第200話 怨念の塊
「でやああっ」
「ギャアッ」
神殿までは、百メートルもないはずだ。それなのに、とても長い距離に感じられる。
リンと晶穂に気付いて伸ばしてきた魔物の腕を両断したのは、ユキの巨大な氷柱だった。腕を絶たれた魔物の肩は、その傷口から凍り付く。パキパキと無慈悲な音を響かせ、魔物は氷像となった。その氷の塊の前に降り立ち、ユキはリンに叫んだ。
「兄さん、早く!」
「助かる」
氷像は唯文の刀が脳天から両断し、黒い霧となって朽ちる。
最初にジェイスに襲い掛かった猛禽は、既に片翼となって地面でバタついている。ジェイスがその翼に矢を撃ち込んで動けなくした後、ナイフで斬ったのだ。その命を終わらせたのは、鳥の背中側から大剣を振り下ろした克臣だ。
あと、八体。
空を戦場とするものはジェイスが地に叩き落し、地を駆るものは克臣たちの餌食となる。
巨大な蝙蝠が超音波を吐き出した。それが春直の平衡感覚を奪いかけるが、ユーギが跳んで踵落としを見舞って防ぐ。危険を感じたのかこちらに背中を向けた蝙蝠に、エルハが無言で和刀を刺す。
あと、七体。
ユキは春直の援護を受けながら幾つもの氷柱を創り出し、それで神殿までの道を造った。魔物たちの進路を妨害し、二手に分ける。と同時に、リンと晶穂が行く道を作り出した。
二人が神殿に駆け入るのとほぼ時を同じくして、氷柱は熊のような魔物によって粉砕される。入口へと殺到する魔物たちの前に、今度はジェイスたちが立ち塞がった。
「一歩もこの先へは、行かせないよ?」
その冷え冷えとしたジェイスの声色は、味方ですらおぞけ立った。そして、必ず勝つと背中を押した。
時間などかけていられない。自分たちは、あの二人に追いつかなければならないのだから。
神殿の中の柱に手をつき、二人は激しく乱れた呼吸を整えた。
「はあ、はあ。……もう、大丈夫、かな?」
「はぁ、はぁ。……ああ、外のやつは、みんなに任せれば問題ない」
神殿の中からも、外の戦闘音が聞こえる。その中には仲間たちの悲鳴は含まれていない。だから、大丈夫だ。むしろ、魔物たちの断末魔らしき濁音がこだましている。
リンは体を起こすと、周りを見渡した。大理石のような白い石で造られた大樹の森の神殿は、その見た目もあって別名『白の洞窟』とも呼ばれている。外からの光はないものの、それでも薄明るい。
しん、と静まり返った神殿内に、生き物の気配はない。それは大樹の森と同じだ。
しかし、別の気配が以前シンが封じられていた奥の間から流れて来る。
ピチョン。何処かで水滴が落ちた。
リンは気を引き締め直し、ようやく呼吸が落ち着いてきた晶穂に尋ねる。
「晶穂、わかるか?」
「うん。奥に凄く禍々しい魔力―――ううん、霊気みたいなものを感じる」
「ああ」
晶穂の言い方は、言い得て妙だ。奥で待つのは、ダクトであったものの残骸。彼であったものの怨念が、ソディールに影響を及ぼしているに過ぎない。その力が、世界のつながりを変えてしまっている。
ウオォォォオオォォ……
神殿の奥から、呻き声のような風が吹きつける。それが声なのか風なのか、行けばわかるだろう。
「……行くぞ、晶穂」
「うん、リン」
リンと晶穂は互いの手に触れ合い、頷いて最奥へと足を踏み入れた。
―――ドクン、ドクン
脈動している。シンが以前いたそこに、今は黒い塊がある。
それは生きているように流動し、脈打つ。その気味悪さに、晶穂は吐き気を覚えた。
四方の隅にあった燭台の上には、あの時の蝋燭が溶けかかったままでそこにある。部屋全体は暗い。しかし、ぼんやりと発光している中央のそれのお蔭で、視界は決して悪くない。
晶穂は喉を押さえながら、ゆっくりと片腕を上げる。
「リン、あれ……」
「ああ。倒すべきは、あれだろうな」
きゅっとつないだ手に力を入れ、晶穂が部屋の真ん中で動くそれを指差す。リンは震える彼女の手を握り返し、部屋全体に意識を向けた。
部屋自体には、何の変哲もない。狂っているのはあの球体のみのようだ。
その時、黒い塊が呻き声を上げた。地を震わせるような重低音。
リンは杖を取り出し、いつでも魔力を放てるように構えた。晶穂もリンから受け取った矛を手にする。二人の手は離れ、それぞれの得物に添えられている。
ズズズ……。塊から垂れ流れるように、何かが吐き出される。それは生き物の形をとり、赤い双眸で二人を捕らえた。
「晶穂っ!」
巨大な爪が襲い掛かる。リンの叫びに応え、晶穂は爪をジャンプで躱した。そして矛を頭上でくるくると回し、魔物を牽制する。
晶穂が魔物の注意を引き付けている間に、リンは魔物の背後へと音もなく移動する。それから杖の中心に魔力を集め、詠唱と共に放った。
「
光は幾つもの矢となり、魔物の中心を貫いた。
「グッ……アアアアァァァッァァアッ」
獣型の魔物は悲鳴を上げ、跡形も残さずに煙のごとく消えた。それを目視し、リンはほっと息を吐いた。
「やった、か」
「リンの詠唱なんて、珍しいね」
晶穂がタタッとこちらに駆けて来て、言った。
「滅多にやらん。俺は剣の方が得意だから……っと」
杖を剣に変えたリンの耳に、再びあの音が聞こえてきた。晶穂も顔をこわばらせている。
「喋る暇も与えてくれないか」
再び、魔物が生まれ出ようとしていた。今度は、二体。リンと晶穂の顔に、冷汗が伝った。
本体を叩かなければ、永遠にこのスパイラルは終わらないらしい。
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