第203話 黒き触手

 リンと晶穂のもとに頼もしい援軍が到着してから、既に数十分が経過していた。

「……これだけ倒しても、まだ魔物は吐き出される、か」

 ちらりと部屋の中央を見たジェイスが呟く。一時減っていた魔物は、ダクトの魔力から際限なく生まれ出る。この負のスパイラルを止める方法は、やはり一つしかない。

「終わらせましょう。ダクトの妄執を」

 リンの言葉に、全員が頷いた。それぞれが決意を胸に秘め、覚悟を持った顔をしている。そんな中、晶穂が声を上げた。

「わたしが、みんなをサポートします」

 そう言うと、晶穂は両手を広げて目を閉じた。すると彼女の体は温かな日の橙色に輝き始め、やがて夕暮れの色に染まっていく。

「―――ッ」

 いつしかその色は巨大な翼となり、リンたち一人一人を包み込んでいく。晶穂の細い体の何処にこれほどの魔力が秘められていたのかは不明だが、彼女の額からは汗が流れ出る。

 晶穂が己の限界を賭けている。それが否応なしに理解出来た。

「傷がっ」

「全部、消えた……?」

 唯文と春直の呟きが、やけに大きく聞こえる。橙色の翼に抱かれた直後、リンたちの体につけられた傷、疲れ、それら全てが消失していた。リンも無言ながらに目を見張った。

 痛みの喪失と共に、体の奥から湧き上がってくるものがある。魔力を数値化出来るとしたら、その値は何倍にも膨れ上がっていることだろう。

 ……チャキ

 リンは自分の手に触れる晶穂の細い指を、一度だけ強く握った。そして離し、剣を正面に構える。ジェイスが、克臣が、ユキが、ユーギが、唯文が、春直が、エルハが、それぞれが立つ場所で頷き合う。

 彼らの目は、一点を見つめている。

 晶穂は氷華でぐらつきそうになる体を支え、仲間たちを見守る。今の自分に出来ることは、信じることだけだ。傍にいたリンの服の裾が翻る。サラが丈夫に繕い直した戦闘服は、魔力の風を受けてはためく。

 ―――ヴヴヴヴ

 何十何百の虫の羽音のような音が、部屋の中央から発せられている。珠の形をしていたそれは、ぐにょりと変形する。伸びて縮んで、何かに引っ張られているかのように歪む。

 魔力が高まっていく。敵の力が増すのと競るようにして、リンたちの力も高められていく。

 これが、ダクトと呼ばれたものとの最終決戦。肌で感じる戦意は、刺すように痛い。

「行こう」

 リンは剣の切っ先を塊へ向け、呟いた。彼の声を合図に、部屋の中央へと殺到する。中央からはタコやイカのような黒い触手が伸び、近付いて来る唯文たちを捕らえようとする。

「くっ」

 触手を斬り伏せ、叩き落す。ジェイスの矢が降り注ぎ、触手を一本ずつ床に縫い留める。しかしそれでも逃れた一本が、春直を背後から捕まえた。

「うわぁ!?」

「春直を、離せ!」

 春直の叫び声を聞いた唯文が、倒れた石像を足場にして跳び上がった。その勢いのままで春直に巻き付く触手に突進し、魔刀でブチリと本体と切り離した。力を失った触手から逃れ、春直も体勢を立て直す。

「ありがとう、唯文兄」

「礼言ってる暇があったら、敵を見てろ!」

「うんっ」

 春直は爪を伸ばし、足を踏み締めた。ザッと足裏と地面がすれる音がする。

「でやぁっ」

 二人の更に奥では、克臣が自分の足首に巻き付こうとしたものを叩き斬っていた。更に克臣の首を後ろから狙った触手には、ユーギの踵落としが決まった。

「気を付けてよね、克臣さん」

「ああ、助かったぜ」

 素直に礼を言いつつ、克臣はひらりと触手を躱した。そしてユーギによって動かなくなったそれに最後の一撃を加える。

 くたり、と動かなくなったものに克臣が背を向けた直後、リンの鋭い声が飛んだ。

「―――何っ!」

 動かないと思っていた触手から分岐するようにして、新たな手が生えた。それが猛然と克臣に迫り、殴るように吹き飛ばす。

「がっ」

 壁に叩きつけられ呻いた克臣だったが、ユーギの「大丈夫?」に微笑みかけた。

「勿論。これで、目が覚めたぜ」

 そう言うと、克臣はゆらりと立ち上がった。ぶつかった衝撃のためか、鼻から血が流れる。大剣を構え、その姿に触手が殺到する。

 にやり。克臣の口端が、片方吊り上がる。

 ザンッ―――

 一瞬の出来事だ。珠のような塊から生えていた触手の半分が切り刻まれた。克臣の大剣が猛威を振るい、嵐のように乱雑ながら確実な致命傷を与えていったのだ。

 それでも斬られた部分からは、新しい触手が生えて動き出す。その気味悪さに、晶穂は吐き気を覚えた。

 触手たちが動く方向を変えた。標的となったのは、ユキだ。

 そのことだけでも、既にダクトの意識が失われているのではないかという仮説が成立する。何故ならユキはダクトの仮身となっていた過去があり、彼の巨大な魔力の保持をダクトに知られていないはずがないのだから。

「捕まらないよ!?」

 ユキは立て続けに襲って来た触手を器用に避けると、胸の前の拳をさっと開き、腕を横に伸ばす。その軌道に沿って空気が凍り付き、矢のような氷柱が幾つも創られる。

 それらの氷柱はユキの合図と共に発射され、幾つもの触手を床や壁に縫い留めた。

「これで、少しは中心に行きやすくなったはず」

「ああ、助かった」

 リンは剣に魔力を込め、走り出す。彼の行方を遮ろうとする新たな触手は、ジェイスが気弾で撃ち落とす。更に巨大な陣から複数の矢を生み出し、中心の塊を囲うように突き刺した。

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