惑うこころ

第210話 抱く戸惑い

 ダクトの残滓が消滅し、眠り病と魔物の出現が同時に語られることはなくなったらしい。また、空が割れることも暗闇に陥ることもなくなった。

 しかし、扉の消滅だけは止まらない。

 眠り病は、やはりこの世界の自浄作用であるらしい。住民を眠らせることで、扉の消滅が起こっても次に目覚めた時には扉がないことが当たり前になるからだ。そこで生きるものたちに混乱が生じないようにという、ソディールという世界の恩情なのかもしれない。

 空がひび割れていたホライでは、その割れ目が修復されて青空が戻って来たとテッカから連絡が入った。

 現在、リンたちがリドアスに戻って来た当日の午前中。

 リンは、先程青い顔をしてやって来た晶穂の話を一人で反芻していた。


 一休みしようとベッドに寝転がった直後、部屋の戸がドンドンと叩かれた。誰かと思って誰何すると、すぐに焦った声が聞こえてきた。

「わたし、晶穂! リン、開けて!?」

「晶穂?」

 戸を開けながら「どうしたんだ?」と問うリンの胸に、晶穂は飛び込んだ。

「おいっ」

 リンは晶穂に大胆に抱きつかれておどおどと手を彷徨わせる。彼のそんな様子に構う余裕もなく、晶穂はリンのシャツを握った。

「……晶穂?」

 尋常ではない様子の晶穂に、リンは問う。何かあったのか、と。顔を上げた晶穂の顔は、血の気が引いていた。

 その優しく温かな手が、晶穂の髪を梳く。

「あのね、さっき園長先生と話したんだ」

「園長先生って、晶穂が世話になった学園の?」

「そう……」

 ようやく深呼吸した晶穂が、リンに持って来ていたスマートフォンの画面を見せた。そこには、園長との通話の後に改めて送ってもらったという、晶穂の叔母を名乗る女性からの手紙の写真があった。

 光の加減で読み辛い個所もあるが写真から判読出来たのは、「兄の娘がそちらにお世話になっていると聞きました。」「あの子は覚えていないかもしれませんが、叔母が会いたがっていると伝えていただけませんか。」などの言葉だ。

「……晶穂は、会いたいのか?」

 もう会うこともないと思われた血のつながった親戚の存在。それが晶穂にどれほどの衝撃を与えたのかは定かではないが、リンはそう尋ねることしか出来なかった。

 リンの腕に包まれていた晶穂は、小さくリンの体を押して離れた。それからゆるゆると首を横に振る。

「わからない」

「……」

「親戚なんていないと思ってたし、もう両親が亡くなって十五年以上経ってる。それでも探してくれていたっていうその人に興味がないって言ったら嘘になる。……でも、それだけの時間が経ってるのに今更何っていう気持ちもある。ねえ、リン」

 頭を垂れ、晶穂が弱々しく尋ねる。

「わたし、どうしたらいいのかな……?」

 突然の可能性を突き付けられ、どうしていいかわからなくなっている。だからリンは、一つの選択肢を提示した。

「……もし、このまま会わずに向こうが晶穂の記憶を失っても後悔がないと言うなら、会わずにこちらにいればいい。けど、もしも後悔が残りそうなら、会ってみるべきだと、俺は思うよ」

 リンの脳内に、ある可能性がちらついた。それは絶対に避けたい事態だが、現実になるという保証もない。だから、無理矢理ふたをした。

「……そう、だよね」

 晶穂はしばし考えるそぶりをした後、意を決したように顔を上げた。リンの顔を見つめる。

「……これから、園長先生に会って来る。そして、叔母だという女性と連絡が取れたらとって、会ってみるよ」

 両親の話を聞いてみたいから。そう言って微笑んだ晶穂を、リンはつい先程見送った。


「リン?」

「あ、ジェイスさんとユキ」

 玄関ホールのソファーに座ってぼおっと窓の外を見つめていたリンに、通りがかった二人が声をかける。ボロボロだった服を着替え、普段の私服を着込んでいる。

「どうしたの、兄さん?」

「ちょっと、考え事だ」

「……それは、さっき晶穂が変な顔をして出掛けたのと関係があるかな?」

「変な顔、ですか?」

 ユキに尋ねられ、ジェイスが頷く。

「戸惑いと期待と決意が混ざったような顔をしていたんだ。彼女を見送った後でリンが心ここにあらずの様子だったから、気になってね」

「流石、ジェイスさん。お見通しですね……」

 その通りですよ。リンは苦笑し、晶穂の話をかいつまんで聞かせた。叔母の存在と彼女の複雑な感情。そして、リンが抱く嫌な予感。

 話を聞き終え、ジェイスは「そうか……」と呟いた。

「しかし、ようやく両親を知る人に会えるという時が、扉の消滅と重なるとはね」

「こんな時でなければ、喜んでしかるべき時だったんだけどね」

 ユキも同意し、リンを労わった。

 はぁ……。大きなため息をついて、リンは珍しく机に突っ伏した。そして、ガシガシと頭をかく。

「やばいな」

 と苦笑気味に呟いた。

 弟分の戸惑いに、ジェイスは声もなく笑うしかない。どうやら弟分は、自分でも理解不能で扱い切れないものを抱えてしまったらしい。

(戸惑いと、寂しさと。そしてあのの幸せを願う気持ち。それから……手放したくないという我儘かな)

 またの名を、独占欲ともいうか。

「俺は、そんなに我が強くはなかったはずなんですけどね……」

 リンは眉を顰め、ジェイスとユキに苦笑いを向けた。二人は顔を見合わせる。

「兄さんは、今まで心を殺し過ぎたんだと思う。その反動だよ」

「ああ。まあ、ほどほどに素直になってもいいんじゃないかな。最近は素直な顔をよく見るけどね」

 彼女のお蔭かな。ジェイスの言葉に、リンは淡く顔を赤くした。そんな兄の腕にユキは抱きついた。不意を突かれてよろけたリンに、ユキは笑顔を向けた。

「ま、頑張ってよ。兄さん」

「……ユキ、お前な」

 生意気な弟を引っぺがし、その背を押す。「宿題は終わったのか」と問えば、ユキは視線を外す。

「ちょ。ちょっと用事思い出した……」

「全く……」

 慌ただしく部屋に戻って行くユキを見送り、リンもソファーから立ち上がった。それを見て、ジェイスも踵を返す。

「じゃあ、わたしもこれからの変化に備えるとしよう」

「はい。俺も、戻ります」

 リンはジェイスの背を追うようにして、歩き出す。ふと立ち止まり、明るく空に昇った太陽を振り返る。

「……そういえば、晶穂は会えたんだろうか」

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