選択の時 迫る

第191話 止められぬ

 レオラはリンが五十メートルほど離れたのを確かめ、自分を見つめる晶穂に問いかけた。

「神子、お前は現状を何処まで理解している?」

「理解、ですか」

 晶穂はしばし人差し指を顎にあてて考えた。そうして出た答えを口にする。

「今、ソディール各地で扉が消滅しています。扉が消えた村や町には、魔物と呼ばれる怪物が出現しています。それらには、ダクトの気配が色濃い。更に、時を同じくして、眠りの病も蔓延しています。相互関係はわかりませんが、近々、日本とソディールを行き来することは出来なくなる、とわたしたちは考えています」

「うむ。大体のところは把握しているようだな」

 レオラは数度頷くと、腕を組んだ。

「お前の言った通り、魔物はダクトとやらの思念によって生まれている。奴は自分が現世に残す影響力を知った上で、存在が消えてもなお、求め続けている」

 ふう、と息を吐き出した。

「我らも対処はしているが、何せ相手はもう生きていない者だ。そちらは奴と縁の深いお前たちに任せ、我は扉の行く末を注視しようと思う」

「扉……。それは、どうしたら失われるのを止められるのでしょうか?」

 心臓が、緊張している。冷汗が背を伝う。晶穂は大きく脈打つ胸を押さえ、震える声でそう問いかけた。

 レオラはちらりと離れた場所にいるリンを見、すぐに晶穂に視線を移した。その瞳には、何の感情も色を乗せてはいない。

「止められぬよ」

「え……?」

 レオラの言った意味が理解出来ずに硬直する晶穂に向かって、レオラはゆっくりと言い含めるように言葉を紡いだ。

「扉の消滅は止められぬ。眠り病が起こる理由はよくわからんが……。おそらく、再構成される世界の自浄作用の一つだろう。扉が消える時、それまでになかった現象が起こるのは、よくあることだ」

 花畑から目を上げれば、何処までも続きそうな青空がある。日本とは違うが、同じく生き物を包み込む青い風呂敷だ。

「世界と世界のつながりは、永遠ではない。つながっては切れる、その繰り返しだ。むしろ、稀有な出来事だとも言える。本来は交わることのない二つの世界が行き来出来るようになるのだからな」

 世界はソディールだけでもなければ、日本だけではない。レオラは言う。

「ある周期や事故により、数年から数十年間の交わりが結ばれる。同様に、再び離れるまでの期間もまちまちだ。……その時が、今迫っているというだけのこと」

 レオラは晶穂を真っ直ぐに見た。この意味が理解出来るか、と目が問うている。顔を青くして、震え小さくなった声で、晶穂は尋ね返した。

「……それは、日本と、ソディールが……再び離れ遠ざかる、それを止めるすべはないということですか?」

「その通り」

 ぐらり、と地面が揺れた気がした。「どうした!?」という声と共に、温かな何かが晶穂を支えてくれた。晶穂はその場に崩れ落ち、リンが彼女を抱き留めたのだ。

 青を通り越して蒼白になった晶穂の顔に驚き、リンは鋭くレオラを睨みつけた。

「―――ッ。レオラ、貴様何をした!」

「何もしてはいない。事実を伝えたまで」

 リンの問いに冷ややかな答えを返し、レオラはわずかに目を開けている晶穂の頬に手をあてた。

「生きる世界を選べ。もう一人と共に。その選択が定まった時、世界の不均等は正常に戻されよう」

「わたし、は……」

「今は喋るな、晶穂……」

「リ……」

 晶穂はリンの腕に抱かれたまま気を失い、レオラはそれ以上何も言わずに雲のように姿を消した。リンも彼を追うことはせず、少女の冷えた体を温め続けた。

「リン、晶穂!!」

 ジェイスや克臣の声が近付き、彼らがやって来てもなお、リンは晶穂を離さなかった。

 突如、雲もないのに雨が降り出した。




 晶穂が目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。何度見たかもわからない青いカーテンと淡い白の照明。首を動かすと、目を見開いてこちらを見つめる青年の顔がある。

「……リン?」

「晶穂。……よかった、気が付いてくれて」

 ぼおっとこちらを見てくる晶

 穂の髪に触れ、リンは安堵の息を漏らした。

「みんなを呼んで来る。そのまま待っててくれ」

「うん……」

 名残惜しげに晶穂の頭を撫で、リンは部屋を出て行った。

 彼が帰ってくる前にと思い、晶穂は上半身をゆっくり起こして部屋を見回した。やはり、ここはリンの部屋だ。きっと晶穂の部屋に入るのは躊躇われたんだろう。

 だからと言って、自分の部屋に寝かせるのも抵抗があったに違いない。その時のことを想像し、晶穂はくすりと微笑んだ。

「……あれ?」

 手の甲に水が落ちてきた。まさかの雨漏りか。出所を探そうと天井を見上げ、視界がぼやけていることに気付く。

(わたし、泣いてる……?)

 とめどなく流れる涙が止まらない。止められない。その涙の理由は、すぐに思い当たった。

「そっ……か」

(わたし、リンと一緒にいたいよ。でも、向こうにも大事な人たちがいる)

 気持ちが千々に乱れるとは、こういう状態のこと。晶穂はそれに初めて気がついた。

 流れるものは止まらない。

 日本で自分を愛し育ててくれた、水の樹学園の園長先生や血のつながりのないきょうだいたち。小中高校の先生や友人。そして、大学で仲良くしてくれている友人たち。日本で生きていくことを決めた、高崎美里ことアイナの存在もある。

 彼女たちとの別れを、心の中で「まさか」と思っていた。

 予想はしていたかもしれない。けれど、目の前に突き付けられていなかったのだ。油断、していた。

 ソディールと日本、どちらも失いたくないという思いに罪はないだろう。

 晶穂は手で涙を拭うことを諦め、声を殺して泣き続けた。

「―――っ、晶穂!」

「リ、ン……」

 部屋に戻って来たリンが、慌てて晶穂に走り寄って抱き締める。彼女の頭をぽんぽんと撫でてやると、関を切ったように声が溢れ出した。

「わたしっ、どっちも失いたくないッ。でも……ひくっ……選ばないと、いけないよぅ……」

「晶穂、よく頑張った。気が済むまで、泣いたらいい」

「ふえっ……。うぅ……」

 それから、晶穂はリンの胸にしがみついて子どものように泣きじゃくった。その場に居合わせたのは、ジェイスや克臣たちという扉のことに深く関わるメンバーとサラだ。

 誰もが無言で見守った。

 克臣は眉間にしわを寄せて腕を組み、ジェイスは静かに椅子に座っている。サラは晶穂のもとに駆け寄ろうとして、エルハに無言で止められた。ユキ、ユーギ、春直は戸惑いの表情を浮かべつつも身を寄せ合っている。対して唯文は、何かをじっと考え込んでいた。

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