第183話 樵のヴェイラス

 腕にはめた時計を見れば、既に午後六時を回っている。リンたちが来るまでに成果を上げられないかもしれない。そんな小さな焦りが、去来し始めた頃だった。

「お前さん方、こんなところで何をしてるんだ?」

「え―――?」

 見れば、きこりの格好をした壮年の男性がこちらを見ていた。仕事帰りなのか使い古された斧を担ぎ、大量の薪を背負っている。黒い猫耳がひくひくと動いた。

「驚かせて申し訳ありません。わたしたちは銀の華という組織の者ですが、ご存知ですか?」

 すっと腰を折り、ジェイスはそう挨拶した。すると、男性も薄くなってきた頭をかいてペコリと挨拶を返してくれる。

「これはご丁寧に。ご存知もなにも、このソディールで銀の華を知らん奴なんて居らんよ。……しかし、君らの拠点はここよりもっと南の、大陸の中部だろう。何か探し物かい?」

「ええ。わたしはジェイスと申します。彼はエルハ。あなたは……」

「わしは、ヴェイラスだ」

 ヴェイラスと名乗った男性の顔が、ランプの火で照らし出される。目元が柔らかく、全体的にふっくらとしていて、容姿と雰囲気から人の良さが滲み出ていた。

 ジェイスは、彼に尋ねてみようとエルハに目で合図した。

「では、ヴェイラスさん。この辺りに住んでおられるのですか?」

「ああ、そうだ。この先の山が仕事場でな、その麓に住んでいる。今日はたまたま、こちらにも良い材木はないかと見に来たんだよ。最近は物騒だが、生活もあるからな」

 それがどうしたのかと首を捻るヴェイラスに、エルハが尋ねる。

「では、このトースの神殿について、知っておられることがあれば教えていただけませんか? 最近の変化とか。……ここが壊れた経緯は横に置いてもらって」

「そういやトースの神殿が破壊されたのは、銀の華と狩人の戦いがあったからだったな。あの日は地響きが凄くて、驚いたのを覚えてるよ。その前から長い間、ここは狩人の拠点の一つだったようだから、いなくなって清々したけどな」

 はっはっはと豪快に笑うヴェイラスは、ふと表情を改めて思案顔になった。

「でも最近は、黒い獣がこの辺りで頻繁に目撃されているんだ。仕事仲間の中には、襲われかけて命からがら逃げたってやつもいるくらいだ」

「黒い獣……」

 ジェイスとエルハは頷き合い、ヴェイラスに詳しい説明を求めた。




 汽車を降りたリンたち一行は、車内で見たジェイスからのメールに従って歩いていた。

 目指すは樵小屋。そこに住むヴェイラスという人物から、情報を得られたというのだ。

「というか、あの辺に人が住んでたなんてな。前に来た時は気付かなかったぜ」

「そうですね。場所は神殿から離れていますが、人里から離れていることに変わりはなさそうです。……まあ、そんなことを気にするような余裕はありませんでしたから」

 克臣とリンの会話を後ろで聞きながら、ユキは自分の腕に鳥肌が立つのを感じ取っていた。それをもう片方の手でなだめつつ、奥歯に力を入れた。

(やばいかも。ここはの気配が濃い)

「ユキ、顔色が悪いけど大丈夫? 休む?」

 顔をしかめるユキを心配し、晶穂がユキの顔を覗き込んだ。

「あ……いや、大丈夫だよ晶穂さん。この辺りはダクトの気が濃く残ってるみたいで、少し体が敏感に反応してるだけだから」

「じゃあ……」

 晶穂はにこりと微笑むと、ユキの手を握った。そのまま手を引いて歩き出す。ユキは思わぬことで慌てだした。

「ちょっ」

「ほっとけないもん。これで、ユキが倒れそうになっても助けられるよ」

「えぇっ……」

 ユキは脱力気味の悲鳴を上げたが、晶穂は笑顔でスルーした。本人は気付いていないようだが、ユキは若干ふらつきながら歩いている。これ以上、兄であるリンの心配事を増やすわけにはいかない。

 二人の更に後ろには唯文と春直、ユーギもいたが、顔を見合わせ苦笑を噛み殺す。

「ユキも色々大変だな」

「ユキと言うか、リンさんもだよね」

「まあ……。無自覚なんだろうなぁ」

 そんなひそひそ話が展開されていることに、晶穂は気付いていなかった。

 先を行くリンは晶穂たちがちゃんとついて来ているか確認するために肩越しに振り返ったが、ユキの世話をしている晶穂の姿に一瞬目を見開いた。しかしそれはコンマ五秒にも満たない時間で、すぐに目を細めて前を向く。

「どうした、リン?」

「いえ、別に」

 急に素っ気ない返答をしてきたリンを気にして、克臣はその原因を知ろうとちらりと後ろを振り向いた。そこには、照れて顔を赤くするユキと笑顔で手をつなぐ晶穂の姿があった。

(……ああ、成程な)

 克臣は忍び笑いを収め、リンの頭をぽんぽんと叩いた。

「なんです?」

「いや、何でもねぇよ」

「? もうすぐそこです」

 リンが指差す先には、小さな丸太小屋が一軒、木々に隠れるようにしてぽつんと建っていた。何年も建てられてから時が経っているらしく、丸太がむき出しになった外壁はボロボロだ。

 あと十歩程で玄関の戸を叩けるという場所で、小屋の戸が不意に開いた。

「よう、来たね」

「び……びっくりしました。ジェイスさんか」

 目を見開いてそう呟くリンに、ジェイスは「すまない」と笑いながら言った。

「そろそろ来る頃だろうと思って戸を開けたんだ。まさか目の前にいるなんて、わたしが驚いたよ」

「ああ、来たんだね」

 ジェイスの後ろから、エルハも顔を覗かせる。更に後ろから「客かい?」と男性の野太い声が聞こえてきた。

「ええ、ヴェイラスさん。彼らが先程話したリンと克臣、それに……」

 ジェイスが一人ずつ指して紹介する。リンたちも小屋の主に軽く頭を下げた。

「遠い所から遥々はるばる、よく来たな。わしは樵のヴェイラス。ジェイスくんとエルハくんから話は聞いてるよ。……トースの神殿に祀られてたモノについて調べているんだってな?」

「ヴェイラスさんは、信頼出来る人だよ。リン」

 ジェイスの言葉を受け、リンは「はい」と首肯した。

「はい。けど、そのモノが何であったかは知っています。ダクトという狩人のボスであり、大昔に死んだはずの男です。彼の獣人を始めとする異形の人々への憎しみは現在まで残り、今魔物を生み出して眠りの病を生じさせたのではないか、と俺たちは考えています」

「成程ね。やはり、昔のことを話す必要はなさそうだ。少しだけジェイスくんたちには話したけど、今起きている異変について、わしが知っていることを話そう」

 ヴェイラスは全員を椅子やベッドに座らせ、自らも木の椅子を引きずって来て腰を下ろした。その手には、山の湧水だという水のボトルが握られている。

「きちんと煮沸しているから、大丈夫だ。うまいぞ」

 コップにその水を注ぎ、各人の前に置く。ヴェイラス自身も一口飲み、それから腕を組んだ。

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