第193話 苦渋
残った扉の位置を示し、リンは「残りは十程か」と呟いた。ジェイスの顔を見て尋ねる。
「ここへ行ったからと言って、扉の消滅を止められるわけではないですよね」
「ああ。魔物との戦闘や眠り病に行き会う可能性の方が高いだろう」
「寧ろ、行くことで魔物を引き寄せそうな気がするぜ。ジェイス」
「……あの創造主の言葉を言っているのか、克臣」
「そうだ。奴は言っただろ? ダクトのことは俺たちに任せると」
人差し指をくるりと回し、克臣は言う。
「きっと、ダクトの生涯最後の敵だった俺たちに、魔物が反応を顕著に示すんだろう。俺たちに魔物が引き付けられている間に、奴が……」
「……消滅を止めることは、不可能なんです」
克臣の言葉を遮り、晶穂は震えを抑え付けた声を漏らした。これ以上悲観するなとリンが口を開くより早く、彼女は「でも」と続ける。
「でも、眠り病と消滅、または魔物との関係を調べ、解決の糸口を示してくれるはずです。既に憶測はありますから」
「ソディールという世界の自浄作用、か。……そうだな」
晶穂に同意を示し、リンは今後の方針を明らかにした。
「まず、魔物を全て倒すか、根源を倒しましょう。ダクトとこの世界とのつながりを絶ち、事態を少しでも単純化させます」
リンの宣言を聞き、ジェイスは苦笑を漏らす。
「まだ奴との戦いは終わっていなかったってことか」
ジェイスの隣にいたユキは、彼の言葉に力強く頷いた。
「うん。ジェイスさん、ぼくも戦うよ。今回は」
前回ダクトと対峙した際、ユキはその体をダクトに奪われ意識を失っていたため、ある意味で初戦である。
その傍で、春直が不安げに瞳を揺らした。
「全ての魔物を倒す……。どれくらいいるのかな」
「弱気になっちゃうのはわかるけど。春直、ぼくらしか戦えないんだからやらなくちゃ!」
「わかってるよ、ユーギ。……もう、泣いてるだけじゃない」
春直はユーギに鼓舞され、固い決意を胸に頷いた。
その時、ジェイスから『リーン』という鈴が鳴るような音がした。全員が彼を見ると、ジェイスは胸元から青い石を取り出した。涙型のそれは、涼やかな音を響かせながら淡く点滅している。唯文が石を指差す。
「ジェイスさん、それは?」
「光の洞窟で、というか銀の花畑に落ちていたんだ。何かの役に立つかと思って持っていたけど……」
紐のついた石を掲げて首を捻るジェイス。と、ほぼ同時に水鏡が起動した。
「―――あ、ジェイスさん! それにみんなも」
「サディア?」
「サディアさん、そんなに慌ててどうしたんですか?」
「どうもこうも!」
リンが代表して尋ねると、水鏡の向こう側のサディアは落ち着かない様子で自分の後方を指差した。
「今の今までそこにあった扉が、消えちゃったよ!?」
「……今、何処ですか?」
サディアの周りには、目印となりそうな建造物がない。あるのは、日に照らされて明るい森の景色のみ。まだ、落空現象は起こっていないようだ。
「イーダの近く。うちらは今、南の大陸にいるんだ」
大樹の森の更に南方に位置し、南海の傍にある地域だ。机の近くにいた唯文が、パチンと一つの石を裏返す。
サディアの報告は続く。
「団長たちの言う魔物はいない。眠り病は蔓延することも、今のところない。というか、人里離れた山間の場所なんだけどね」
「わかりました。他の扉の位置もお教えするので、手分けして調査をお願いします」
「了解」
サディアとの通信が途切れる。リンはすぐに画像として扉の地図を送信した。
「どうやらその石は、扉の消滅を教えてくれる機能があるみたいですね」
「だね。きっと遠方調査員の面々からもその都度連絡は入るだろうけど。……創造主の置き土産ってところかな」
ジェイスはそう言って苦笑した。ふと窓の外を見れば、空は赤く染まっている。
「それはそうと、もう日も暮れる。夕食を食べながら今後のことを話し合おう」
「あ、さんせーい」
「お腹空きました……」
そう言った途端、春直の腹が「きゅるるる」と切なく鳴った。真っ赤な顔をする春直の周りで、全員がどっと沸く。雰囲気が一気に和やかなものへと変化した。
吊られて声を上げて笑った晶穂に、リンは優しい笑みを向けた。
「よかった。止まったな」
「え……? あ、うん」
涙のことだと理解し、晶穂は目を細めた。
翌日、克臣は真希と明人をつれて一度日本に戻った。真希たちがゆっくり考えて過ごす時間が必要だと判断したためだ。
実はその前日の夜、晶穂の部屋に真希が遊びに来た。
「晶穂ちゃん、具合はどう?」
「真希さん。大丈夫です、何ともないですよ」
真希はベッドに腰を下ろす晶穂の隣に座り、彼女の額に手をあてた。そして、満足げに頷く。
「倒れたって聞いてたから。……うん、熱もなさそうね」
それから「あのね」と何かを言いよどみ、意を決したのか真希は口を開いた。
「晶穂ちゃんには、聞いてほしいんだけど……」
唯文も学校で天也に話をしてくると言って、早めに学校へと登校していった。
克臣一家と唯文を見送り、リンは晶穂を誘ってリドアスの中庭にいた。ベンチに腰掛けるよう、彼女を促す。自分も座って、晶穂に尋ねた。
「……晶穂はよかったのか?」
「何が?」
「何がって……言ったじゃないか。日本にも大事な人たちがたくさんいるって」
「うん……言った、ね」
晶穂は苦笑して、空を見上げた。青く、晴れ渡っている。
「確かに、今まで出会って来て、大事な人がたくさんいるよ。園長先生も、きょうだいみたいに育った子たちも、学校の友だちも。アイナも向こうにいるんだから。……でも」
言葉を切り、晶穂は真剣みを帯びた赤い顔でおずおずとリンの手に自分のものを重ねた。リンはその行動に驚き、反射的に手を引っ込めようとしたが、思い留まった。
「―――っ」
「向こうには、リンがいない。ジェイスさんも、ユキも、ユーギも、春直も、唯文も。サラもエルハさんも。一香さんも、シンも、いない。みんないないんだ。……わたしを変えてくれた仲間たちは、誰一人としていない。わたしに必要な大切な人たちが、いつの間にかソディールにたくさんできたんだよ」
きゅっと握った手が震える。驚いたリンが顔を上げると、晶穂が目を伏せていた。
「え……。何で泣いてるんだよ!?」
「ごめっ。何か、止まらなくて……っ」
子どものようにボロボロと流れ溢れる涙が、晶穂の頬を伝い、服も濡らしていく。涙を拭う手も間に合わない。そんな自分を笑いたくなり、晶穂はぐしゃぐしゃの顔に無理矢理笑みを貼りつけた。
「ほんと、バカみたい。っていうか、情緒不安定過ぎる。ははっ……ばかみた」
「……ばかじゃない」
「わっ!?」
涙で濡れることも厭わず、リンは晶穂を強く抱き寄せた。晶穂の心臓が悲鳴を上げる。
「ちょ……リン……」
「お前が、この世界をも大切に思ってくれていると知って、正直、ほっとした」
「うん……」
「けどな」
ぼそりと晶穂の耳元で呟き、リンは晶穂の顔を真っ直ぐに見た。
「これからの全てと引き換えにして良いのか、もう一度ちゃんと考えてくれ」
「え……?」
呆然とする晶穂を残し、リンはその場を去った。戸を閉める前に「一度園長先生に会いに行くと良い」という言葉を残して。振り返りもせずに。
「―――どうしてっ?」
晶穂の問いを、リンは戸の向こう側で聞いていた。その苦悶の顔を腕の
朝の澄んだ空気の中に、晶穂の問いは空しく溶けていった。
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