第201話 決して通さない

 リンと晶穂が神殿に入ったことを見届けると、ジェイスはちらりと戦況を確認した。

 まだ一部が残る氷柱は、魔物たちの進行を妨害している。それらが噛み砕かれ、折り倒されるのは時間の問題だが、それだけの時間があれば十分だろう。

「ジェイス、先に行くぜ!」

 驚異的な跳躍でジェイスの頭上を飛び越えた克臣は、その勢いのままで目の前の黒豹に向かって飛び込んだ。

「竜閃!」

 一瞬の間の後、豹の腹が裂ける。それと同時に銀色の竜が天へと駆ける。克臣の剣技が決まった。


 残り、六体。


「やれやれ。……真後ろの敵を、わたしが見逃すとでも?」

 ジェイスの後ろに、彼の五倍以上の体躯を持つ蛇が忍び寄る。その足音もない接近は、当然のようにジェイスに気付かれた。

 冷え冷えとした視線を向け、ジェイスは空中に待機させていたナイフ数本を音速で突き刺す。喉を射抜かれた蛇は、断末魔を上げることもなく、地を揺らして崩れ落ちた。


 残り、五体。


 彼ら二人から少し離れた空き地では、唯文とエルハが梟を相手取っていた。空を主戦場とする梟は、その巨大さからは想像も出来ないほどにすばしっこく、滑空と上昇を繰り返して二人を翻弄した。

「くそっ、全然届かないっ」

 ぶんぶんと刀を振り回して息巻く唯文に、エルハは苦笑してみせる。

「闇雲に振り回しても、あの手の猛禽には当たらないよ」

「じゃあ、どうしたら……」

「機は、必ず来るから」

 微笑んで和刀の背を肩に担ぐようにしたエルハの胸へ向けて、梟が突進する。

 梟の鋭い嘴がエルハの胸にあたる、その一寸の間のこと。エルハは目にも止まらぬ早さで、それを刀で受け止めた。

 ズサササッ

 砂ぼこりを上げ、ようやくエルハが止まる。その刀には既に梟の姿はなく、唯文が気配を感じて目を上げると頭上にいた。

 一直線に降下してくる梟に向かって、唯文は集中力を増した。梟の軌道を予測し、その体を両断出来る瞬間を探る。

「───っ」

 一閃。唯文の刀は間違いなく梟の面を捉え、左右に引き裂く。

「よしっ」

「……という訳にはいかないようだ」

「くっ」

 喜んだのも束の間。二つに割れた梟は、そのまま二体の梟となった。

 自由自在に暗闇の空を飛び交う梟たちに、エルハは小さく舌打ちをした。それでも唇をなめ、「仕方ないな」と微笑する。

「唯文」

「はい?」

「ここからは、一人一体だ」

「……了解しました」

 二人は背合わせになって刀を構えると、同時に駆け出した。


 残り、六体。


 神殿の入口を急襲する獅子の足を払ったユーギは、その魔物の怒りの拳を受けて木の幹に背中からぶつかった。

「ぐっ」

 息が詰まる。苦しい。しかし、視界は妙に明瞭だ。目の前に迫る獅子の赤い双眸が、ユーギを捉えた。万事休すか。

「ユーギ!!」

「ギャァッ」

 獅子が悲鳴を上げてすっ転ぶ。左目を負傷したのか、どす黒い血のようなものが溢れている。

 目を瞬かせたユーギは、ごほっと咳をしながら自分の危機を助けてくれた仲間を労った。彼は猫の耳を真っ直ぐに立て、周囲の警戒を怠らない。

「助かったよ、春直」

「うん。でも、気を抜かないで」

 春直の指摘通り、倒れた獅子は呻きながらも身を起こした。その左目は春直の爪痕を克明に残し、既に開くことは叶わない。

 それでも黒い獅子は咆哮すると、右目をしっかりと二人の少年に据える。鋭く太い牙が暗闇に光り、瞳以上に赤い口腔が覗く。

 ユーギと春直は左右に分かれ、獅子の狙いを外す。獅子は最初に狙いを定めたユーギを再び狙い、飛びかかった。

 もう一度足払いをかけるも、二度目はないとばかりにひらりと躱される。しかし、それを織り込んでいたのは獅子のみではない。

「春直!」

 ユーギの呼び声に応え、春直は最大に伸ばした爪を獅子の首を狙って振り下ろした。

「だあああぁぁっ」

 その切れ味鋭い爪は、見事に獅子の首を取った。更に頭を失っても動こうとした獅子の体を、ユーギがその足技で蹴り倒す。


 残り、五体。


 梟の片割れを追っていたエルハは、それを石柱に囲まれた区域に誘導することに成功していた。そこから逃げるには、エルハを倒すか上に逃げるしかない。

 梟は、上を選んだ。

「―――残念」

 エルハは微笑むと、その場で数回ジャンプした。その直後、倒れ朽ちた石柱を足場として跳躍し、梟の上を取る。わずかに目を見張った梟に、死の宣告を下す。

血華断けっかだん

 十字に刃が走る。四つに斬られた梟は、地に落ちながら消失した。


 残り、四体。


 ユキの前に陣取ったのは、巨体の狼。「グルルル」と呻り声を上げながら、一歩一歩近付いて来る。

 互いの距離は、十メートル程。睨み合いが続き、両者の間を瘴気が舞う。

 先に仕掛けたのは、黒狼だった。

 軽やかなステップを踏み、跳躍して頭上からユキに襲い掛かる。

氷弾ひだん!」

 腕を噛み千切られる直前、ユキの魔力が爆発する。十分に引き付けた狼に、至近距離から氷の塊をぶつけたのだ。

 悲鳴を上げて飛び退いた狼を睨みつけ、ユキはふと自分の腕に傷が走っていることに気付いた。どうやら引き付け過ぎて牙がかすったらしい。そのじんじんとした痛みを堪え、ユキは再び氷の塊を繰り出した。

 それらをジェイスを真似して空中に円の形に並べる。狼が警戒したのか、一歩下がる。ユキは、その隙を見逃さなかった。

「―――氷連華ひれんげ!」

 まるでミサイルを連射するかのように、氷柱を狼に被弾させていく。それは両前足、頭、胸、そして背中に突き刺さった。


 残り、三体。


 梟の片割れは、相棒を失い攻撃性を増した。

 唯文は、嘴の連打のほとんどを刀で撥ねつけながら疾走していた。全てを躱すことは出来ず、何度かの攻撃は腕や頬に傷を負った。目に入らなかったのは幸いだ。

 辿り着いたのは、神殿から東に五百メートルほど離れた木々の間。ここならば、梟は多くの木に邪魔されて自由に飛ぶことは出来ない。

 梟もそれに気付いたのか、闇雲に啄むことを止めている。

 しばし、梟の羽音だけが響く。

 唯文は魔刀を握り締め、かすみの構えを取る。刀を顔の横に持ち、切っ先を真っ直ぐ相手の目に向ける構え方だ。

「キューーーーーイ」

 梟は甲高い鳴き声を上げると、唯文の斜め上から滑空してきた。翼が鋼鉄の光を帯びる。梟の翼があたった木の幹が、裂ける。

「……っ」

 唯文と梟の視線が交差し、二つの刃が動いた。

「……はっ」

 わずかに、唯文の頬が切れる。止めていた息を吸い込み、肩越しに振り向いた。

 そこには、倒れ伏した猛禽の姿があった。


 残り、二体。


 マンモスのような魔物が、ユキの創り出した氷柱を踏み潰す。氷に耐性を持つのか、ユキが足止めしようと凍らせても、すぐに溶けてしまう。

「くっ」

 力任せに投げ飛ばしたユキの背丈の倍はある氷柱が、マンモスの横腹にヒットした。分厚い毛皮を裂き、魔物が濁音めいた悲鳴を上げる。

「よくやった、ユキ!」

 その言葉と共に跳び出した克臣が、血を流すその傷口へ向けて大剣を突き刺す。

「グオォォォ」

 腹に響くような声を上げ、黒マンモスは鼻を振り回した。その打撃は、全てジェイスがシールドを築いて防ぐ。その上で、克臣に目で合図を送る。密かに放った空気のナイフが、同時にマンモスの四つの足を縫い留めた。

「任せろっ」

 傷口から剣を引き抜き、克臣は再びその刃をマンモスの頭に叩きつけた。

 両断されたマンモスは、黒い煙となって姿を消した。


 残り、一体。


 最後に残っていたのは、戦場を神殿の屋根から睥睨していた一体の熊だった。

「ゴオオオォォォ」

 地震のような雄叫びを上げ、巨躯をジェイスたちの前に現す。その紅い双眸は爛々と輝き、禍々しく光っている。

 黒熊は、弱そうに見えたのか春直に突進した。しかし、春直も恐れ立ちすくんでいたわけではない。

「てやぁっ」

 熊を躱し、爪でその体躯をえぐる。次いで、ユーギがその傷に踵落としを叩き込む。

 魔物は、やはり魔物でしかない。戦場を見ていたとはいえ、全てを学習していたわけではないようだ。

 相次ぐ攻撃に、熊は走る方向を変えた。その先にいたのは、梟を倒したばかりの唯文だ。注意を促すため、ユーギが彼の名を叫んだ。

「唯文兄!」

「おう」

 唯文はまだ梟の瘴気を帯びた魔刀を、刃を横にして構えた。そして、近くに気配を感じて助力を願う。

「エルハさん!」

「おや、ばれたか」

 くすっと囁くように笑みをこぼし、エルハは唯文の隣に並び立つ。

 二人は刀を構え、走り込んで来る熊を迎え撃った。



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