第208話 帰ろう
静けさが、神殿を覆っていた。
リンは黒塊が消えて初めて、自分の膝が笑っていることに気が付いた。気付いてしまえば、体の均衡が崩れる。リンはその場に崩れ落ち、大きく肩で息をした。
周りを見れば、誰もが同じような状況だ。ジェイスは台に右腕を置いて何とか完全に崩れ落ちるのを耐えているが、克臣は大剣を支えにしてどうにか倒れ込むのを抑えている。
ユキは足を投げ出し、ユーギ、春直は崩れた石材に背中を預け、唯文は床に仰向けになっていた。更にエルハは壁に寄りかかり、晶穂は氷華を支えにして座り込んでいる。
「終わった、か?」
「うん……」
リンの力ない問いに、晶穂は小さく頷いた。儚くも、穏やかな笑みを浮かべる。
「みんな、お疲れ様、だね」
「あぁ。そう、だ、な……」
もう、意識を保っているのが辛くなってきた。想像以上に、魔力も体力もギリギリの綱渡りをしていたらしい。
───どさり
あちらこちらで、仲間たちが意識を失っていく。もう襲われることもないとわかっているが、こんな処で寝てしまっては風邪をひく。
そう言ってやりたいのは山々だが、リンも限界をとっくの昔に越えていた。
───とさっ
見れば、晶穂が脱力してリンに体を預けている。彼女も体の限界を突破していたのだろう。
(もう、いいか……)
外に、リヨスがいるはずだ。何とかしてくれるだろう。
そんな不確定な希望に全てを預け、リンもわずかに握り締めていた意識を手放した。目を閉じる直前、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
パチパチと、何かが爆ぜる音が聞こえる。焚き火でもしているのだろうか。
「ん……?」
リンはぼんやりと目を覚まし、次いで自分たちが大樹の森の神殿で気絶してしまったことを思い出した。一気に意識を覚醒させて飛び起きると、そこは森の一角、夕暮れに照らされた空き地だった。
リンの隣では晶穂が小さな寝息をたてており、見回せば、仲間たちの姿も見える。ジェイスと克臣、エルハの姿は見当たらない。
更に背中に温かで柔らかいものが触れていると思ったら、それは真の姿に戻ったシンの体であった。シンに身を預けて眠っていたようだ。もう体は大丈夫なのだろうか。リンと晶穂は、丁度シンの横腹に寄りかかっている。同様にユキや春直、ユーギ、唯文もシンの前足近くや背中、尾に体を預けて眠っている。
「起きたか」
「……リョウハン、さん?」
芝生のように生え揃った草を踏みしめてやって来たのは、山籠りをしていたはずのリョウハンだ。彼女から温かなお茶を受け取り、リンはどうしてここにいるのかと尋ねた。
「リヨスが知らせてくれたんだ。シンと一緒に待っていたが、いつまで経っても戻ってこない。ダクトの気配が消えた後も姿を見せないから見てきてくれないかってね」
思念が届いた時は驚いた、とリョウハンは笑った。
「だからここに来て、神殿に入ったんだ。そうしたら、中は地震にでもあったみたいに崩壊してるじゃないか。しかもお前たちは皆、意識を失って倒れている。……流石の私も一人で全員を外へ運び出すのは困難だったから、リヨスとシンにも手伝って貰ったのさ」
「お世話おかけしました……。あれ、リヨスとジェイスさんたちは何処へ?」
「一足先に目覚めた奴らのことか? リヨスを貸して、一番近くの町まで飛んで、食べ物と衣服を調達してきて貰ってるんだ」
腹も減っているだろうし、服もズタボロだからねぇ。
そう言って、リョウハンはアッハッハと笑った。その言葉に触発されたように、ユーギとユキの腹の虫が鳴く。
「お腹空い……? あれ、ここは?」
「いつの間に……」
「おやおや、少年たちもお目覚めか」
リョウハンは立ち上がると、目覚めたユキたち四人にもリンと同じことを説明し、茶を手渡していった。
リンが隣でもぞもぞと動く気配を感じて見ると、晶穂がぼおっとした顔で目を覚ましていた。そのままリンの顔を見上げ、目を瞬かせる。細い指が、リンの袖をつかむ。
「リン……?」
「起きたか、晶穂。おはよう」
「おは……?」
しばらく視線を彷徨わせ、晶穂は自分がリンにしがみついていることに気が付いた。
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
覚醒したのか、顔を真っ赤にしてリンと距離を取る。人一人分くらいの距離だ。
リンは「大丈夫だよ」と余裕のあるふりをして、晶穂に茶の入ったコップを渡してやった。
本当は、晶穂の行動が可愛くて仕方がない。心臓が跳ねるのも止められない。しかし、リンは自制を精一杯働かせた。
「とりあえず、茶でも飲んで落ち着け」
「う、うん」
こくり。喉を流れた液体が、晶穂の気持ちを落ち着かせてくれる。
晶穂はほっと息をついて、改めてリンに現状を聞いて把握した。ジェイスたちが買い出しに出たと聞いて、くすりと笑う。
「そっか。疲れてるのに迷惑かけちゃったね」
「本当にな。だから、三人が帰って来たら、俺たちが手伝えることをしよう」
「うん」
その時、リヨスが空から勢いよく降り立った。風圧で晶穂の髪が舞い上がり、リンの破れた上着が翻る。更に、物音に気付いたシンが体を起こした。
「ん~? リヨス、おかえり」
「ガゥ」
「あ、リンたちもおはよう~」
「おや、みんなお目覚めかい?」
リヨスの背中から飛び降りたジェイスが、リンと目を合わせて微笑んだ。彼の後ろから、克臣とエルハが紙袋を持って降りてくる。袋からは、サンドイッチやおにぎりの他、飲み物とシャツなどの衣服が見えた。
「シン、お前体はもう大丈夫なのか?」
「うん。リンたちがしんでんをもとにもどしてくれたから、もうらくにうごけるよ」
そう言って、シンは尾をパタパタと動かして見せた。
「……よかったね、シン」
晶穂もほっとした顔でシンの顔を撫でる。シンは気持ち良さそうに喉を鳴らした。
リンは晶穂にシンを任せ、三人のもとに駆け寄った。まだ体は重いが、それは彼らとて同じことだろう。
「ジェイスさん、克臣さん、エルハさん。働いてもらってすみません」
「気にすんなよ、リン。俺たちは一足先に町で軽く食べてきたんだ。な、エルハ」
「そうだよ。だから、気に病む必要はない。リン団長たちよりは回復してるはずだからね」
それに、とエルハは苦笑する。
「早くきみたちに食べさせないとと思ってたから。ほら、年少組が物欲しそうにしてるし」
「も、物欲しそうになんてっ」
反論を試みた唯文だったが、体は正直だ。くるるるる~と空腹を知らせてくれる。恥ずかしさで真っ赤になる唯文の横で、ユキとユーギが「はいはいっ」と手を挙げた。
「ありがとう、みんな!」
「お腹空いたから、食べていい!?」
「いいよ。たくさん食べてから、リドアスに帰ろう」
ジェイスの許可を得て、簡易テーブルの上に並べられた食べ物に目を輝かせていた年少組が、次々に手を出していく。おにぎりやパンをほおばりながら、それまで泥のように眠っていたのが嘘のような笑みを見せた。
魔力も体力も、体の元気がなければ生まれない。魔力は時間が経たなければ回復しないが、気力体力は休眠と食事で補える。
リンと晶穂はユキたちの勢いに目を見張りながら、目を合わせて笑い合った。そんな二人の肩に、克臣の手が置かれる。
「ほら、お前らも食え。その後着替えて、リドアスに戻るぞ」
「「はい」」
リンは鮭のおにぎりを、晶穂は同じものを取ろうとして、少し考えてごぼうサラダサンドを手に取った。それを見ていたリンが、軽く吹き出す。
「リン? 何笑ってるの?」
「だってお前、くくっ。今、一瞬考えただろ。『おにぎりの方がカロリー高いかな』とか」
「う……」
図星を指され、晶穂は頬を赤らめた。それを再びリンが苦笑し、優しく微笑む。
「今は、体力を回復させることだけ考えればいい。好きなもん食えよ。……それに」
「それに?」
「……こう言っちゃ、お前がどう思うかはわかんないけど。……それ以上は痩せなくていい」
「ふふっ、わかった。でもこれも好きだから、今は食べさせてね」
自分を気遣うリンの気持ちが嬉しくて、晶穂は柔らかく口角を上げた。
一時間後、ジェイスたちが持ち帰った食べ物は全て消費され、全員ボロボロの戦闘服から着替え終わった。ちなみに、リョウハンは既にここにはいない。全員の無事を確認し、もう自分は用済みだから、と再び山へリヨスと共に行ってしまったのだ。
「みんな、のった?」
シンが確認を取る。「ああ」とリンの答えを得て、ゆっくりと夜空色の翼を動かし始める。その羽ばたきは少しずつ強くなり、やがてふわりと浮き上がった。
「いっくよ~」
ぐんっとスピードを上げた。まるでジェット機のように、シンが空を駆けて行く。リンたちは飛ばされないように、彼の体につかまった。
その姿を、砂漠のオアシスから眺める影があった。
「……あと、三日」
白銀の青年は夜明けを背にして飛ぶ竜の背に、そう独り言ちた。
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