第207話 終わりの欠片

 ドオオォォォォンッ

 超高層マンションが倒壊したかのような轟音が響き渡る。地面が揺れ、最後に残っていた蝋燭の残りが燭台と共に床に落ちた。

 シュウ、シュウ……

 焼け残ったようなにおいが立ち込める。光が消えた先には、ガラス玉のようにひび割れた黒いものが台の上に浮いていた。

『……して。ど……して……』

「何か、聞こえる……?」

 これ以上の危険はないかと近付いたジェイスが耳を澄ますと、黒塊からわずかに男のかすれ声が聞こえてきた。ジェイスは口元に人差し指をあて、仲間たちに静かにするよう促す。

 パラッと石材の欠片が時折落ちる音とリンたちの呼吸音以外、音がなくなる。小さな黒い欠片が、台の上に落ちた。

『どうして、ワレは負ける? どうして、負けるのだ? 何が、間違っていたというのだ……』

 それは、わずかに現世に残ったダクトの思念だった。パキッと再び欠片が落ちる。

『親を殺され、復讐に燃え、仲間を得て……。何を間違えた? 何故だ。何故だ。……何故、だ』

「ダクト」

 リンが歩み寄り、ジェイスの横に立つ。片手を黒塊にかざし、小さく語り掛けた。

「親を殺され、その復讐を誓い、達成のための仲間を得る。それは、人の感情としては間違っていないのかもしれない。だが、それは連鎖を生む。しかも、負の連鎖だ」

 リンにも覚えがないわけではない。父を失い、母と弟を殺されたと考えていた幼少時代。いつかその下手人を捕まえ、亡き家族と同じかそれ以上の苦痛を与えてやりたいと思ったこともあった。

「でも、それが俺を救うことはなかった。復讐のためだけに生きる覚悟は、俺には備わらなかったんだ」

 ある時、ジェイスと克臣に呼び出された。両親と弟を失って数週間後のことだったと思う。

 リン、と二人は言った。死に急ぐなよ、と。

「『お前は、銀の華を継ぐんだ。決して、自らを無駄にせずに生きろよ』と、そう言われた。……死に急ぐなの意味は、最初はわからなかった。だけど、今ならわかる気がするんだ」

 ちらりとジェイスと克臣を見て、リンはふっと微笑んだ。

「復讐は、それ自体の強さのために、その心を持つ者を蝕む。更に悪いのは、復讐が成功したとしても、誰も幸せにはならないことだ。……わかるか、ダクト?」

『……オオォォォ』

 最早、ダクトに意思はなかった。人としての生をとうの昔に失った男は、魂のみで生き延びた結果、その怨恨が意思のような顔をして残った。それが狩人を生み、魔物を生み、世界の均衡を崩すのを助けてしまった。

 ダクトに答えを求めることは諦める。リンは傍に来ていた晶穂を見やり、わずかに微笑んだ。その痛みを抱えた笑みに、晶穂の心が締め付けられる。

 だからといって、何を言えばいいのかもわからない。晶穂は黒塊にかざされたリンの手に自分のそれを重ねた。

 リンの手の中で、黒塊の崩壊が進んでいく。小さかった変化は、次第に大きなものへと変わっていく。壊れ落ちた欠片は、床に落ちる直前に霧のように消えてしまう。だから、落下音はない。

 最後の欠片が、真っ二つに割れた。それぞれが空気に溶ける。

 全員が、ようやく大きく息を吸い込んで、吐いた。


 ダクトとの長い戦いが、終わった瞬間だ。




 暗闇だ。月明かりもない、真っ暗な場所。音はない。

 ここが、長い年月の末にたどり着いた場所かと、男は思った。

 最早、嘆息するような感情も持ち合わせていない。

 歩いても何処かへ続く道かもわからない。もう、歩くのすらも億劫だ。

「ワレの生とは、何なのだろうな……」

 そんな答えのない問いが、男の口から洩れた。

 家族を喪い、復讐に生きた。仲間と共に殺し続け、死してからも神として祀られ、狩人に指示を与える存在となった。狩人解体後も、銀の華への恨む意思のみが暴走し、いつしか思念のみが形を失って残った。

 今ここにあるのも、最早己なのかもわからない。

「―――お兄ちゃん」

「……!」

 幾重にも塗り重ねられた闇の先から、懐かしく忘れていた声が呼びかけてくる。彼女は、自分よりも長い命を生きたはずだ。自分よりも真面な一生を送ったはずだ。何故、こんな場所にいる。

「……お前なのか? 

「どれだけぶりかな、ダクトお兄ちゃん」

 重かった足が、一歩を刻む。それが一つずつ積み重なり、ダクトは最愛であった妹と向かい合った。

 アカルの姿は、ダクトが最期に目にした時の容姿のままだ。つり目で勝気だった少女だ。気が付けば、己の姿も若い頃のそれに戻っている。

「……アカル、すまない。我は、お前と共には逝ってやれないようだ」

「そうだね。お兄ちゃんは、罪を重ね過ぎた。生きても死んでも償い切れない、その膨大な罪を」

 アカルは痛みを堪えるように微笑み、ダクトから一歩離れた。二人の間には、見えない壁が生じる。その壁越しに、ダクトは初めて涙を流した。

「アカル。我は、父さんも母さんも救えなかった。そして今、アカルを置いていく。こんな兄貴を、許せとは言わない」

「……」

 アカルは無言でダクトを見やり、優しく微笑した。

「それでも、あなたはわたしの兄であるという事実は変わらないわ」

 例え、五百年以上の月日が流れても。

 いつしか、業火が二人を襲った。後に残ったのは、見えない壁と暗闇のみだ。

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