第181話 無理難題

「どうしたんだい、そんなに慌てて?」

 閉館の準備を始めていたフォルタは、バタバタと走り込んで来たリンたちに目を丸くした。

 ただの人である晶穂はぜーぜーと荒い息を整えるのに精一杯だったが、リンは少し呼吸を整えるとフォルタに頭を下げた。

「突然すみません。実は、『古神事』が今すぐに必要なんです」

「今すぐ、か。少し待っていなさい」

 穏やかな声でそう告げると、老年の狼人は目を閉じた。両手のひらを胸の前で開き、一言呟く。

「―――来い」

 それだけで、フォルタの手の中に書物が現れた。一冊の古い本。『古神事』である。

 初見であった晶穂は声もなく目を瞬かせているが、そうではないリンは「相変わらずですね」と苦笑しつつもその本を受け取った。

「流石、『書物に愛された者』と呼ばれるお人ですね」

「古い呼び名だよ。さあ、持って行きなさい。返却期限は一週間後だよ」

「わかりました、フォルタさん」

 リンは会釈し、踵を返した。彼を追おうと晶穂もぺこりと頭を下げ、出口へ向かう。


 リドアスの廊下を歩きながら、晶穂はリンに尋ねた。

「あの、『書物に愛された者』って?」

「ああ、その呼び名か。あの人の二つ名、あだ名みたいなものだよ」

 リンは抱えた『古神事』の表紙をそっと撫で、微笑した。

「フォルタさんは幼少時から、活字が大好きだったらしい。十歳になる前には自宅の文字という文字を読み終わり、図書館や近所の書店の本も、いつしか読み終え覚えてしまったとか。次は隣町、そしてその次へ。そうして本を読み漁り続ける中、あの人は頭で思い浮かべるだけでその本を手元に出現させられるようになったんだと。ただし、自分がいる空間の中にあるものだけだがな」

「凄い。……好きこそものの上手なれ、っていう領域を軽く超えてるね」

「本当にな」

 素直に感動する晶穂に頷き返し、リンは彼女と共に再び自室へと戻って来た。

 丁度そこへ、水鏡に連絡が入る。もうリドアスに着くという克臣からのものだった。リンは帰宅し落ち着き次第自分の部屋に来てほしいと返答し、ベッドに腰を下ろした。立っていた晶穂を隣に呼び寄せ、本のページを繰る。

 古い文字で書かれた『古神事』は、正直読み辛い。しかしそれは、当時の誰かが未来の誰かに伝えたいことを書き記したものだ。

 リンは古い文字の読み方を亡き父に学び、古文も教わってきた。無理なく原文を読み進められるのは、そのためだ。

 創世神話を経て、物語は神話から人の物語へと移る。その中に、白い人を扱った文章があった。リンは晶穂にもわかるように音読する。現代文に直しながらという高等技術で。

「―――『ある日、男は森へと分け入った。母へ手渡す薬草を採るためだ。草はすぐに見つけられたが、男は魔物に襲われた。大きな黒い獣である。男は崖に追い詰められ、死を覚悟した。その時、目の前に白く輝く男の子が現れ、獣を退治した』」

 この男の子の行動は、ホライの目撃情報と酷似している。

「『男の子は振り返ると、男に微笑んだ。それで男はもう大丈夫だと悟った。男は礼を言い、男の子に名を訪ねた。すると……』え?」

 続きには、こう記されていた。『我は神なり。この世を創りし主』と。

 目を丸くするリンの隣で、晶穂は首を傾げた。

「神? ……え、じゃああの白い少年って、創造の神様?」

「……この話が真実なら。けど、今までの経験から考えて、事実と見た方が良いだろうな」

 神子の存在も、古来種の存在も、今現にある。

 神を探せと言うのか。リンは頭を抱えたくなった。

「マジか。創造神を探し出して、会えと?」

「うん……。難しい課題だね。けど、不可能じゃないよ」

 晶穂がリンの方へ身を乗り出す。

「ホライの子が見たんでしょ? 魔物を倒す人影を。なら、次に魔物が現れた時がチャンスなんじゃないかな?」

「……ああ、そうだな。よし、克臣さんもそろそろ戻って来るはずだし、ジェイスさんとエルハさんのいる所に出発しよう」

「わかった」

 晶穂が頷いたのとほぼ同時に、リンの部屋の戸が叩かれた。次いで、克臣の声が二人を呼んだ。




 朝、リンたちと別れ、ジェイスはエルハと二人でトースの神殿跡へと向かっていた。

「そういえば、二人で行動するのは初めてじゃないかな?」

「そうですね……。大抵、ぼくは単独かサラと一緒のことが多いですから」

 汽車に乗り、ガタゴトと揺れる車内で向かい合って座る。

 エルハは愛用の和刀を手拭いで優しく拭きつつ、窓の外に目を移した。

「……正直、僕がここにいることが不思議ですよ。これまで突発的に現れた魔物の討伐を専門にやってきましたから」

「そうだね。エルハにはテッカさんと同じような立場でいてもらっているから。日本に店を構えて、狩人の情報収集をしてもらってきた」

 雑貨店「アレス」は、日本における銀の華の支店のような役割を担ってきた。その店に晶穂が来て、リンへのプレゼントを買って行ったことが懐かしい。

「もう既に、あの頃が懐かしいですね」

 もう戻れませんから。エルハはそう言って窓辺に頬杖をついた。

 現在、アレスは休業状態だ。本当にソディールと日本が別たれるとなれば、店を閉めるか後継に任せるか決めなければなるまい。

「……日本にも、色々な景色があります。森も都会も、ソディールと同じく」

「うん。……けれど、刻限は近付いている。エルハ、きみは日本へ行くつもりなのかい?」

「僕ですか?」

 エルハはジェイスの問いに目を丸くした。そして、首を横に振る。

「いえ。確かに僕は只の人ですから、それも可能です。……だけど、向こうにはサラがいません」

 サラは、エルハの恋人である猫人の少女だ。リドアスで彼の帰りを待っている。

「――彼女のいない人生なんて、ないのと同じですよ。……それに」

「それに?」

 丁度、汽笛が鳴った。目的地に着いたらしい。

「行きましょう、ジェイスさん」

「あ、ああ。そうだね、エルハ」

 結局、ジェイスの問いはうやむやになってしまった。

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