員が去り、二人はそれぞれの飲み物を口に運んだ。しばし、沈黙が訪れる。

 店内には、晶穂たちの他数組がいた。まだ午前中ということもあり、モーニングのトーストとサラダ、スープのセットを食べている人もいる。また、スマートフォンで仕事先と話している人もいた。

「さて、じゃああなたが来てくれた、その用件を済ませましょう」

 そう言うと、園長は鞄から一通の封筒を取り出した。それを晶穂に差し出す。

 受け取って、白い封筒の中から便箋二枚を取り出した。園長が晶穂に写真として送ってくれたものと同じものだった。

 便箋を開くと、そこには少し癖のある文字がいっぱいに書かれていた。晶穂はその文字に吸い寄せられるようにして、食い入るように読んだ。

 それは短く要点をまとめると、次のような内容だった。


 初めてお手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。私は、二十六木和香子とどろきわかこと申します。旧姓は三咲です。

 唐突ですが、水の樹学園に、三咲の名字を持つ女の子はいませんか。その子は、おそらく私の亡くなった兄の娘です。

 兄と彼の妻は、二十年近くも前に亡くなりました。死因は、殺害です。その犯人はまだ捕まっておらず、迷宮入りしそうな事件です。しかし、私はまだ諦めてはいません。

 物騒な話になりましたが、私はその子を引き取り、共に暮らしたいと考えております。夫や彼の両親の承諾も得ております。

 もしも彼女が生きていて、まだ学園に在籍しているのであれば、またおらずとも連絡を取ることが出来るのであれば、叔母が会いたがっていると伝えては頂けませんか。

 彼女に両親のことを話してやりたいと思っておりますし、彼女のこれまでについても知りたいのです。彼女を幸せにしてやりたいのです。

 水の樹学園の園長様、どうぞご検討のほどよろしくお願いします。


 二十六木和香子


 便箋の他、彼女の戸籍の写しなども同封されていた。確かに、晶穂の親戚であるようだ。

「……この人が、叔母」

「らしい、というところかしら。もしもあなたが会ってみたいというのなら、私が先に一度この方と会って安全な人物かどうか確かめてくるわ。あなたは卒業したとはいえ、私の教え子。そんな子を、変な人に引き合わせられない」

 園長の言葉に、晶穂はくすりと微笑んだ。本当に、母親のような人だ。

 どうする? という目で見つめられ、晶穂は電車の中で考えていたことを口に出した。

「わかりました。……本当に叔母だというのなら、会ってみたいです。わたしは、先生もご存知の通り生みの親を知りません。親戚という感覚もわかりません。だけど、わたしを思ってくれているという気持ちはわかります。だから、一度会ってみたいです」

「わかった。じゃあ、追って連絡を……」

 チリリン

 その時、カフェの戸が開いた。少し汗ばんだ、キャリアウーマンらしき四十代くらいの女性が入って来る。彼女は丁度晶穂たちの席から一つ空けた二人掛けの席に案内された。

 ジャケットを脱ぎ、店員にアイスコーヒーを頼む。店員が下がろうとした時、その女性は彼女を引き留めた。

「あ、すみません。この辺りに水の樹学園という学校はありませんか?」

「水の樹学園ですか? ありますよ」

 店員の答えに、女性はほっとした表情を見せた。

「よかった。実はそこに用があったのですけど、道に迷ってしまって。仕切り直しの意味で駅前まで戻って来たんです。後でいいので、そこまでの地図を頂けませんか?」

「それはよろしいのですが……」

 店員が、ちらりとこちらを見る。その目線につられるようにして、会社員風の女性も晶穂と園長を見た。

「あちらの方が、水の樹学園の」

「ええ、園長です」

 店員の言葉を受け、園長は自ら自己紹介をした。立ち上がり、わずかに体を動かして、晶穂を女性の視界から外す。

「初めまして。あなたは?」

「あ、申し遅れました」

 女性は鞄の中から名刺入れを取り出すと、自分の名刺を取り出した。

「初めまして。一度お手紙を差し上げました、二十六木和香子と申します」

「……あなたが、二十六木さん」

 名刺には、とある有名印刷会社の名前が書かれていた。その会社で営業部の主任をしているらしい。

 少し警戒しつつも、園長は彼女をゆっくりと観察していた。晶穂も改めて彼女を見る。

 二十六木和香子は、四十八歳だと言った。それにしてはしわが少なく、髪も染めているのか真っ黒だ。加えてそれほど体形は崩れておらず、パンツスーツ姿が凛々しい。

「まさか、そちらから出向かれるとは想定していませんでした」

「本当に申し訳ございません。仕事で近くまで来たものですから、寄ってみようと思ったのですが、道に迷ってしまって。でも、お蔭で園長先生にお会いすることが出来ました。……あの手紙の件、考えて頂けましたか?」

 不安げに揺れる和香子の瞳。園長はちらりと晶穂の顔を見た。「どうする?」と問われている気がして、晶穂は頷く。「わたしのことを話してもいいですよ」という意思表示だ。

 園長もそれを理解したのか、小さく頷いた。再び和香子に向き直り、微笑む。

「……ええ、読ませて頂きました。それで、あなたにご紹介したい子がいるのです」

 晶穂、と園長は呼んだ。晶穂の後ろに回り込み、彼女の肩に手を置いた。

「この子は、三咲晶穂。あなたが会いたいと書いていた女の子です」

「あなたが……」

 絶句する和香子に、晶穂は緊張の面持ちで頭を下げた。

「初めまして、三咲晶穂と申します。……えっと」

 次に言うべき言葉が見つからない。晶穂が内心わたわたと焦っていると、ふわりと体を抱き締められた。気付けば、和香子が晶穂の背中に手を回している。

「よかった……」

 呟かれた言葉は、確かに安堵に満ちていた。

 晶穂から離れ、和香子は涙ぐみながら笑みを作る。

「初めまして、晶穂さん。突然会いたいなんて言ってごめんなさい。あなたの父・三咲陽大みさきようたの妹、和香子と言います。あなたと話してみたかったわ」

「よう、た……」

 それは初めて知る、晶穂自身のつながりの話だった。

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