第196話 驚愕の喫茶店

 晶穂が水の樹学園の園長と再会していた頃。リンは大学近くの商店街を抜け、賑わう繁華街へと足を踏み入れていた。

 普段、リンはあまりこういう場所には来ない。不特定多数の人が集まる五月蠅い場所が苦手だということもあるが、更に言えば自分が異世界の人間だということもある。

「……晶穂も、ソディールではこういう思いを持っているんだろうな」

 ざわざわと賑やかしい街をあてもなく歩く。こちらを盗み見る視線を何度も感じた気がしたが、無視した。

 いつの間にか、人通りも少ない横道にそれていたらしい。ほとんどシャッター通りになった小さな商店街のようだった。

「……戻ろう」

 西日が射し、そろそろ帰らなければ心配されそうだ。特に連絡もしていないため、猶更。くるりと身を翻しかけた時、視界の端にツインテールが見えた。

 薄茶色の、長い髪。見覚えのある背格好。その姿を追い、リンは駆け出した。


 足は繁華街に戻り、リンは彼女を探した。こちらに来たはずなのに、見当たらない。町には制服姿の学生や大学生、スーツ姿の男女が溢れていた。話し声が集中を邪魔する。客引きの女性に声をかけられたが、リンには聞こえていなかった。

「―――あっ」

 人波の先で、ツインテールの女が数人の男に囲まれていた。彼らはにやにやと下品な笑いを貼りつけてアンケートを迫っているらしい。

(あいつを助ける義理はないが……)

「おい、何してんだ?」

 リンはため息をつきながら、両者の間に割って入った。男たちはまさか邪魔が入るなど考えていなかったのか、悪態をつきつつ何処かへ行ってしまった。

「……助かった。リン団長」

「おまえ、アイナだな?」

 名を言い当てると、ツインテールの女――アイナ・レーズはふっと微笑んだ。

「久し振り、だな。別に会いたくもなかったが」

「それは同じく」

 賛同し、リンはアイナに場所を変えることを提案した。

「ここは、人の目があり過ぎる。少し場所を変えないか?」

 まさに、キャッチセールスを撒いたことで二人はちらちらと見られる程度には注目を浴びていた。リンの言葉に頷き、アイナは「こっち」と彼を先導した。

 アイナがやって来たのは、小さな喫茶店だった。レトロな雑貨が幾つも置かれた、薄暗い照明の店。二人が入ると、客はいなかった。

「いらっしゃい。……おや」

「え……。ッ! お前は」

 マスター然としていて気付かなかったが、カウンターの後ろでカップを拭いていたのは元狩人のソイルだった。その藍色の髪は黒に染められてはいたが、生え際は元の色が主張している。

「お久し振りだな、リン団長。我が娘と共に来店するとは思わなかったぞ」

「……俺も、あんたたちとこんなところで会うなんて思わなかった」

 カウンター席にアイナと並んで座り、リンはソイルから水とコーヒーを受け取った。値段を訊くと「いらない」と返答される。

「そもそも、二人は遠くに去ったと思っていたが」

「私も最初はそうしようかと思ったよ。だけど、先立つものがないから。あんたたちの目に入らないところで商売して、余裕が出来たら引っ越そうってお父さんと決めたんだ」

 それで選んだのが、喫茶店だったのだと言う。ソイルが狩人の中でも一、二を争うほどにコーヒー好きだったということも理由の一つだった。

 アイナはミルクをたっぷりと入れたミルクコーヒーを口に運び、ふう、と息を吐いた。

「今の名前は、塩原美里しおばらみさと。高崎のままだと大学関係者に偶然出会った時に言い逃れ出来ないからね」

 ちなみにソイルの偽名は、塩原円しおばらまどかというらしい。

 リンは二人の関係性の変化と生活の変化に驚きつつも、彼らが日本での暮らしを立てていることに安堵していた。もともと敵同士で殺し合いも辞さなかった関係であったとは、今は信じがたい。

「狩人の元メンバーたちとは会うことがあるのか?」

「ない、な。あいつらが何処で何をしているのかも知らない。何人かは地球に来ているって風の噂で聞いたことがある程度かな」

 でも、もうあんたたちと会うこともないだろうけどね。アイナ――美里は笑って言った。

「じゃあ、晶穂とは……」

「それこそ、会わない。会うわけがないだろう?」

 友人の皮を被り、近付いた。笑みの裏で情報を引き出し利用した。更にはかどわかし、その聖血を奪おうとした。

「後悔がない、とは言わない。だが、あの子と運命が交わることは、今後もないよ」

 お前ともな。美里は勝気な笑みを見せ、そう言い切った。円もそれには同意らしく、無言で頷く。

「もう少ししたら、余裕が出来る。そしたら、二度と会うことはないよ」

「そうか。……でも、出来れば数日以内に晶穂に会ってやってくれないか?」

「―――は? どういうことだ」

 説明を求められ、リンは二人にソディールの現状を話した。眠り病の発生と魔物の出現、更に扉消滅までのタイムリミットと、それによる世界の行き来の断絶。

「……俺は、晶穂にも克臣さんにも酷な選択が迫られていると思っている。仲間だから傍にいて欲しいが、彼らの今後を考えると、突き放すべきなんじゃないかとも思っているんだ」

「……そう」

 何か言いたそうな顔をしたが、美里は何も言わずに指を顎にあてた。円はコーヒー豆を挽いている。数秒後にその指を離し、美里は目を細めた。

「もしも、機会があればね。過度に期待されても困る」

「それは、わかっている」

 リンはそれでもいいと苦笑し、残ったコーヒーをブラックのまま飲み干した。

「窮屈そうよね、あんた。もう少し我儘でもいいんじゃない?」

 別れ際、駅までの道を教えてくれた美里が言った。その意味がわからずに目を瞬かせるリンに、はあっとため息をついてみせる。

「じゃあ。二度と会わないだろうけど」

「ああ、会えてよかったよ。元気で」

 その時初めて、美里はふっと微笑んだ。彼女が本来持っているのであろう、温かな心の部分。それが垣間見えた気がした。思わず、本音が転げて出る。

「……美里、その顔でいればいいのに」

「……。寝言は寝てから言うものだよ」

 淡く染まった顔を背け、美里はしっしと追い払うようにしてリンを追い立てた。

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