第202話 もう大丈夫

 ―――ザシュ

 エルハと唯文の刃が熊の喉笛をX字にかき斬り、魔物は硝煙のように空の何処かへ消えて行った。はっと止めていた息を吐き、犬人の少年は刀を鞘に納める。

「……案外、あっけないものですね」

 唯文の呟きは、その場にいた全員の胸の内だった。十体もの魔物を傷つきながらも倒したわけだが、これで全て終わったような錯覚を覚える。

 しかし、まだ何も終わってはいないのだ。

 兎に角、と克臣が右の手のひらに左の拳を軽く叩きつけた。パンッと乾いた音が響き渡る。

「ここでやるべきことは終わった。リンと晶穂を追いかけようぜ」

「ああ。……この先に、わたしたちが倒すべきものがいる」

 再び、一行に緊張が走った。本当に倒すべき根源は、この先にいるのだと。

 ジェイスの言葉に皆が頷き、彼らは神殿の奥へと向かう。後に残ったのは、魔物の痕跡が消えた戦場の残骸のみだ。




 神殿内で黒い塊に出会ったリンと晶穂は、それが吐き出す魔物と向かい合っていた。

「晶穂、力を貸してくれ」

「―――っ、うん」

 差し出された手を握り、晶穂は力を籠める。

 晶穂の魔力属性・は、他人を癒したり、他人に魔力を分け与えて強化したりする力がある。温かな光がリンを包み込み、彼の魔力値が上昇する。

「必ず、守る」

 リンはその一言を残すと、真っ直ぐに黒塊へと駆け出す。晶穂は矛―氷華ひか―を持ち、いつでも援護出来るように構えた。

「だあっ!」

 一刀。しかしバリアが張られているのか、リンの剣は軽々と跳ね返される。その彼の足下を狙い、魔物の影が忍び寄る。リンは黒塊に気を取られて、まだ気付いていない。その魔物はまだ生き物としての形を成しておらず、影を伸ばすように体を引き伸ばすことが出来た。

(危ないっ)

 晶穂は魔物に気付かれないよう、無言で魔物の足を払うように矛を突き出した。見事に前足に刺さり、黒板を引っ掻くような叫び声をあげて魔物が飛び退く。

 晶穂の援護と魔物の出現に驚いたリンだったが、その場を飛び退いて難を逃れる。

「くっ。助かった」

「うん!」

(わたしがすべきことは)

 晶穂は物怖じすることなく、再び魔物に向き直る。ぐっと矛を持つ手に力を込めた。

(リンが集中出来るよう、フォローすること)

「――俺も、負けていられないな」

 矛を思い切り振り回す彼女の姿に、リンは苦笑した。そして、呟くと共に表情を改める。再び剣を構え、躊躇することなく何度も斬りつける。

 リンの背後からその足をすくおうと迫る魔物の手は全て、晶穂が近付けさせまいと懸命に振り回す矛に足止めされて自由に動けない。晶穂の必死さは、その額に滲む汗が証明している。

 神殿の外ではジェイスや克臣たちが魔物と戦い、進路を阻んでくれている。きっともうすぐ、彼らもこちらへ合流する。それまでに、この硬い殻のようなバリアを破ることだけでもしておきたい。その一心で、リンは剣を振るう。

 ―――カン、カン、カンッ

 硬く、びくともしない。それどころか、塊はリンと晶穂によって受けた傷から新たな魔物を量産し続ける。

 現在、部屋の中には十体以上の魔物がいる。流石に晶穂一人で全てに対処することは難しく、リンが中央の塊を攻撃しながら近付いて来る魔物を斬るという状況だ。

 何体倒しただろうか。体力を削られ乱れた呼吸を整えようと、リンが一瞬足を止めた時のこと。

「―――リンッ」

「!」

 晶穂が指差す方向を振り返り、リンは自分へ向かって巨大な猿のような魔物が走り迫っていることを知った。魔物の拳が間近に迫る。晶穂が何かを叫びながらリンのところへと走って来るが、間に合わない。

 リンは、覚悟を決めた。その大きな手が、リンの眼前に迫った。

 その時だった。

 ―――ドスッ

 ぐらり、と魔物の体がかしぎ、四散する。その後ろには、前に突き出した拳をこちらに向けるジェイスが立っていた。どうやら陣を展開し、巨大な刃で背後から猿の心臓を一突きしたようだ。

 展開した陣を解き、白髪の青年は微笑んだ。

「遅くなってすまなかったね。リン、晶穂」

「ジェイス、さん……」

 突然の援軍に呆然と呟くことしか出来ないリンの頭に手を置き、ジェイスは「大丈夫だ」と言ってみせた。駆けて来た晶穂にも「お疲れ様」と労いの言葉をかける。

「もう、みんな来たから。やろう」

 そう言った傍から、猿の後方に控えていた魔物に何本もの空気の矢を被弾させる。魔物の動きが鈍った頃合いを見計らったのか、横一文字にその腹が裂かれる。

 どろりと溶けるようにして消えた魔物の後に、魔刀を振り切った唯文が立っていた。

「リンさん、晶穂さん」

 ほっと口元を緩めた唯文の隣に、猫人の爪を伸ばした春直が着地する。彼の爪にへばりついていた魔物の残骸も、風の中に消えて行った。

「唯文、春直……」

 頼りがいの出て来た後輩たちの笑みにつられ、二人は少し肩の力を抜いた。そこへ、何処からか声が降って来た。

「俺らのこと忘れんなよ!?」

「うわっ」

 目を丸くするリンの頭上から落下してきたのは、巨大な黒鼠の尻尾。それは生きているかのようにビクッと動いた後、音もなく消えた。その次に、ネズミを倒した青年が着地し、立ち上がる。

「よぉ」

「克臣さん……驚かさないでください」

 鼠の尻尾に怯えていた晶穂が、克臣に向かって顔をしかめた。彼女に対して「悪い悪い」と軽く謝る克臣に、リンは苦笑いした後にあることに気付いた。

「あれ、ユキとユーギは……」

「あっちだ、リン」

 克臣が親指を向けた先には、ユキとユーギの姿があった。小さめの魔物二体と戦っている。

 ユキの氷柱で相手の動きを妨げ、その隙にユーギが足技で仕留める。そのコンボで、一気にその二体の魔物を地に落とした。

「兄さん、晶穂さん、お待たせ!」

「もう大丈夫だよ!」

 頼もしい二人の少年は、にこりと自信ありげに笑った。



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